陳氏太極拳 王西安老師に学ぶ 二人の師匠
王西安大師の門弟135人の紹介されている本が、5年の歳月を経て昨年の5月に中国で出版されました。以下は翻訳です。
「太極的力量-王西安和他的弟子們」 河南科学技術出版社
山口博永老師 その4
「太極拳への永遠に尽きることのない愛」
そうした信念と数十年に及ぶ懸命な探求を見ると、山口博永の太極拳への愛は真実だと云わぬわけにはいかず、その意志も堅固だと云わぬわけにはいかない。多年にわたる猛稽古により、山口は既に日本屈指の太極拳大家となっていて、当時の盲目的愛好者から、本格的普及者の道を歩んでいる。彼が創設した太極道交会も今日では、五つの分会を持つ日本のかなりの規模の太極拳協会へと発展し、会員も一万人近くいる。
こんなに長い間、山口博永は探究し自ら修練する道を歩んでいる。仏門に入ってから、彼は人生の真理と生命の意義を追求してきた。本我を探究する立場に在って、彼は仏教と太極を完全に結びつけ、非の打ちどころのない自我を確立した。
ここ何年か山口が教えた会員数は測り知れない。会員達は健康と精神的喜びに恵まれたばかりか、太極拳界でしばしばその腕前を発揮し、各種の栄誉を得たこともある。山口は太極拳とその文化を自らが接することができる所に拡散しており、それを既に生命価値の体現と見なしている。
一般人から人並みより優れた人へ、山口はそうした変化は仏教の坐禅、太極拳の滋養、恩師の無言の思いやりから来ていると言い、それ等すべては彼が人格と生命の昇華を完成させるのを手助けしてくれた。
王先生の近くにいた日々は、山口はいつも恩師の気持ちを感じ取っていた。当人は大師だが王西安は一般人のように素朴な人で、拳を教える時には真剣で厳格だが、日常生活では協調性があって親しみが持て、気心の知れた友人のように人を楽しくさせる。練習の時以外では、恩師はいつも山口と世間話をし、茶を飲み、無限の禅意の中で禅を語り太極を語る。それは師弟二人の最大の楽しみであり、師弟間の高遠なる精神的交流なのである。僧侶は禅の道を重んじ、太極は自然を尊び、名こそ異れども修練の目的は同じである。王先生が語るには、太極拳の柔らかな自然さは一定以上のレヴェルに達すれば、そのまま僧侶の禅となるそうである。人が寺で修行して追求するのは心の安寧であり、静を以て浄を求め、自ら完全なものとすることである。太極拳が求めるのは人生の悟りの境地であり、動の中に安らぎと遠々と続く成果(致遠)である。修練において、太極拳の多くの型は坐禅と近くなる。坐禅では虚領頂勁、上陰下陽が求められ、太極拳では気沈丹田、上虚下実が求められるため、禅を修めることと太極拳を練ることで、いずれも身を修め人格を磨くことができるのである。
今では、毎日坐禅し、太極拳を練ることが山口博永の主な生活となっている。彼は毎日5時間前後の練習を行う。20分坐禅して40分太極拳を練るか、あるいは20分拳を練って40分坐禅するかである。静と動の連続の中で、彼は人生の真理を深く悟っている。
長い数十年で、山口博永は太極拳を追求すると共に、人生の理想を完成させた。自己を完全なものとしようとする過程で、彼は自らを太極に融合させることに成功し、人生のもう一つの涅槃を完成させたのである。(完)