王西安大師 新年快乐!

王西安大師 新年快乐!希望你新的一年,一切顺利,平平安安,健健康康

左側、三浦方圓、右側、山口博永老師

2016年の締めくくりに、本部道場において毎年恒例の餅つきを行いました。各支部長、道場生が参加して20臼以上つきました。
2017年も宜しくお願い致します。

陳氏太極拳に興味のある方、一度体験にいらしてください。
下記に昨年の表演会の動画を掲載致します。

 

王西安老師に学ぶ「求道の太極拳」

「求道の太極拳」・・・敬心道場の立志
陳氏太極拳を単に習い事だとか武術としてとらえるのではなく、陳氏太極拳の理法にのっとり、心身を鍛錬し「自己確立」を目指し、さらに同志とともに人生に生きがいを見いだせる、世のため人のための「自他和合」の志しを実現することにある。
この「自己確立」「自他和合」の志しを実現するためには、どのような姿勢で日頃から稽古に励むか、敬心道場五訓として掲げました。

一、日々敬いの心を忘れず
これは何事も素直、謙虚な気持ちで学ぶことの大切さを忘れないことを一番にあげました。陳氏太極拳図説の冒頭にも敬いの心がなければ学べないと書かれています。敬心道場と命名したのもその理由からです。

一、日々熱中することを忘れず
そして、何事にも集中し、熱中して学ぶことをあげました。熱中して無心に学ぶことがなければ、本質を理解することはできません。

一、日々汗を流すことを忘れず
さらに、いくつになっても理屈だけで理解するのではなく、身をもって生涯、汗を流しながら実践していくことの大切さをあげました。

一、日々明日を語ることを忘れず
また、常に過去のことだけを振り返るのではなく、これから先の未来に目標を持ち、進歩させていくことの大切さをあげています。

一、日々切に思うことは必ず遂ぐるなりを忘れず
最後にこれは道元禅師の言葉を使わせて頂きました。日頃から以上の五訓を掲げ日々稽古することにより、必ず「自己確立」「自他和合」の志しを遂げるという強い信念をもって望むことをあげさせて頂きました。

今回ここに掲示した理由は、多くの方々に敬心道場の志しを知ってもらうだけでなく、自分自身が掲げたこの発心が生涯ゆらぐことがないように書かせていただきました。
陳氏太極拳に興味のある方は、是非一度見学、体験にいらしてください。

王西安老師に学ぶ 敬心道場五訓

陳氏太極拳の精髄を学びながら、自己確立を目指し、世のため人のために役立つ自他和合の志しをもって研鑽していくことを請願

日々五訓

日々敬いの心を忘れず

日々熱中することを忘れず

日々汗を流すことを忘れず

日々明日を語ることを忘れず

日々思い切なれば必ず遂ぐることを忘れず

以上が敬心道場五訓です、当たり前のことかもしれませんが、いくら頭では理解できても、そのことを実行できるわけでは決してありません。ごく当たり前のことこそが、最も難しいのかもしれません。
陳氏太極拳に興味のある方は、是非一度体験にいらしてください。

一代太極拳大師 王西安老師に学ぶ

稽古では自分自身の状態を常に確認しながら拳を練っていくべきで、常に正しい理論と実践を考えていく必要があります。理論をしっかりと自分の中で把握して、それを稽古の中で実践できているかどうかを把握しながら、繰り返し練習することが大切です。
陳式太極拳に関心がある方は、是非一度、体験にいらしてください。

一代太極拳大師 王西安老師に学ぶ


太極拳は武術でありながら、高級な気功法の部類に入る。拳を練るときは気の運行を意識することが大切です。
 毎回、王先生から緩めることを教えていただいていますが、すぐにできるわけではありません。放鬆を意識して稽古を重ねることで、少しづつ身体の部分を緩めることができるようになります。
 単調な繰り返しのように思われますが、身体意識は徐々に変化していきます。最初はどうすれば放鬆ができるかわからないかもしれませんが、根気よく内気を意識して、放鬆を意識して、拳を練っていくしかないと思います。
 陳氏太極拳に興味がある方は、是非一度体験にいらしてください。

陳氏太極拳 王西安老師に学ぶ 二人の師匠 その4(完)


陳氏太極拳 王西安老師に学ぶ 二人の師匠
王西安大師の門弟135人の紹介されている本が、5年の歳月を経て昨年の5月に中国で出版されました。以下は翻訳です。

「太極的力量-王西安和他的弟子們」 河南科学技術出版社 

  山口博永老師 その4

「太極拳への永遠に尽きることのない愛」

 そうした信念と数十年に及ぶ懸命な探求を見ると、山口博永の太極拳への愛は真実だと云わぬわけにはいかず、その意志も堅固だと云わぬわけにはいかない。多年にわたる猛稽古により、山口は既に日本屈指の太極拳大家となっていて、当時の盲目的愛好者から、本格的普及者の道を歩んでいる。彼が創設した太極道交会も今日では、五つの分会を持つ日本のかなりの規模の太極拳協会へと発展し、会員も一万人近くいる。
 こんなに長い間、山口博永は探究し自ら修練する道を歩んでいる。仏門に入ってから、彼は人生の真理と生命の意義を追求してきた。本我を探究する立場に在って、彼は仏教と太極を完全に結びつけ、非の打ちどころのない自我を確立した。
 ここ何年か山口が教えた会員数は測り知れない。会員達は健康と精神的喜びに恵まれたばかりか、太極拳界でしばしばその腕前を発揮し、各種の栄誉を得たこともある。山口は太極拳とその文化を自らが接することができる所に拡散しており、それを既に生命価値の体現と見なしている。
 一般人から人並みより優れた人へ、山口はそうした変化は仏教の坐禅、太極拳の滋養、恩師の無言の思いやりから来ていると言い、それ等すべては彼が人格と生命の昇華を完成させるのを手助けしてくれた。
 王先生の近くにいた日々は、山口はいつも恩師の気持ちを感じ取っていた。当人は大師だが王西安は一般人のように素朴な人で、拳を教える時には真剣で厳格だが、日常生活では協調性があって親しみが持て、気心の知れた友人のように人を楽しくさせる。練習の時以外では、恩師はいつも山口と世間話をし、茶を飲み、無限の禅意の中で禅を語り太極を語る。それは師弟二人の最大の楽しみであり、師弟間の高遠なる精神的交流なのである。僧侶は禅の道を重んじ、太極は自然を尊び、名こそ異れども修練の目的は同じである。王先生が語るには、太極拳の柔らかな自然さは一定以上のレヴェルに達すれば、そのまま僧侶の禅となるそうである。人が寺で修行して追求するのは心の安寧であり、静を以て浄を求め、自ら完全なものとすることである。太極拳が求めるのは人生の悟りの境地であり、動の中に安らぎと遠々と続く成果(致遠)である。修練において、太極拳の多くの型は坐禅と近くなる。坐禅では虚領頂勁、上陰下陽が求められ、太極拳では気沈丹田、上虚下実が求められるため、禅を修めることと太極拳を練ることで、いずれも身を修め人格を磨くことができるのである。

 今では、毎日坐禅し、太極拳を練ることが山口博永の主な生活となっている。彼は毎日5時間前後の練習を行う。20分坐禅して40分太極拳を練るか、あるいは20分拳を練って40分坐禅するかである。静と動の連続の中で、彼は人生の真理を深く悟っている。
長い数十年で、山口博永は太極拳を追求すると共に、人生の理想を完成させた。自己を完全なものとしようとする過程で、彼は自らを太極に融合させることに成功し、人生のもう一つの涅槃を完成させたのである。(完)

陳氏太極拳 王西安老師に学ぶ 二人の師匠 その3


陳氏太極拳 王西安老師に学ぶ 二人の師匠
王西安大師の門弟135人の紹介されている本が、5年の歳月を経て昨年の5月に中国で出版されました。以下は翻訳です。

「太極的力量-王西安和他的弟子們」 河南科学技術出版社 

  山口博永老師 その3

「幾山河を越え太極の真諦を追い求める」

 「私の太極拳修業の道で最も幸運だったのは王先生の弟子になれたことであり、恩師の身辺で私が得たのは拳技のレヴェル向上のみならず王先生の胸中の暖かさでした。練習の時には厳格な師でしたが、普段の生活の中では父兄のようでもありました。」何年か後、既に著名な太極拳大師王西安の直近弟子となっていた山口博永は、当初の様子を振り返ると、決まって感情が高ぶるのである。日本から中国へ、一太極拳愛好者から名師の高弟になった時まで、山口博永の師を求める道は、曲がりくねってドラマチックであったと云わずにはおれない。
1978年、中日の国交成立に伴い両国の民間組織も友好的な交流を開始した。山口博永は一人の武術愛好者として訪中団に同行した。しかしその回には、希望通りに陳家溝に行くことはかなわず、中原行きは省都鄭州止まりであった。遠方から客人を迎えようと当時の鄭州側は盛大な歓迎会を催し、武術の里の太極拳高手が全員現地にやって来て、日本人のために極めて大がかりな太極拳の表演を行った。連綿として柔らかく、リズムカルで力強い太極拳の表演は再び山口の心を揺さぶり、太極の根源までさかのぼる決心を更に確固たるものとした。
1981年、山口博永は日中友好団に同行して陳家溝を訪れ、太極の郷の拳師達と直接交流することになった。村の高手王西安が登場して彼等のために「炮捶」という套路を表演した時、山口はすぐさま感動し、「この人は3年前のあの鄭州で表演した先生ではなかろうか?」と思った。もとより、3年前に鄭州で出会ってからは山口は陳家溝よりやって来た王先生のことをしっかり記憶しており、3年という時を隔ててすばらしい拳法を見せる王先生に、思いもかけず再開することになった。王先生の表演を見て、山口は最早平静ではいられなかった。王先生の拳はあまりにも素晴らしいものであった。剛柔相済にして滔々と流れが絶えることはなく、広大無辺な大気のようでもあり無限の優雅さを内包してもいた。これこそが真の太極拳であり、太極の根源であり、自分が何年も探し求めてきた太極の魂だ! 山口は平静ではいられず、ただちに携帯していた8ミリカメラを取り出して王先生が演じる炮捶の一部始終を撮影したのであった。
陳家溝より帰国すると、山口博永は王先生を自分の先生として、撮ったビデオを見ながら毎日王先生の拳を懸命に練習した。しかし練習が進むにつれて、困惑し分からない部分もますます多くなっていった。その時山口は初めて、太極拳は真に広く深いもので、その奥底に内包するものは型からだけでは理解し悟ることはできないと分かった。そうした複雑な問題は、先生の教化によってこそ解答が見つかるものであった。王先生に拝師することは山口の更に差し迫った願望となった。
1986年、山口博永は希望がかなって陳家溝を再訪し、正式に王西安に拝師した。山口はそれより、数十年に及ぶ猛練習を始めることになったのである。
20年近くがあっという間に過ぎ、今では王先生の多年にわたる心を尽した指導の下で、山口博永の太極拳技も既にかなりの高みに達している。「王先生に習い始めたばかりの時、先生は非常に真剣に教えてくれ、いつも口で伝えるだけでなく身をもって手本を示され、我々に先生の体内の気の流れに触れさせてくれました。その時に分からなくても、こんなに何年にもわたる猛稽古を経ると、再び身体に触れさせてくれた時には、我々は容易にその道理を理解出来ました。」(次回に続く)

陳氏太極拳 王西安老師に学ぶ 二人の師匠 その2


陳氏太極拳 王西安老師に学ぶ 二人の師匠
王西安大師の門弟135人の紹介されている本が、5年の歳月を経て昨年の5月に中国で出版されました。以下は翻訳です。

「太極的力量-王西安和他的弟子們」 河南科学技術出版社

 その2 山口博永老師
 「ある朝の邂逅より、太極拳は永く少年の心に留まる」

 幼き山口博永にとって、生活は決して芳醇な酒ではなかった。彼がまだ3、4歳の時に父母はもう離婚していて、幼き山口は温情に乏しい環境の中で成長した。大切にされることも少なく、余りにも早くから人情の儚さを味わい、彼は自立し不屈でたくましくなっていった。如何にして更に強大になるか、尊厳をもった生き方をするか、という事も彼の最大の探究事項や理想となっていった。
 8歳の時、彼は偶然ある中国映画を目にし、その中で一人の髪もひげも真白な老人が広々とした黄河の河岸で太極拳を練っていた。その時、彼が太極拳を目にした最初であり、映画の老人とその剛柔相済にして気迫に満ちた拳風は、すぐさま彼を夢中にさせた。彼はぼんやりそれを眺めながらも、心の中に未だかつて無かった激情が沸き上がってくるのを感じた。以後「太極拳」の3文字は山口博永の胸裏に深く焼きつけられ、彼が一生たゆまず追い求めてゆくものとなった。少年の心は強く太極拳を志向したが、少年であった彼は、太極拳は遙か遠い中国に在るもので、自分から10万8千里も離れていて、手が届かぬほど遠いことを知ったのみであった。
 時が過ぎて行き、山口博永は眉目秀麗な青年へと成長した。研ぎ澄まされた生活の中で毅然としていた彼は心の安らぎを追求し始めた。そこで10何歳かの時、彼は仏門に入り仏教を修め始めた。28歳の時、師匠の仏友がカナダより日本に来て、山口博永の師匠の禅寺に住むようになり、毎日師匠と禅宗仏学上の成果を交流した。ある日、山口博永が師匠のその弟弟子に会いに来た時、彼が寺の中庭で拳の練習をしているのを目にし、その一つ一つの動作が山口には格別に熟練して真心がこもったものに感じられた。尋ねたところ、弟弟子が練習しているのは正に太極拳であった。山口はしばらくぽかんとした。太極拳だって?これは自分が夢にまで見てきた拳法ではないか。こんなに長い間苦労して探し求めてきて、今日ついに目にすることができるとは思いもしなかった。本当に、鉄のわらじを履きつぶしても捜し出せないものでも、手に入る時には何の苦もなく捜し当てることができるとは、よく言ったものだ。欣喜して彼はすぐさまその弟弟子から習い始め、その時初めて、弟弟子は本籍が焦作で楊式太極拳を何年も学んでいることが分かった。半年後、弟弟子は日本を去った。その時点で山口博永にとって太極拳はもう忘れることができぬものになっており、夢中になってはまり込むまでになっていた。太極拳を学び続けるために、彼はあてを求めて台湾に行き3年間滞在し、その3年で拳法を学ぶ以外にも太極文化の深さを理解し始めた。師匠より彼が知ったのは、太極拳には多くの流派があり、中国の陳家溝こそが陳式太極拳発祥の地であり全世界の太極拳の根源であるということであった。中国に行って遠き太極拳の根源を訪れたい。その時からそれは彼の最も渇望するところとなった。(次回に続く)