陳式太極拳 王西安大師に学ぶ 太極拳への入門 回想録3


20代の修業時代(道交会の三羽烏)
左から齋藤自照、山口博永老師、大橋直太、三浦方圓

 陳式太極拳 王西安大師に学ぶ 太極拳入門

  太極拳を学ぶきっかけは、澤井先生の中国武術の影響もありましたが、空手時代にウェイトトレーニングを取り入れ、筋力をつけ、体重を増量させるために毎日プロティンを飲んだり、稽古の前に小腹が空くためポテトチップをほぼ毎日食べていた習慣から、血圧がだいぶ高くなっていたので、一つには健康を回復させる目的もありました。
 空手時代は、稽古に20人参加していると、20人全員と組手をするという稽古を行なっていたので、組手を敬遠して辞めていく者が多かったので中々、友人が出来ませんでした。
 太極拳を始めてからは、のちの道交会の三羽烏と言われる大橋さん、斉藤さんと同年代の友人に恵まれ、稽古にも活気がありました。最初の師匠である李春穆先生は、本業は作家として活動しており、とても教養のある方でした。私たちに20代で太極拳だけをやるのは、不自然だと言われ、ヨガ、社交ダンス、また、スキーの合宿なども企画してくれました。いろいろなことを教えてくれ本当に感謝しています。
 ある時、李先生が所属する太極拳団体の指導員クラスの方が陳家という武術的な太極拳を台湾で修業してきた方に学んでいるということを聞きました。当時は、まだ陳式太極拳という源流の太極拳を教える人はいなかったので、とても興味がありました。現在の多くの太極拳の団体の発足者がその方から学んでいると当時聞きました。
私もすぐにでも学びたかったのですが、まだ太極拳を1年くらいしか学んでおらず、指導員でもなかったので半ばあきらめていました。
 すると、李先生は、そんな私たちを見て、その方が千葉県の館山に住んでいるので、うちの会で合宿を組んであげると言ってくれました。李先生はとても斬新な方で、我々を連れて10人くらいで館山合宿を行うことになりました。その時に出会った方が、今の師匠である禅僧の山口博永老師である。 (次回に続く)

陳式太極拳 王西安大師に学ぶ 太極拳との出会い 回想録2


右側が李春穆先生、座っているのが私、三浦方圓(22歳)、左側が山口博永老師

王西安大師に学ぶ  太極拳との出会い

 太気拳の澤井先生が空手道場に来るようになり、私の中にも組手に対する考え方が少しづつ変わってきました。顔面への突き、金的の急所への蹴りがありならば全然間合いが違ってくることを学んだからです。
 私が稽古していた道場は支部でしたが、とても斬新な稽古法を取っており、全日本大会の6カ月間はフルコンタクトのルールで、後の6カ月間は顔面への突き、蹴り、急所への蹴りもありの組手を行っていました。もちろん防具を着けていましたが、澤井先生が顔面の防具を着けると感覚がつかめないので、防具を着けないで組手をするように言われたので、手に軍手を着けて顔面をはたく稽古もしていました。
 当時は、現館長も稽古しに来ていたのを覚えています。私も大学時代の全盛期、「業師三浦」と異名を貰っていましたが、実家の移転によりこの道場を去ることになり、残念な思いがありました。
 この直後、やはり何か身体を動かしたくなり、たまたま広報を見ていたら、近くで太極拳を行っているところがあり、行ってみることにしました。小学校の体育館で日曜の午前中、李春穆先生という背の高い先生が指導されており、動いてみるとゆっくりだけれども、結構きつく、全身運動になると思い入会しました。
 当時、同じ日に大橋さんという同年代の方も入会され、この方と親しくなり、いつしか毎週通うようになりました。まさか、この時太極拳を今日まで続けるとは、思ってもいませんでした。(次回に続く)