アルバムに秘蔵写真を掲載

 太極道交会が発足して、早いもので間もなく40周年を迎えようとしています。太極道交会を知るためには、山口博永老師がどのような修業をして来た方かを知る必要があると思います。

 今回、師匠に許可を頂き、秘蔵写真をアルバムに掲載しておりますので、是非ご覧ください。

師匠の大陸修業時代(秘蔵写真)6

 

1980年朝日グラフに掲載、山口先生は道元禅師の教えに従い、世に知られずに行じていましたが「隠れた名師」として学びにくる人がいました。

 

太極拳の写真も掲載され、現在の各武術団体の代表になった人も多数学んでいました。

 

 

 

 

1983年山口先生が200部限定で「太極拳六十四式」を出版する。「鄭子太極拳」の理論も掲載されており、私も新宿の紀伊国屋書店で購入した、幻の本です。

 

 

 


1982年3月山口先生は「日本陳家溝太極拳普及協会」を発足。しかし、その後も毎年、陳家溝に訪中し、太極拳を禅の修行のごとく黙々と稽古を続ける。

王西安老師に学ぶ「三三原理」3

太極拳を稽古する場合二つの大きな目的があります。一つは体の全部の関節を開いて伸ばしていくこと。もう一つは、精神の敏捷性を養っていくことです。第一、第二段階では、正確な動作を覚え、形で内気を養っていきます。この段階では套路の稽古を行う場合にも、六分でやったり、八分でやったり、一二分かけて行ったり、いろいろな速さで稽古することが必要です。また架式の高さも、高い、低い、その中間の高さで稽古する必要があります。技撃のために行う場合は、なおさら架式を高い、中間、低い、の高さで稽古しなければなりません。実際の攻防の際に、相手が高い姿勢、あるいは低い姿勢に対して、自分が対応するためです。だから、一定の架式の高さ、一定のスピードだけで稽古するのではなく、いろいろな高さ、速さで稽古することが大切です。

師匠の大陸修業時代(秘蔵写真)5

卜文老師、河南省武術協会教練主任。八卦掌の達人で、陳式の四天王を紹介した人物。卜文徳老師と山口老師は、昔から師弟のような間柄です。

 

 

1990年王西安老師より老架式を学んでいる一コマ。

 

 

 

中国武術家百傑の一人中国遼寧省の徐其成老師が館山の本部道場にしばらく逗留する、1991年。

 

 


武器が得意で刀を振らせると三本に見えるくらい凄く、「徐三刀」と異名をとる。

師匠の大陸修業時代(秘蔵写真)4

1988年中国嵩山少林寺国際武術表演大会で優勝する山口博永老師。

太極道交会も総合優勝をしました。審査員は、陳小旺老師、王西安老師でした。

両老師には、太極道交会の顧問になってもらいました。

 

 

 

太極道交会では新架式を陳小旺老師から、老架式を王西安老師から学ぶようになりました。

陳小旺老師の模範演武

山口老師は、毎年課題を与えられ、訪中していました。

 

 


1882年陳小旺老師の套路を食入るように見ている山口老師。

 

 

 

 

発勁して顔が緩んだ瞬間を撮影。突き蹴り共に、陳小旺老師の発勁は、定評があります。

 

師匠の大陸修業時代(秘蔵写真)3

1979年中国河南省の鄭州において陳氏太極拳第19代伝人の陳小旺老師に会う。

老師の表演見て、強い衝撃を受ける。

 

 

 

 


第一次陳家溝太極拳学習団1981年

1981年陳小旺老師より直接新架式を学ぶ。直接習った最初の外国人であった。

 


第二次陳家溝太極拳学習団1982年

中央の看板の前、山口博永老師、その左側に陳小旺老師

後列左から4番目、王西安老師

 


前列左から陳小旺老師、3番目が朱天才老師、4番目が陳正雷老師、5番目が王西安老師、陳正雷老師の後ろに山口博永老師

 

師匠の武壇~大陸修業時代(秘蔵写真)2

劉雲樵大師の弟子と書いてある貴重な書。

「精氣神」庚申仲秋1980年8月武壇に於

 

 


1979年5月横浜で太極拳の指導が始まる。1979年中国大陸に渡り、鄭州にて陳氏太極拳19代伝人、陳小旺老師の表演を見て、強い衝撃を受ける。

 

1981年陳家溝にて、陳小旺老師より直接新架式を学ぶ。建国後の中国で、直接習った最初の外国人であった。

上記の記事は1985年、マーシャルアーツという格闘技雑誌に山口先生が掲載されたものです。「日本における陳式太極拳の第一人者 山口博永」

1987年に館山に本部道場が出来た際に、劉雲樵大師から送られた書です。

師匠の武壇修業時代(秘蔵写真)1

師匠の山口博永老師は大陸に渡る前、1975年から約5年くらい台湾の武壇にて八極拳の達人、劉雲樵大師、高弟の徐紀老師、黄偉哲老師、戴士哲老師にも学びました。

 

劉雲樵大師

 

 

お酌の習慣が無いので、無意識に左手を構えている劉大師。

漫画「拳児」、映画「グランドマスター」で有名な台湾国術界史に輝く巨星、武壇創始者、劉雲樵大師。

 

 

劉雲樵高弟の徐紀老師より、陳家太極拳を学び、その後、1979年に中国大陸に渡り、河南省の鄭州において陳氏太極拳第19代伝人の陳小旺老師に会う。

そして陳家溝にて、最初に直接習った外国人として、毎年訪中し、太極拳を禅の修行のごとく黙々と稽古を続ける。

当時、マーシャルアーツという格闘技の雑誌に山口先生が掲載されたとき、「日本における陳式太極拳の第一人者」と紹介されていました。

 

 

王西安老師に学ぶ「三三原理」2

第一の招熟段階では、拳術套路の一つ一つの外形動作を正確に把握し熟練することを目指します。

「外三合」、つまり肩と股関節、肘と膝、手と足の法則性がしっかり合っているか確認しながら、身体に浸透させていきます。

第二の憧勁段階では、形で内勁を養っていくようにします。「内三合」と言い、心と意、意と気、気と力があっているかどうか。また、骨はあっていても、筋肉の収まり具合はどうかなどを確認しながら稽古して行きます。

第三の霊勁段階は、体内の内気を思うままにあやつることができなければならない。そして、運気を通して、気により外形をうながし、外形と気を結合した内外兼修の効果を得ることが必要になります。

「立禅」との出会い3

この時期に城西支部に籍をおいていたお陰で、澤井先生に出会い私の武術に対する考え方も大きく変化してきました。

その一つが「立禅」で中国の武術には禅を立った状態で行う立禅というものがあり、この立禅を組むことによって、内面の力を強力にし瞬間的な爆発力を養う稽古でした。

そして「這」(はい)は、自身の身体を防御と攻撃の両面で安定させるための稽古で、手は虫の触覚のように相手の攻撃を察知し、無意識に攻防できるようにし、足は泥の中を歩くようにイメージします。見ている人が分からないくらいゆっくりと中腰で動いていきます。

ある時期から組手の稽古をしていると、相手が顔面を蹴ってくる瞬間に無意識に身体が反応するようになりました。この頃から武術における気の力を信じる様になり、より一層稽古に取り入れる様になりました。