術の要諦

山岡鐵舟先生が、明治十七年、49歳のときに残された「大工鉋(かんな)の秘術」という内容を紹介します。太極拳の稽古段階の参考にしてください。

大工が鉋(かんな)を使う場合、あらしこ、中しこ、上しこの三つの段階がある。まず「あらしこ」の場合は、体を固め、腹を張り、腰をすえ、左右の手に均等に力を入れて、荒削りをする。つまり、全身の力を込めて、骨を惜しまずに十分に機能させなければ、荒削りはできないものである。

次の段階は「中しこ」であるが、「中しこ」は、ただ全身の力を入れるばかりのものではなく、自分の手並みの加減というもので平らに削り、仕上げにかかれる状態とするものである。しかしながら、「あらしこ」の精神がなければ、この「中しこ」において平らになるものではない。

さらに「上しこ」の段階に至るのであるが、「中しこ」で平らにした上を、さらにむらのないように削るのである。それは、一本の柱であっても、始めから終わりまで一回で削らねばならない。柱を始めから終わりまで一回の鉋がけで削るには、心を落ち着けることを第一とする。

心が安定していなければ、いろいろと支障が生じてむらとなる。むらが出てしまっては仕上げとならず、ここが大工が鉋を使う時の要諦なのである。まず、心、体、業の三つが備わっていなくてはならない。心体業とは、鉋と人と柱との三つである。

人が削ると思うと鉋が滞る。鉋が削ると思うと柱が離れていく。心体業の三つが備わるというのは、鉋と人と柱とが一つところにおいて働くということであり、これが手に入らねば、いくら大工が鉋の稽古をしても、いつまでたっても柱をよく削ることはできないのである。

柱をうまく削るためには、最初の「あらしこ」の稽古が第一で、これをうまく使うことができれば、「中しこ」も「上しこ」も使うことができる。しかしながら、「上しこ」を使うには秘術がある。その秘術というのはほかでもない、心体業の三つを忘れて、ひたすらと行うということである。そうであってこそ、仕上げができるのである。

その仕上げの鉋を仕上げと思わないところに、秘術というか何というか、面白い味わいがある。これを学び得ることができないのであれば、何を言っても無駄なことである。また、「上しこ」の手並みは自得すべきものであって、どのように思ってみても、伝えることはできないものである。

如何でしたか、私たちが稽古している太極拳も、有形に始まり、無形に至り、無形は心機に入る、という段階を必要とします。是非、参考にしてください。

 

 

 

 

 


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