今年も残すところ二か月余りとなりました、武州敬心道場の稽古も今回でお陰様で41回目の稽古会が開催できました。
基本の内功を行い、套路を通して行った後、用法の稽古に入ります。
力を入れないで技を掛ける稽古を繰り返し行う、身体で体感していくうちに次第に無意識に動けるようになる。
皆さん切磋琢磨して、お互いに套路から千変万化する技の研究を行う。
大橋顧問も技の研鑽に熱心に取り組んでいます
陳式太極拳に関心がある方は、是非一度、江戸川の太極道交会敬心道場に稽古にいらしてください。
劉雲樵大師と山口先生との思い出
劉大師の噂は、日本にも伝えられ、伝説的な人物となっていますが、この中で今まで劉雲樵という名前を聞かれた方はおられますか !? 手を挙げてみてください ー 確かに結構おられますね。
私が地方で太極拳を教えるとき、「 あなたは、なぜ太極拳を習いたいのですか 」と聞くと、「 太極拳は拳児という漫画で知ったから… 」という人が以外と多いのにビックリします。
その漫画を私は知りませが、その拳児 という漫画の中に劉大師らしき人物が出てくるそうですね。
私が、はじめて劉大師にお会いしたのは28歳のとき、かれこれ40年になります。インド巡礼の旅から日本に帰る途中でどうしても本場の太極拳を学びたいという一心から台湾に立ち寄りました。
そして太極拳の道場を探しました … このいきさつは私の自叙伝をみていただければわかるのですが、最初はなかなか道場が見つからなくて、ようやくにして見つけたのが楊式太極拳でした。
今朝、皆さんと一緒に太極拳を練習したあの公園のあの場所で楊式太極拳を練習したのです。そう、あの時楊式の先生は私が日本で学んだ太極拳を見て、それではダメだと言われて、本場はさすがだな、上には上があるなと、嬉しかったですね。それから一年が過ぎた頃、北海道から高橋さんという方が太極拳を学びに台湾に来ました。
そして、新公園で日本人の私が太極拳を習っているという噂を聞きつけて会いに来てくれました。
その時、彼が云うには「 武壇というところで陳家太極拳をやっているので今日一緒に見に行かないか 」というのです。
そのころの私は太極拳にも色々種類があるという事も知らなかったのですが…その当時日本に武壇の陳家32式太極拳の本が出版されていたようで、 高橋さんはその本を見て台湾に来たそうです。
しかし、高橋さんは突然私に陳家( ちんけ )太極拳というから、私は、えっ…ちんけな太極拳 ? と軽くあしらって 「 私は楊式をやっているからこれでいい、チンケはいらない 」と言ったら、「 陳家はすごい太極拳だから!」と熱心にすすめるから、では見るだけということで、通訳を交えた三人でその日の夜に武壇に行ったのです。
ところが、武壇に着いたその日になんと劉大師に会ったのです!衝撃的な出会いでした!
今日、御参りしたあの写真にその当時の面影がありますが、とにかく武人とはこういう方の事をいうのかと一瞬たじろぎました ー
その時の話し合いの中で、劉大師は、陳家太極拳は弟子の徐紀がやっているから徐紀に会いなさいと言われて、次の日に除紀老師に会いに行く事になりました。
ところが、徐紀宅に着いて、老師の部屋でその陳家の演武を見てこれまたびっくりしましたね! これがあの陳家な太極拳なのか!と・・・
この陳家太極拳が台湾に伝わった経緯は、陳家溝の近在の県知事の息子さんで、杜という方が戦後蒋介石と一緒に台湾に移り住まわれたからですね…。
劉大師は、その昔北京で、陳発科老師の演武を見て度肝を抜かれたいきさつがあって、あの陳家太極拳が廃れてはいけないということで、高弟の徐老師を杜老師につけて太極拳を学ばせたそうです。
今朝、軒下で演武してくださった先生は、杜老師に15歳のころからついて学んだと言っておられましたね ー ところで劉大師は杜老師の動きでは武術として使えないと言って、徐老師の動きを改変されたのです ー それ故あの時、徐紀老師の演武された太極拳は劉大師の改変太極拳なのです。
劉大師も、ある時、日本で出版された徐紀老師直伝の太極拳を、杜老師直伝陳家太極拳とされていた本をご覧になって、これは私の太極拳である ! とハッキリと言い切っておられました。( 1978年に陳小旺老師の前で私が武壇の太極拳を演武したとき陳老師は陳家溝の老架とほとんど同じであると評価して下さり、あなたはもう老架を学んだのだからといって、新架から教えて下さった経緯があります )。
ところで、徐老師に入門をお願いしたのだから、すぐに太極拳を学べるかと思ったらそうではなかったのです。
徐老師は、私の楊式太極拳の動きを見た後に、なんと! まず基本が大事だから単腿から始めるようにと言われたのです。 そして、更に単腿の出来具合を見て 陳家太極拳を学べる素質があるかどうかを調べて決めるとまで言われました。
こっちも開き直って ー それならば基本功からやろうではないか ー ということで、台湾に五年、通算して3年滞在した中で、なんと8ヶ月も単腿の練習に費やしたのです。
実は、その12路単腿を教えて下さった先生が黄偉哲先生ですが、その黄老師が今晩私たちのホテルの方に来てくださるそうです ー 35年ぶりです、嬉しいですね!
この黄老師は、最近 You tube などで拝見しましたが下半身の衰えがまったくありません、非常に素晴らしい方ですから、今日会えるのを楽しみにしていてください。
さて、私が単腿を3ヶ月くらい学んだころに、黄老師が突然! 「 今日劉大師が、あなたの練習を見に来られるから、頑張ってね! 」 と言われた時は少し緊張しましたね ー そしてその夜、劉大師が見ておられる前で、単腿の一路から始めました。緊張の中、動きながらだんだんと劉大師の方に近づいて行くと、突然劉大師は椅子に腰掛けたままで、サッと手足を組み換えて私を見つめられる … 劉大師に打ち込む隙がない!と感じましたね ー 私は更に演武をしながら、そのままずっと道場の外に出ていくのです ー 狭い道場なものですから、単腿をやるとアスファルトの道路のほうに出て行って、2路で又動きながら、そのまま道場に入ってくるわけですね。
行ったり来たりして劉大師に近づくたびに劉大師は構えを変えられる ー こっちから来るとこういうふうに足を組み換えられる・・・
劉大師は本当の武人ですね、その時々で、無意識に体を変えるのですね! 私がすっと立つと、劉大師が風に揺られるようにふっと動く! 最初意味がわからなかったのですが、自然体の間 … あれが本当の武術家の呼吸ではないかと思いました。
私達の歓迎会の宴会のときもそうでした、私がビール瓶を持ってお酌に行こうとしたら、山口は何だ ! と言って、こう構えて睨らんでいる写真を皆さん方も見たことあるでしょ ー もしあの時に、ちょっとでも怪しげな動きをしたり、誤解でもされたら大変でしたよ ー 2cmもの高さのある象牙の指輪をいつも中指につけておられましたからね! ー 「 空手は硬いものをこんなことやって鍛えるが、私はそんなことできない、手がダメになってしまう 」と冗談を言いながら空手の鍛練法の間違いを指摘しておられました。
ご自分は、いざというとき、あの指輪で人体のツボを打つのだ ! とおっしゃって ー 本当の拳法とはなァ、という話しをよく学生たちに聞かせて下さいました … 。
又ある時、私に拳には三つの要素があると話して下さいました ー これは皆さん方にも何回もお伝えしたことです ー
ひとつには心身の鍛錬
二つには芸術性
三つに護身術
このようにあげておられましたが、私が感心したのは、二つ目の芸術性 ー 拳は芸術だということをそれまで聞いたこともなかったので、どうして拳法が芸術なのかと・・・
それは、表演大会などで点数を競い合う程度のものであるかと思いきや、とんでもない間違いで、芸術性の正しい意味は正確な動きは美しいというものです。
もちろん、拳の動作だけではなく、日常の立ち振る舞いまでも美しくなくてはなりません、その美があるかどうかの基準においてその人の練拳が正しいかどうかを見極めるというのです。
この 現量 には感心致しましたね ー 自然(じねん)同体の体 ー これこそが拳なのです。
又、第一としてあげられた心身の鍛錬、 これが練拳修練のもっとも重要な目的であると諭されました。
そうなのです!
若い頃には理解不可能で、格好づけたその場の逃げ口上のようにも聞こえますが、決してそうではなく自らの人生の本当の敵 ! 闘うべき相手は
” 日々に転ずる自身の 陰陽躁鬱 ” そのものなのです!
” 女々しさに陥ることなかれ それは汝にふさわしくない 卑小なる心の弱さを捨てて 立ち上がれ !! ” … …
と
この 凛と立ち上がる ! 為に、私たちの日々の鍛練があるのです !!
人生の ” 逆境 … 生 老 病 死 ” これこそが本当の敵なのです!
この劉大師の教えのいきさつは、 今日の夜に来られる黄老師が、私が単腿を劉大師の前で演武したとき、私に向かってちょっと不服そうに言った言葉
” もうちょっと、動きに殺気を出してやれないの!? いつも楽しそうにやっている ”・・・
と言ったその言葉を受けて、劉大師が ” それでいいのだ!山口は和尚であるから、それでいい ” と言って示された教えです。
あの時、私は内心「 直線的なちょこまかした拳はどうにも好きになれず、おおらかに大空を行く雲のような循環の広がりの拳、太極拳が学たいの 〜 ! 」といつも黄老師に言ってるのになんで今さら … と、 ブツブツとふくれっ面をしていたかもしれませんね …
ところが今回の訪台でその謎が解けた気がしました ー 今回我々の前で演武された黄老師の太極拳は、形の運びは太極拳であっても、直線的な剛拳であり太極拳の勁道とは異なります。
( それにしても、黄老師 ー 昔の技の切れ味にも増して、その拳風は重厚感に溢れ、一家の体貌を成した趣は、30数年の練功の成果が偲ばれます。 さすがです ー ) …
実はこれはその人の持つ気風、気質の問題で、練拳を始めるに当たって最初どの拳を選ぶかは個人個人大事な選択肢なのです ー あの折り、徐老師は基本の単腿の拳風から、その人の拳の素質を読み取り、次にどの拳を選ぶかを見極める必要があると言ったあの言葉にも納得がつきました!
事実徐老師は非情にも、陳家を学びに来た高橋さんには外家拳をすすめ … 私がまた外家拳の真似事をしただけでも厳しく叱った徐老師の考えも今はよく理解できます 」 ー
あの時、劉大師は心身の鍛錬を第一とせよ!と私に言ったあと
「 お前が寺か道場を持った暁には書を書いてあげる 」と約束をして下さいました。
数年後、能忍寺本堂建立に際して、斉藤さんと大橋さんが訪台し、劉大師から、約束の書をいただいて来てくれました。
その書にしたためてあった教えは・・・
精気神 と 仏即是心 ですね…。
「 劉大師は元来仏教徒ではなく、回教徒ですが、仏教寺院に祀られておられたのですね… しかも納骨堂にとは… 子供さんがいなかった為、跡取りがなかったからでしょうか … 少し寂しいですね ー 」
さて ー 今回こういう企画で年始会を台湾でということになり、私がふと気になったのは、精気神の18号にたしか劉大師の教えから書きだしたことを思い出し、その18号を台湾に奉納しようと決めました。その矢先に立教大名誉教授の横山紘一先生から、「 御殿場合宿の時に山口道長が話したのを読みましたが、すごいですねー 」と評価をして下さったのです。
御殿場合宿のときの文とは、もちろん精気神18号です。
家に帰って再度読み返しましたが、我ながら驚きました! 皆さん方も、もう一度帰ったら見てください ー
私は18号を読み返しながら、太極拳とは何か・・・、それがどうして心身の鍛錬になるのか、その過程と結果、その理がここまでまとまっていたのかと我ながら驚き、早速普元さんにメールして、「 この18号を台湾に行くまえに菩提道交会ホームページに出せませんか?」と無理を承知で連絡しました。すると普元さんから了解しましたという返事が来て、それから30分もしない内に見事菩提道交会の太極という項目に入りました。帰ったら見てください ー
今日、寺に18号を奉納させて頂きそして、あらためて劉大師に誓いました!
私は拳を通して、太極の神髄を伝えられる者となります … と ー 皆さんも、また太極を目標として日々練拳をお願いします …
さて、劉大師に書にいていただいた精気神とは、精をもって気と化す ー 気をもって神と化す ー 実はまだそのつづきがあるのですよ、神はすなわち虚に還る … と、それが、精気神の本意ですね ー 虚に還る ー 禅の言葉に ” 円なること大虚に同じ、欠くることなく余ることなし ” とあります。
大虚
虚というのは、虚実の虚ではありません。 万法帰一、 その一とは太極、万物の本源の事です。
拳はそこに帰ると ー これこそが完全なる勝者、ということになるのです。
今日、お参りしながら、私は劉大師の恩に報いる気持ちを新たにしました。
どうぞ、太極道交会です、太極の道に交わる会
これは、劉大師の願いで目標でもあるわけですから、今日、この場を機縁にして、更にお互い精進を誓おうではありませんか !
以上です …
有難う御座いました。
2023年の年末を締めくくる恒例の餅つきが、館山本部道場の自照庵で開催されました。
最初に山口道長についてもらいました。
武州敬心道場顧問の大橋さんもつきました。
私も一年の締めくくりにつかせてもらいました。
上記の写真は、今から40年前に館山で行われていた餅つきの写真です。
真ん中が大橋さん、右が山口道長、左のついているのが私です。
今回同じように撮影してみました。
館山の布良の海は、素潜り105mの記録をもつジャックマイヨールも気にいっていたそうです、山口道長も何回かこの展望台で会ったと言っていました。
私も昔からこの海岸の景色を見て癒されています。
来年も健康に留意して、頑張っていきたいと思います。
陳式太極拳を学ぶにあたり、最初は健康法でも武術としてでも結構です。また、套路(型)についても老架でも新架でも、混元でも、良いと日頃から指導しています。
しかし、もっと太極拳を深めていきたいならば、それは「道」であり、「理」である。
型の中に脈打っているあるもの、それは私たちの言葉で言えば陰陽の変化であり、動静のバランスであり、絶対的というべき「太極理論」ということになります。
太極拳の時だけでなく、日常の生活においても、この陰陽の理を生かしていくことが、大事である。「道」
もちろん太極拳においても、理を用いれば、推手の動きは千にも万にも変化できます。これを「千変万化、理帰一」ということばで示している。
太極拳は、数百年に渡り伝わってきた文化、武芸である。
王西安先生も、よく弓矢を引いて矢を放つとき、どこに的を定めているのかと問われます。
我々は、「道」と「理」に的を定めて、日々研鑽していきましょう。