陳式太極拳 王西安大師に学ぶ 中国武術との縁 回想録1


21歳の太極拳修行時代 後列右が三浦方圓
後列左が師匠の山口博永老師

 王西安大師に学ぶ「中国武術との縁」
 私、三浦方圓は幼少の頃より武道好きの少年でした、小学校の3年生の時に地元の警察署で剣道を学んだのが最初でした。当時はまだ竹胴の時代で、張りつめた緊張感の中で稽古していたことを懐かしく思い出します。
 中学校では、サッカー部に所属して毎日のように走り回っていたお蔭で足腰はかなり鍛えられました。中学2年の時に「空手バカ一代」の劇画に感化され空手を始めるようになりました。強さに憧れ毎日手帳に、腕立て、腹筋、背筋、柔軟などの記録をして、高校、大学2年まで約7年間学びました。
 そして大学時代にフルコンタクトの空手の道場で、コンビネーションによってスパーリングを重視した稽古を行っていた際、太気拳の澤井健一先生が組手の時間になるとしばしば見にこられるようになりました。その当時は、私は澤井先生を知りませんでした。空手の稽古の終わりに立禅・這をおこなうこともその当時行っていましたがやはり何をやっているのか解りませんでした。
 私は毎日道場に稽古に通っていたので、ある日、道場で稽古後も自主練習をしていると、師範代の方が澤井先生から思いきり突いてきなさいと言われているところを偶然目撃しました。当時の澤井先生は70代後半くらいでしたから、師範代の方が手加減して突いていったら怒られ、真剣に二度目は顔面めがけて正拳を突いた瞬間に倒されてしまいました。稽古後の時間帯だったので目撃した道場性は私と2、3人しかいませんでしたが、私は強い衝撃と中国武術に関心を持つようになりました。のちにその師範代の先輩は、澤井先生から這、立禅を学び、全日本空手道大会で優勝しました。
 私は大学2年生の時、自宅が移転することになり、その道場を去ることになりますが、その数年後、その道場は、チャンピオン製造工場と言われるようになり、多くのチャンピオンが育っていきました。
 私は、その後、いろいろな方々の御縁によって太極拳の良師、道友に出会うことになる。
(次回に続く)