修心要領

山岡鐵舟先生が生きた時代背景

山岡鐵舟先生は、天保七年(1836年)に江戸の本所で生まれ、明治二十一年(1888年)七月十九日、午前九時十五分、坐禅のまま大往生を遂げるまで、幕末から明治にかけての波乱に満ちた時代を駆け抜けた53年間の人生でした。

九歳ではじめた剣、そして書、二十歳を過ぎてからはじめた禅の修行を続け、明治十三年、天龍寺の滴水和尚から大悟徹底し印可を受ける時に、鐵舟先生は四十五歳になっていた。

武士的なものの名残りさえ捨てられ、忘れ去られかかっている明治時代に、鐵舟先生は、少年のころからの目的を一貫して追い求め、ついに剣禅書を極めることになる。

今回は前回に続き、山岡鐵舟先生が、安政五年(1858年)23歳の時に書かれた「修心要領」を抜粋して紹介します。

剣法を学ぶ目的

人間の心と宇宙は同じでないはずがない。心が宇宙と同じだということになれば、天地万物、山川も河も海も、われわれの身体と同じことになり、四季の変化等すべては、世の出来ごとに顚倒(てんとう)があり、人間の関係に順逆があるのは、人生に陰陽があるのと同じである。

人間の生死は昼と夜の区別に比べて考えられるわけだ。そういうわけなのだから、何を好きだ嫌いだの、気に病んだりすることがあろうか。ただ道ということに従って、あるがままにまかせるばかりでよいのだ。この点を深く考えてみなければならない。

 

世の人びとが剣法を修業しているのは、おそらく敵を斬ろうとするためのものにちがいない。わたしの剣法修業はちがう。わたしは、剣法の呼吸といわれているものを得て、神妙の理に悟りたいものだと思っているのである。

わたしが剣法を学ぶのは、ただ心胆錬磨の術を積み、心を明らかなものにすることによって、自分もまた天地と同根一体なのだという理を釈然と理解できる境地に到達したいという目的があるだけである。

如何でしたか、私事ですが、私も21歳のとき、師匠の山口博永老師から太極拳と禅を学び、5年後の26歳の時に得度(拝師)し、同時に書を学び始めました。

なぜならば、その当時、古本屋で買い求めた鐵舟先生の内弟子の小倉鐵樹さんが書かれた「おれの師匠」を読んで、強い衝撃をうけ、強さだけを求めていた時代から、鐵舟先生のような生き様に憧れ、第二の発心が始まったからである。

また当時、師匠の山口老師からも「人生をいかに生くべきか」を問われており、武術の強さを求めていた私に「強さだけでは虚しい」と言われ、気づきを与えられた時代でもあった。

 

1987年(昭和62年)4月5日、道友達の見守るなかで、太極拳の正装着を着用して三拝し、得度(拝師)する。

山口博永老師(40歳)、三浦方圓(26歳)

 


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