6月より敬心道場の通常稽古が再開されますので、よろしくお願いします。
非常事態宣言中は、オンライン稽古でしたので中々思う様に稽古できなかった事と思います。正確な形が内気を導きますので、奮って稽古にいらしてください。
6月 4日(木) アーバンプラザ
6月11日(木) アーバンプラザ
6月18日(木) アーバンプラザ
6月25日(木) アーバンプラザ
武芸は基本が大切である。基本は繰り返し繰り返し稽古することによって花開くのであり、不断の稽古、剣豪の宮本武蔵の言葉を使えば「朝鍛夕錬」の稽古によって体得すべきものである。
また、宮本武蔵は「観の目強く、見の目弱く」と言っています。
観の目とは腹で見る事、臍下丹田で見る事である。
見の目とは肉眼で見る事である。
太極拳においても、初心者の段階においては、肉眼で見る事ができる「見の目」、つまり外形から入っていきますが、稽古を重ねるにつれて、次の段階に移行することが大切である。
次の段階とは「観の目」である。外形から内勁の段階に移行して、自分で動くのではなく、丹田を中心として、足の虚実により上半身の開合に連動させて、運気により気を導くことが大切になります。
焦ることなく、一歩ずつ研鑽していきましょう。
先日のブログに掲載した鐵舟先生の「大工鉋の秘術」と同じように、陳式太極拳の稽古段階も三段階に分かれています。
これを三三原理といい、稽古において三つの段階、三種類の勁の違いがあります。
初心者はまず、招熟段階といって套路を主とした型の段階で、手法、歩法、身法等を、一つ一つの外形動作を正確に把握し熟練して、身体に型を浸透させていく段階になります。この段階の勁は、明勁といって初心者にもともと備わっている剛質な勁で、外側から見てとれる外形をさします。
次の段階が、憧勁(どうけい)段階といって、運気を通して、気によって形をうながしていく段階に入ります。この段階の勁は、暗勁といって、外見からは勁が見えなくなります。
優れた武術には、必ず内功が備わっています。陳式太極拳においても、内気を練る方法として、太極採気法があります。憧勁段階においては、套路と共に太極採気法を行い、形と気を結合した内外兼修の効果を得ることが必要です。
太極採気法は、中国古代の導引・吐納術を一体としているので、技撃的要素だけでなく、身体を健康にし、長寿を得ることが可能となります。
最終段階が、神明(しんみょう)段階といって、より詳細に研鑽を積んでいかなければ到達できない段階になります。
朝鍛夕錬の修行を終始一貫してやり遂げることによって、千変万化どこからでも自由自在に発勁できる、霊勁に至ります。
もともと太極拳の「太極」とは、宇宙の法則を解き明かす中国古代の知恵である「易」から生まれた武術です。
武術を学ぶことは、宇宙の法則を自分の身体で表現することであり、日常生活においても中庸(五陰五陽)を保つ術であり、究極は宇宙と一体(天地同根 万物一体)になることである。
山岡鐵舟先生が生きた時代背景
山岡鐵舟先生は、天保七年(1836年)に江戸の本所で生まれ、明治二十一年(1888年)七月十九日、午前九時十五分、坐禅のまま大往生を遂げるまで、幕末から明治にかけての波乱に満ちた時代を駆け抜けた53年間の人生でした。
九歳ではじめた剣、そして書、二十歳を過ぎてからはじめた禅の修行を続け、明治十三年、天龍寺の滴水和尚から大悟徹底し印可を受ける時に、鐵舟先生は四十五歳になっていた。
武士的なものの名残りさえ捨てられ、忘れ去られかかっている明治時代に、鐵舟先生は、少年のころからの目的を一貫して追い求め、ついに剣禅書を極めることになる。
今回は前回に続き、山岡鐵舟先生が、安政五年(1858年)23歳の時に書かれた「修心要領」を抜粋して紹介します。
剣法を学ぶ目的
人間の心と宇宙は同じでないはずがない。心が宇宙と同じだということになれば、天地万物、山川も河も海も、われわれの身体と同じことになり、四季の変化等すべては、世の出来ごとに顚倒(てんとう)があり、人間の関係に順逆があるのは、人生に陰陽があるのと同じである。
人間の生死は昼と夜の区別に比べて考えられるわけだ。そういうわけなのだから、何を好きだ嫌いだの、気に病んだりすることがあろうか。ただ道ということに従って、あるがままにまかせるばかりでよいのだ。この点を深く考えてみなければならない。
世の人びとが剣法を修業しているのは、おそらく敵を斬ろうとするためのものにちがいない。わたしの剣法修業はちがう。わたしは、剣法の呼吸といわれているものを得て、神妙の理に悟りたいものだと思っているのである。
わたしが剣法を学ぶのは、ただ心胆錬磨の術を積み、心を明らかなものにすることによって、自分もまた天地と同根一体なのだという理を釈然と理解できる境地に到達したいという目的があるだけである。
如何でしたか、私事ですが、私も21歳のとき、師匠の山口博永老師から太極拳と禅を学び、5年後の26歳の時に得度(拝師)し、同時に書を学び始めました。
なぜならば、その当時、古本屋で買い求めた鐵舟先生の内弟子の小倉鐵樹さんが書かれた「おれの師匠」を読んで、強い衝撃をうけ、強さだけを求めていた時代から、鐵舟先生のような生き様に憧れ、第二の発心が始まったからである。
また当時、師匠の山口老師からも「人生をいかに生くべきか」を問われており、武術の強さを求めていた私に「強さだけでは虚しい」と言われ、気づきを与えられた時代でもあった。
1987年(昭和62年)4月5日、道友達の見守るなかで、太極拳の正装着を着用して三拝し、得度(拝師)する。
山口博永老師(40歳)、三浦方圓(26歳)
山岡鐵舟先生が、明治十七年、49歳のときに残された「大工鉋(かんな)の秘術」という内容を紹介します。太極拳の稽古段階の参考にしてください。
大工が鉋(かんな)を使う場合、あらしこ、中しこ、上しこの三つの段階がある。まず「あらしこ」の場合は、体を固め、腹を張り、腰をすえ、左右の手に均等に力を入れて、荒削りをする。つまり、全身の力を込めて、骨を惜しまずに十分に機能させなければ、荒削りはできないものである。
次の段階は「中しこ」であるが、「中しこ」は、ただ全身の力を入れるばかりのものではなく、自分の手並みの加減というもので平らに削り、仕上げにかかれる状態とするものである。しかしながら、「あらしこ」の精神がなければ、この「中しこ」において平らになるものではない。
さらに「上しこ」の段階に至るのであるが、「中しこ」で平らにした上を、さらにむらのないように削るのである。それは、一本の柱であっても、始めから終わりまで一回で削らねばならない。柱を始めから終わりまで一回の鉋がけで削るには、心を落ち着けることを第一とする。
心が安定していなければ、いろいろと支障が生じてむらとなる。むらが出てしまっては仕上げとならず、ここが大工が鉋を使う時の要諦なのである。まず、心、体、業の三つが備わっていなくてはならない。心体業とは、鉋と人と柱との三つである。
人が削ると思うと鉋が滞る。鉋が削ると思うと柱が離れていく。心体業の三つが備わるというのは、鉋と人と柱とが一つところにおいて働くということであり、これが手に入らねば、いくら大工が鉋の稽古をしても、いつまでたっても柱をよく削ることはできないのである。
柱をうまく削るためには、最初の「あらしこ」の稽古が第一で、これをうまく使うことができれば、「中しこ」も「上しこ」も使うことができる。しかしながら、「上しこ」を使うには秘術がある。その秘術というのはほかでもない、心体業の三つを忘れて、ひたすらと行うということである。そうであってこそ、仕上げができるのである。
その仕上げの鉋を仕上げと思わないところに、秘術というか何というか、面白い味わいがある。これを学び得ることができないのであれば、何を言っても無駄なことである。また、「上しこ」の手並みは自得すべきものであって、どのように思ってみても、伝えることはできないものである。
如何でしたか、私たちが稽古している太極拳も、有形に始まり、無形に至り、無形は心機に入る、という段階を必要とします。是非、参考にしてください。
私の尊敬する時代をこえた師匠は、幕末の山岡鐵舟先生です。稽古が終わったあとに弟子たちに以下のような訓話をしております。
「剣や禅の精進によって、人間は宇宙の一分子であり、天地同根であることがわかってきたら、われわれは我を去らなければならない。我を張り滞ることによって、天地の調和が崩れていき、混乱が始まる。滞りはすべて我執から起こっており、剣法は結局その我執を脱却する修行の一つなのである。
この心境を得ることができれば、自由闊達、融通無碍、自在に剣を操ることができるようになる。技の修練と精神の錬磨は常に表裏の関係であることを忘れてはならない」
敬心道場においても、太極拳をつうじて最初は武術でも健康法でも結構です。さらに精進していくと、太極拳はひとつの手段であり、太極理論を身をもって体得することの大切さが理解できるでしょう。
鐵舟先生の言葉を引用するならば「天地同根一体の理を悟るためにある」ことを目指しております。
2015年に掲載したブログより
山岡鐵舟先生の幼少期
観世音菩薩に篤く帰依していた母に、鐵太郎が手習いで「忠」「孝」の二文字を習っていたので、深く考えもせずある時、「母上は忠孝の道を踏み行っていらっしゃるのですね」と質問したところ、「母はお前に申し訳ない。良きお手本になれない母を赦しておくれ」と目に大粒の涙が浮かび、頬を伝ったのを見て、母の愛が鐵太郎の心に生涯、精進する母上をお手本として、鐵舟自身が修行するきっかけとなった。
また、高山郡代の父は、幼少期の鐵太郎に「人間を創るのは剣と禅だ。これに集中せよ」と教えをうけた。父はさらに人間は武だけでは偏ってしまうと思い、高山に弘法大師を遠祖とする入木道(じゅぼくどう)五十一世の岩佐一亭に書を学ばせ、気骨ある人間を育てることを考えていた。父に敬いをもつ鐵太郎は、生涯「剣・禅・書」を修行するきっかけとなった。
母の愛と父の敬いにより、発菩提心(発心)がのちに剣禅一如を極め、命をかけて江戸の無血開城を成し遂げる大人物になっていくきっかけとなる。
人間は何事も最初の発心が大切になる。
上求菩提 下化衆生
太極道交会も自己の確立 自他和合を目的として会を発足しました。
江戸時代前期の禅僧沢庵という方をご存知でしょうか。剣豪の柳生宗矩に「不動智神妙録」を与え、柳生剣法の大成に大きな影響を与えた方です。
沢庵の「太阿記」の冒頭に、次のように書かれています。
「兵法者は、勝敗を争わず、強弱に拘らず、一歩を出でず、一歩を退かず。敵、我を見ず、我、敵を見ず。天地末分、陰陽不到の処に徹して、直ちに功を得べし。」
この冒頭の句に「勝敗を争わず、強弱に拘らず」というのが兵法の根本だという。つまり、勝つことと負けることに心が執着し、勝負に心がとどまるために、気の流れをさまたげることになり、正しい武の精神ではなくなるといっている。
また、「天地末分、陰陽不到の処に徹」するとは、相手と自分を超えた根源的な天地自然の命を感得することにほかならない。
さらに沢庵は、修行には二つあると言う。一つは理の修行、もう一つは事の修行。理の修行というのは、心の修行、事というのは技の修行である。
この二つを修行していかねばならない。片方だけではまったくだめであるという。事理不二の境地を目指せと説いています。
太極拳の修行においても、深く極めていく段階において、まったく同じことが言えます。
私たちは、太極拳を日々稽古しながら、何を学び、何を伝えていくべきか。
私の尊敬する先人の山岡鉄舟先生、師匠の山口博永道長も剣(拳)禅一如を極めております。
私もその境地に少しでも近づけるように、事理不二の境地(天地同根 万物一体)を目指して精進していきたい。
日本の曹洞宗の開祖、道元禅師は、「我が身愚鈍なればとて卑下することなかれ」と説いています。
意味は、自分自身の能力が愚鈍であるから駄目であると、自分自身を卑下してはいけないという。どんなに愚鈍であっても修行すれば必ず仏道を得ることができると言っています。
努力するのと、怠けることによって遅速が生ずるだけである。努力するか、怠けるかを定めるのは、志があるかどうかで定まる。その志を立てるのは無常を切に思うからであるという。 「今ここ」 無心に取り組む意欲が大切である。
愚鈍な私は、いつもこの言葉を思って、日々稽古しています。つくづく禅も太極拳も書もまったく同じ事だと思う。
つまり何事も道を実現させるには不断の修行が必要だということです。
今日坐禅をしたから明日はやめる。今週やったから来週はやめるというのでは道を得ることはできない。
太極拳も書も、うまいへたは関係ありません。器用な人が演武したり字を書くよりも、不器用な人が日々一生懸命に努力して、演武や字を書いたりした方が、とても味わいがあり、その人の風格がにじみ出て人に感動を与えます。
不断に絶えず行じてゆく時、必ずそれは達成できる。
時間をかけるということは恐ろしい。どんなものでも時間をかけねばならない。
人間の身体は霊妙なはたらきを持つ。意識によって身心一如となる時、身体もまた光明を放つに至る。
愚鈍な私は理屈ではなく、何事も日々身をもって実践して行きたい。