30年前の太極接心会

 今から30年前、平成2年4月28~30日に太極道交会本部道場で行われた接心会(せっしんえ)についての内容を、前回同様、お便り「敬心」から掲載したいと思います。今後のお役に立てれば幸いであります。

「接心」とは「自分の心に接する」という意味で、「会」として集うのは「大衆の威神力」によって、お互いを励まし、一人一人が事を成し遂げられる為である。

今回は太極拳に重きを置き、1炷[ちゅう](約1時間)の間に動功(太極拳の動き)を40分、坐禅15分のスケジュールで組まれた。

前日の晩に睡眠をとった後、夜中の1時から4時まで(草木も眠る丑三つ時に昔の拳法家は鍛錬した)3炷、3時間仮眠ののち、夕方6時まで7炷の合わせて10炷を行なった。

その間の心得としては、まず「無言」であること。つまり相手と話しをしないわけで、常に気持ちを自分に向けることに専念しなければならない。

1炷の中では、時の合図で太極拳を始めれば、只ひたすら太極拳、坐禅になれば、只ひたすら坐るだけである。他のことは一切無用である。

接心会における太極拳の要領は、普段よりも高い姿勢で続け、長丁場を乗り切ることである。また、1炷に套路を3~4回繰り返すが、あまり外形にはこだわらず、自分の内面の動きをとらえる様にする。そうすることで、普段の練習でついた癖も取れてくるし、動きの中に気づかされる点も少なくない。黙々と動くことである。

また、接心を通しての太極拳の課題を一つ持っておくことも大切である。事前に山口先生から動作の欠点などを課題として与えられておくと、接心中に集中しやすいと思われる。

全体的な印象としては、昼過ぎ頃の7炷目が最も辛い。暗いうちは、集中力も出るが、この頃、疲れもたまってくるし、集中力も低下する。しかし、身体自体は、太極拳にとっぷりとはまってきたところなので、いわゆる佳境にさしかかった、この時こそ頑張り時なのである。(2日、3日と続けると段々と身体は楽になる)。太極拳の動きにまかせる感覚をつかみ、大切な課題を得ることが出来た。

接心会の雰囲気は、ある程度の張りつめた緊張感が漂い気分的に充実する。そこで何よりも大切なのは、何のための接心会なのか、自分の中で整理がつくように山口先生や、経験者に相談しておくことだと思う。

「動中の工夫」すなわち太極拳と、「静中の工夫」すなわち坐禅をもって、とかく流されがちな日常生活の一瞬一瞬に工夫してゆくことが道交会の目的である。

陳式太極拳の風格

コロナの感染拡大のため、自主稽古を余儀なくされている方々のために、今から30年前に地方の会員の方々に発送していましたお便り「敬心」の内容を掲載したいと思います。

陳式の名家、洪均生老師の「太極拳品」を紹介します。

1、端厳(初まりは厳格さを)・・・学ぶ者は鍛錬の中で厳しさ、難しさの中から規律を求め身につけねばならない。ゆえにまず厳格を主とする。拳は小さいが、身体を強くする、眼、身法、手法の規律を守り、動静開合、剛柔曲直、は螺旋の協調、対立物の統一である。

2、圓活(穏やかに)・・・拳を学ぶには規律を厳守するが、拘束ではない。厳格さの中に円転する穏やかさに注意すること。太極運動は、円周から離れず、上下相随でまず螺旋による弧の線で転換させ、内外へ循環をはかる、虚実はお互いの根となる。

3、軽妙・・・穏やかさは拘束を解く方法であり、軽妙さは穏やかさの効果となる。

4、沈着・・・軽妙の後に沈着を挙げたのは、目標もなくふわふわとするのを恐れるからである。沈着にする鍵は、頂勁にして身体を正し、重心の平衡を失わず、眼法は目標を注視し、動中の静を保つこと。

5.雄大・・・沈着さは内勁であり、雄大さは気勢である。両者が相互に表裏をなすには、規則の反復鍛錬に徹すれば、おのずと堺地に到する。

6、超逸・・・雄大さのみに片寄れば粗野となる。謙虚に謹しみ深くし、超逸したものを求める。

7、精密(充実)・・・超逸は規則を破ることではない。精密に技を研磨すれば空きのない充実に到する。

8、纏綿・・・充実とは小さめにまとめることで、これを調節するのが纏綿である。対立物の統一法則を保持するためである。

9、精神・・・外形の運びは充実した纏綿で表わし、精神は厳粛かつ活発さを表現する。

10、含蓄・・・精神状態が外に出過ぎてしまえば欠点となる。つまり含蓄が必要となる。

11、悠揚・・・かたくなな含蓄ではなく、おおらかにして悠揚迫らざるもの。

12、深遠・・精励すればするほど湧き出る泉のように尽きぬ妙味がある。

13、自然・・・力強い書の筆法をそのまま、拳法に移せば自然の妙となる。

太極拳は伝統的運動種目に属するが、理論と実践には完璧な芸術性を具えており、さらに体質の向上に適した運動法でもある。

「詩には詩の品格があり、書には書、拳にもまた品格がある。拳の風格の良し悪しは、その人の人格をもって基準となる」

稽古日程の変更

コロナの感染拡大の防止のため、江戸川区の区民施設全館が5月31日(日)まで閉鎖になりました。

ご理解の程、よろしくお願い致します。

 太極道交会 敬心道場   三浦 方圓

五層の功夫 その3

五層 唯有五陰並五陽,陰陽不偏稱妙手(五陰五陽。五陰五陽を合わせて陰陽片寄らざるとき妙手という。)一挙手一投足陰陽片寄らず、静は山の如く、動は流水に似たり。内気を全身にめぐらし四体の内に意を潤す。

 

精は内に形は外にあり千変萬化尽きる所なし一運一太極。一つを運用すれば一つの太極となり、どこに触れどこを打つもまた自ら知らず、全身拳のなき所なし。左右どちらに撃出ずれども心の欲する所に従って自然にして無理なし。この段階を無圏という。

太極拳泰是道乎 道不遠人 人自遠

太極拳は無に至る大道であり、大道無門にして人を遠ざけず、人こだわりて自ら遠ざかる。

人人各居一太極但看用功不用功

おのおの人はすべて太極に住しながらも、生命の発露に錬磨による成果の差が看取される。

言教は所詮、指月の指であって実践の中で体感、実感していきましょう。(因果一如)

五層の功夫 その2

三層の段階より三年(千日行)以上の錬磨を重ねて四層となるが、百錬の精金を鍛えんと欲するに似て、わざに徹し、極め来たり極め去らねばならない。かくて透得した境地が四層となり、大圏より小圏に至る。

四層 四陰六陽類好手(好手に類する 小圏)

この段階において初めて太極拳が理解できる。推手のとき、化勁も発勁も自在にでき、意は相手の予測の先にあり、相手の力に応じて相手を制す。相手に接するとき、相手に自分の動きがわからない。

己を捨てて相手に従うという意味は、相手の実を避けて虚を打つ意味である。

動作は小さく目標は的を得て攻撃の力が大きい。相手を押し出したときにおいても、自らは動ぜず自然である。陰陽自在、時、剛、と化し、時、柔と化す。

五層の功夫 その1

太極拳は、一陰九陽から二陰八陽、三陰七陽、四陰六陽、そして最終的に五陰五陽と相互作用を学ぶ力学です。

一層 一陰九陽跟頭棍(空架式) 姿勢を正し速度一致、虚実を明らかに、無心にして動く段階。水門を開くが如し。

二層 二陰八陽是散手(ふらつきが激しい)。二層の目的は内勁(纏糸勁)を発する事を稽古する段階。

三層 三陰七陽尤覺硬(なお硬さを感ずる)意をもって気を行じ、身体のあらゆるところに勁をめぐらす事のできる段階。形の修錬により外形のできた今は、外形を捨離して内勁により動く事ができる(内勁により外形を促す)。すなわち内勁が動かないとき外形も動かず内頸が動くとき外形が動く。

 

ここにおいて気血を全身にめぐらすことができ、自信がつく、この段階で化勁がわかり武術となる。太極拳の奥義を身につけて初めて老師より離れて良い(放行)。

しかし内気を貫き通す事ができてもまだ心の欲するままの動きが不自然である(相手の攻撃に対してふらつきがあり、また自らの攻撃にも力の硬さが少し残る)。 次回に続く

太極拳の心得 その3

の道を陰と陽と言い、立の道を柔と剛と言う。立の道を仁と義と言う。

打拳の時の自身の消息として 今ここ

が虚領頂勁

が気沈丹田

が純粋知性

となり、これが天地人合一です

落ちる重力が昇る力となる、この相互作用の力学で神性意識に帰り、万物一体の太極を知るのです。

太極拳を学ぶ者は、陰陽の理をしっかり学び、実践していくことが大切です。

陰と陽は同根のものであり二つに分けられないとあります。陰陽を、開と合に例えると、太極拳の動作において開は合から生まれるし、合は開から生まれます。つまり、開のためには合が必要だし、合のためには開が必要不可欠なのです。(陰陽二気の相合作用)

 

陰陽相対とは別々の事柄ではなく、「相互作用」と身をもって気づき、知るために、調心、調息、調身の三位一体の行が必要となってくるのです。

太極拳の心得 その2

一、太極拳を学ぶには驕りを慎まなくてはならない。驕れば損を招く。俗語にも、「天外に天あり」と言う。謙遜な心こそ人の教えが耳に入るもので、誰でも良い忠告を与えてくれるものだ。多くの忠告に耳を傾けるようになれば大したものである。

一、太極拳を学ぶには、細心な思考を必要とする。よく考えなければ道理もはっきり理解出来ず、前後の道筋に暗く、一気貫通の意味が分からないから太和元気の原理を学び得ることが出来ない。

一、太極拳を学ぶ事は陰陽開合のの理を学ぶ事である。吾等の身体の中にはもともと自然に陰陽開合の理が存在しており、此れに逆らうことは出来ない。(伝授者は規則を教える。それは即ち大中至正の理である。)

太極拳の心得 その1

太極とは先人が陰陽の理に基づき無名を以て名とした故に太極と言われる。太極拳の剛と柔、開と合は、丁度太極の陰陽の理に適い矛盾の統一を形成している。

明朝洪武七年(1374年)始祖卜耕は、読書の余暇に、陰陽開合運転周身の術を子孫に教え、以て消化飲食の理法となし此れは太極に基づく学問で、故に太極拳と呼ぶ。

一、太極拳を学ぶには敬を以て為す。不敬であれば外は師友を疎かにし、内は身心を疎かにする。身心不拘束であれば芸を学び得る事は到底難しい。(敬心道場は、ここから命名されています)

一、太極拳を学ぶには狂いがあってはならない。狂えば事故が起こる。手が狂ってはならないばかりでなく、言葉遣いにも狂いがあってはならない。。容姿風貌には儒雅な気風を保つべし。外容の狂いは内容を失う事につながる。(武徳のない者に伝えたら、単なる凶器になってしまう。)

拳理と十三勢の融合

太極拳の拳理に則り、身体を動かし、十三勢の法則を結びつけて、陰陽、開合、剛柔、松緊、虚実、長短、収放、昇降、叶納、動静、蓄発、伸縮等の中で、太極の陰陽の変化を体得していきます。

 

先人も曰く「拳を稽古するには、まず拳理を理解しなければならない。拳理に通じれば、功法(内功)に精通することができる」

功法と套路と推手の三つを拳理と融合して稽古していかなければならない。なぜなら、この三者を相互に稽古し、助け合ってこそ、内外合一と上下相随に達することが出来るからである。

 

拳理は練功の指針であり、功法は実践の中で積み重ねた成果である。