太極道交会が発足して、早いもので間もなく40周年を迎えようとしています。太極道交会を知るためには、山口博永老師がどのような修業をして来た方かを知る必要があると思います。
今回、師匠に許可を頂き、秘蔵写真をアルバムに掲載しておりますので、是非ご覧ください。
太極道交会が発足して、早いもので間もなく40周年を迎えようとしています。太極道交会を知るためには、山口博永老師がどのような修業をして来た方かを知る必要があると思います。
今回、師匠に許可を頂き、秘蔵写真をアルバムに掲載しておりますので、是非ご覧ください。
太極拳を稽古する場合二つの大きな目的があります。一つは体の全部の関節を開いて伸ばしていくこと。もう一つは、精神の敏捷性を養っていくことです。第一、第二段階では、正確な動作を覚え、形で内気を養っていきます。この段階では套路の稽古を行う場合にも、六分でやったり、八分でやったり、一二分かけて行ったり、いろいろな速さで稽古することが必要です。また架式の高さも、高い、低い、その中間の高さで稽古する必要があります。技撃のために行う場合は、なおさら架式を高い、中間、低い、の高さで稽古しなければなりません。実際の攻防の際に、相手が高い姿勢、あるいは低い姿勢に対して、自分が対応するためです。だから、一定の架式の高さ、一定のスピードだけで稽古するのではなく、いろいろな高さ、速さで稽古することが大切です。
師匠の山口博永老師は大陸に渡る前、1975年から約5年くらい台湾の武壇にて八極拳の達人、劉雲樵大師、高弟の徐紀老師、黄偉哲老師、戴士哲老師にも学びました。
劉雲樵大師
お酌の習慣が無いので、無意識に左手を構えている劉大師。
漫画「拳児」、映画「グランドマスター」で有名な台湾国術界史に輝く巨星、武壇創始者、劉雲樵大師。
劉雲樵高弟の徐紀老師より、陳家太極拳を学び、その後、1979年に中国大陸に渡り、河南省の鄭州において陳氏太極拳第19代伝人の陳小旺老師に会う。
そして陳家溝にて、最初に直接習った外国人として、毎年訪中し、太極拳を禅の修行のごとく黙々と稽古を続ける。
当時、マーシャルアーツという格闘技の雑誌に山口先生が掲載されたとき、「日本における陳式太極拳の第一人者」と紹介されていました。
この時期に城西支部に籍をおいていたお陰で、澤井先生に出会い私の武術に対する考え方も大きく変化してきました。
その一つが「立禅」で中国の武術には禅を立った状態で行う立禅というものがあり、この立禅を組むことによって、内面の力を強力にし瞬間的な爆発力を養う稽古でした。
そして「這」(はい)は、自身の身体を防御と攻撃の両面で安定させるための稽古で、手は虫の触覚のように相手の攻撃を察知し、無意識に攻防できるようにし、足は泥の中を歩くようにイメージします。見ている人が分からないくらいゆっくりと中腰で動いていきます。
ある時期から組手の稽古をしていると、相手が顔面を蹴ってくる瞬間に無意識に身体が反応するようになりました。この頃から武術における気の力を信じる様になり、より一層稽古に取り入れる様になりました。