太極拳の心得 その1

太極とは先人が陰陽の理に基づき無名を以て名とした故に太極と言われる。太極拳の剛と柔、開と合は、丁度太極の陰陽の理に適い矛盾の統一を形成している。

明朝洪武七年(1374年)始祖卜耕は、読書の余暇に、陰陽開合運転周身の術を子孫に教え、以て消化飲食の理法となし此れは太極に基づく学問で、故に太極拳と呼ぶ。

一、太極拳を学ぶには敬を以て為す。不敬であれば外は師友を疎かにし、内は身心を疎かにする。身心不拘束であれば芸を学び得る事は到底難しい。(敬心道場は、ここから命名されています)

一、太極拳を学ぶには狂いがあってはならない。狂えば事故が起こる。手が狂ってはならないばかりでなく、言葉遣いにも狂いがあってはならない。。容姿風貌には儒雅な気風を保つべし。外容の狂いは内容を失う事につながる。(武徳のない者に伝えたら、単なる凶器になってしまう。)

拳理と十三勢の融合

太極拳の拳理に則り、身体を動かし、十三勢の法則を結びつけて、陰陽、開合、剛柔、松緊、虚実、長短、収放、昇降、叶納、動静、蓄発、伸縮等の中で、太極の陰陽の変化を体得していきます。

 

先人も曰く「拳を稽古するには、まず拳理を理解しなければならない。拳理に通じれば、功法(内功)に精通することができる」

功法と套路と推手の三つを拳理と融合して稽古していかなければならない。なぜなら、この三者を相互に稽古し、助け合ってこそ、内外合一と上下相随に達することが出来るからである。

 

拳理は練功の指針であり、功法は実践の中で積み重ねた成果である。

王西安老師の三式の動画を掲載

ホームページの「王西安老師の紹介」の一番最後の所に、王西安老師と一緒に稽古している三式の動画を掲載しました。2分27秒と短い動画ですが、参考にしてください。

陳氏太極拳の拳理

山口先生が1979年に中国大陸に渡った際、陳氏太極拳の嫡子である陳小旺老師から、陳氏太極拳の拳理の説明があったそうです。

陳老師曰く 「人人各居 一太極」(人は全て本来太極にある)

この理を聞いた時、山口先生は拳禅一如の理、いや禅からみて禅そのものであったので、嬉しくなって陳老師に禅問答を試みたそうです。

結局のところ「太極拳とは何か」

陳老師曰く 「剛柔相済」と問う

「ならば、太極拳は何を学ぶのか」

陳老師は我が意を得たりとばかりに、表情を和ませ、「無に帰ることにある」と問う

禅僧の山口先生は、さすが陳氏の嫡男、髄を得たりと感動したそうです。

陳氏太極拳の拳理に「万有の展開は陰陽二力の作用であり、人もまた然り、それ故に太極拳を学ぶとは陰陽の理法を学ぶことである」と解かれてあります。

 

天地同根 万物一体

私が尊敬している先人に幕末の山岡鐡舟先生がいらっしゃいます。「剣・禅・書」を究められた方で、江戸の無血開城を成し遂げた方です。

勝海舟さんが山岡鐡舟さんついて、天地同根 万物一体を体現した男だと語ったそうです。

鐡舟先生は、剣道を修行することは「その真理の極致に悟入せんことを欲し」「天道の発源を究め」「万物太極を究むる」ことを目的とし、そこに精神的な悟りを求めたのである。

私も20代の頃、師匠の山口先生に陳式太極拳で強くなりたいと言っていました。

山口先生は、強さだけを武術に求めていたのでは、虚しいと言われました。強さを得たとしても、人はやがて年老いて死んでいく。生死問題について、人生をいかに生くべきかと問われたことを思い出します。

うわべだけの勝敗を争うのではなく、物事の根本を理解することが上達につながります。

打拳の道は終始敬という字の外ならない。敬を以て専心に志を通せば達成出来ない事はない。

十三勢の法則とは

太極十三勢とも言い、棚,履,挤,按,采,列,肘,靠,進,退,顧,盼,定と言う十三の文字からなっているのです。前の八字は八種類の手法で、後ろの五字は五種類の歩法 をさす。

この十三勢はすべての太極拳の套路、推手に貫通しています。十三勢とは八卦と五行であって「八門五歩」とも称される。

太極八法は四正四隅に分けられ、五行は金、木、水、火、土である。

つまり宇宙の法則を解き明かす古代中国の叡智である易から生まれた言葉なのです。武術を学ぶ究極的な目標は、宇宙の法則を自分の身体で表現することであり、天地同根、万物一体にある。

黙念師容(もくねんしよう)

若き日の山口先生と武壇の劉雲樵大師  

武術を学ぶには、優れた武術家の動作をみなければならない。

そしてその動きを頭に焼きつけて稽古していけば、それが自分の基準となるという意味。

中国武術界では昔から「人より三年修業が遅れても、三年かかって良師を探せ」と言われます。

私も毎年訪中している理由は、本やDVDでは感じることが出来ない、王西安大師の風格、毎年段階的に必ずいろいろな気づきを与えてくれます。

身体を触らせてくださり、気の使い方、放松のタイミング、単式練習における歩法、眼法、手法など、絶対に忘れるなと言われます。

「黙念師容」を念頭に置き、老師から学んできた教えを、自分の身体に丸ごと浸透させていきたいと思います。声聞熏習

 

私も今日、二人の良師に恵まれ、日々稽古出来ることに感謝しています。

 

 

王西安拳法研究会 日本分会発足時代

太極道交会 敬心道場 4月稽古

4月の稽古は、コロナの感染拡大を防止するため、区民施設は5月6日まで全館閉鎖となりましたので、中止となります。

皆さん、しばらく稽古できませんが、自主稽古で身心を鍛錬して、コロナに感染しないようにご自愛ください。

 

 

 

発勁について  その5

発勁を作用の面から分析してみると、4種類の発勁があげられる。

1つ目は、例えると回転している車輪のへりの部分で勁を発して、相手を飛ばしてしまう用法。

2つ目は、車輪の内部のスポークから発する勁で、スポークの中に入れられたものは、瞬間的に切断されてしまうような用法。

3つ目は、鑽頭勁といって、例えると錐で穴をあけていくような勁で、掩手肱捶の勁がこの用法。

4つ目は、崩炸勁といって、例えると爆弾が破裂したような勁で、相手が自分の腰に抱きついてきても、勁を発して倒すことができる用法。

以上の4つの作用がありますが、陳式太極拳の発勁は加速度であって、力を余計に加えることではないので、稽古の際は、力まずに工夫して研鑽してください。

 

発勁について  その4

陳式太極拳の発勁法には、2種類の方法があります。一つは借法といって、相手の勁を借り、次に相手の勁を撥ね返す方法です。

もう一つは、截法といい、相手の勁を断ち切る方法です。もちろん借法の中に截法があり、截法の中に借法があります。借法の方向は相手の勁と同じ方向で、截法の方向はその逆になります。

 

発勁は腰と胯の速い回転によって発せられる勁である。例えると「でんでん太鼓」の動きに似ています。

また、借法と截法を例えるならば、ボールを受け取るときの動作に似ています。つまり、手をボールの方向に随いながら受け止め(借法)、それから別の方向にボールを投げる(截法)ことに似ています。