今年も締めくくりは、本部道場での餅つきです。
景色を見ながら立禅をして、鼻から出入りしている呼吸のすごさを、しみじみ感じているうちに、その呼吸が、天地自然の偉大なる「生成力」であったことに気づかせてくれる。
頭ではなく、身をもって、自分自身の丹田に、ずんずん感じさせてくれる。自分は、今こうして生きている。自分は、今こうして呼吸をしている。
この呼吸によって、自分は、天地自然とまったく同じ生命で、こうして生きていられるのだ。
天地同根 万物一体
11月 7日(木) アーバン
11月14日(木) アーバン
11月21日(木) アーバン
11月28日(木) アーバン
「稽古」について
練習は、ただ繰り返すのに対して、稽古は古(いにしえ)に照らしながら行われる。稽古には「套路・太極理論・先人の手本」があるのに対して、練習には長いタイムスパンの一貫した規範がない。
あるいは、練習が試合などを目指した事前準備であるのに対して、稽古はそのつど本番である。稽古は常に全力で行われる。
さらには、目指す先が違う。練習はスキルの上達を目標とするのに対して、稽古はそれを通して精神を鍛え、内面的な向上を目指す。
太極道交会の名の由来は、「真理の道に交わる」ということで、それは「行」であります。(道は必ず行によって証入すべきこと。道元禅師)行は真理(太極)と一体となるべきものであるからこれをまた、「感応道交」といい、ここから太極道交会と命名される。
こうして、自己の確立と自他の和合を目的とした、太極道交会が発足しました。
套路(型)における最終目標
山口先生が、台湾の武壇で修行していた時代、劉雲樵大師から次の事を言われたそうです。
台湾の武壇で修行時代の山口先生と劉雲樵大師
拳法には3つの要素がある。一つは心身の鍛錬、2つ目が芸術性(内外面が一致した套路は、どこから見ても美しい)、3つ目が護身術という見方である。しかしどこに焦点を合わせて学んでいかなくてはならないかは、第一に上げられた心身の鍛錬が最も重要であることを強調された。
陳鑫も「拳は心の中にある」とはっきりと言っておられる。決して他と競うのではなく、自らの内面を追求して行かなければなりません。
太極道交会の目標である自己確立、自分というものをしっかりと見つめていく。そして自分という人格を完成させていく。そしてそれは太極拳運動(套路)を通じて、完成されるものであるということを信じています。
無功徳常精進
型稽古の重要性
私が陳式太極拳を始めたころから、書も同時に学ぶようになりました。太極拳(中国武術)と書は非常に共通点があります。
書では、まず字形を楷書でしっかり学び、繰り返し稽古していきます。その中で紙面における間の取り方、筆づかいの緩急による、にじみ、かすれなどを身をもって学んでいきます。
この書は、台湾の武壇の劉雲樵大師より、山口先生が頂いた書。1980年劉雲樵の弟子と書いてある。
次の段階は、行書から草書へと、より一層、緩急自在の途切れることのない運筆を学んでいきます。まさに太極拳の套路(型)の稽古と共通します。
型の稽古を続けていると、ある時点から意識が外面から身体の内面に移行し始めます。書においても、意をもって、導く段階になります。それは、型を繰り返し修練することにより、自然に気付くようになります。