陳氏太極拳 王西安老師に学ぶ 二人の師匠 その2


陳氏太極拳 王西安老師に学ぶ 二人の師匠
王西安大師の門弟135人の紹介されている本が、5年の歳月を経て昨年の5月に中国で出版されました。以下は翻訳です。

「太極的力量-王西安和他的弟子們」 河南科学技術出版社

 その2 山口博永老師
 「ある朝の邂逅より、太極拳は永く少年の心に留まる」

 幼き山口博永にとって、生活は決して芳醇な酒ではなかった。彼がまだ3、4歳の時に父母はもう離婚していて、幼き山口は温情に乏しい環境の中で成長した。大切にされることも少なく、余りにも早くから人情の儚さを味わい、彼は自立し不屈でたくましくなっていった。如何にして更に強大になるか、尊厳をもった生き方をするか、という事も彼の最大の探究事項や理想となっていった。
 8歳の時、彼は偶然ある中国映画を目にし、その中で一人の髪もひげも真白な老人が広々とした黄河の河岸で太極拳を練っていた。その時、彼が太極拳を目にした最初であり、映画の老人とその剛柔相済にして気迫に満ちた拳風は、すぐさま彼を夢中にさせた。彼はぼんやりそれを眺めながらも、心の中に未だかつて無かった激情が沸き上がってくるのを感じた。以後「太極拳」の3文字は山口博永の胸裏に深く焼きつけられ、彼が一生たゆまず追い求めてゆくものとなった。少年の心は強く太極拳を志向したが、少年であった彼は、太極拳は遙か遠い中国に在るもので、自分から10万8千里も離れていて、手が届かぬほど遠いことを知ったのみであった。
 時が過ぎて行き、山口博永は眉目秀麗な青年へと成長した。研ぎ澄まされた生活の中で毅然としていた彼は心の安らぎを追求し始めた。そこで10何歳かの時、彼は仏門に入り仏教を修め始めた。28歳の時、師匠の仏友がカナダより日本に来て、山口博永の師匠の禅寺に住むようになり、毎日師匠と禅宗仏学上の成果を交流した。ある日、山口博永が師匠のその弟弟子に会いに来た時、彼が寺の中庭で拳の練習をしているのを目にし、その一つ一つの動作が山口には格別に熟練して真心がこもったものに感じられた。尋ねたところ、弟弟子が練習しているのは正に太極拳であった。山口はしばらくぽかんとした。太極拳だって?これは自分が夢にまで見てきた拳法ではないか。こんなに長い間苦労して探し求めてきて、今日ついに目にすることができるとは思いもしなかった。本当に、鉄のわらじを履きつぶしても捜し出せないものでも、手に入る時には何の苦もなく捜し当てることができるとは、よく言ったものだ。欣喜して彼はすぐさまその弟弟子から習い始め、その時初めて、弟弟子は本籍が焦作で楊式太極拳を何年も学んでいることが分かった。半年後、弟弟子は日本を去った。その時点で山口博永にとって太極拳はもう忘れることができぬものになっており、夢中になってはまり込むまでになっていた。太極拳を学び続けるために、彼はあてを求めて台湾に行き3年間滞在し、その3年で拳法を学ぶ以外にも太極文化の深さを理解し始めた。師匠より彼が知ったのは、太極拳には多くの流派があり、中国の陳家溝こそが陳式太極拳発祥の地であり全世界の太極拳の根源であるということであった。中国に行って遠き太極拳の根源を訪れたい。その時からそれは彼の最も渇望するところとなった。(次回に続く)

陳氏太極拳 王西安老師に学ぶ  二人の師匠 その1


1990年代 山口老師と方圓

 今回より、私の師匠である山口老師が、昨年中国で出版された王西安老師の門弟を紹介した本、「太極的力量」の翻訳を紹介したいと思います。

山口 博永
「永遠に止むことのない探究と情熱」 

 彼はその名も日本の太極拳界に聞こえる。8歳より太極拳に惹かれ、太極の真理を探究するために遠い異国の地に渡り、その足跡は世界の隅から隅まで及び、度々苦難を経験し、ついには太極大師、王西安と謁見することがかない、その直近の弟子となり、恩師に付いて必死に練習し今に至っている。一生に近い探究により、彼は既に日本に太極拳を広める中心的な力となっており、日本最大の太極拳協会である太極道交会を創設し、その会員は何万人にも登る。夢中になってから広めるようになるまで、彼は人と異なる超現実的な経験によって太極拳の永久にして美麗なる夢を実現している。(次回に続く)

陳式太極拳 王西安大師に学ぶ  回想録9完結


王西安大師に学ぶ 回想録9完結

 今回9回に渡ってこのような回想録を書いた理由は、多くの方々に太極道交会の変遷を知ってもらうためです。そしてこのブログを見た方が、この会で陳式太極拳を始めてみようかな、というきっかけになれば良いと思ったからです。
 今までのブログを見てもらうとわかる様に、私がフルコンタクトの空手道場で太気拳の澤井健一先生に出会わなければ、中国武術に関心を持たなかったし、それをきっかけに太極拳を地元の李春穆先生に習っていなければ、師匠の山口博永老師に出会うことが出来なかったと思います。そして山口老師が長年、王西安老師について直近弟子として真剣に修練してきたお蔭で、私も王西安老師に直接学ぶことが出来る様になりました。
 まさに縁尋機妙、縁がさらに良い縁をもたらす結果になりました。是非このブログをきっかけに、新たな良い縁がもたらされることを期待しております。
 初心者大歓迎、是非一度体験にいらしてください。(完結)

陳式太極拳 王西安大師に学ぶ 二人の師 回想録8


王西安大師に学ぶ
 回想録8
 1980年代までは、山口博永先生が王西安老師から学んできたことを教えてもらっていましたが、1990年代からは次第に直接、王西安老師から学ぶ機会が多くなりました。特に印象的だったのは、発足15周年を記念して敬心道場のメンバーだけで訪中したときでした。少人数で行ったにもかかわらず王先生はとても歓迎してくださり、夏の暑い中、毎日、王西安学校の体育館で熱心に指導してくださいました。
 私は王先生のとても熱心な指導に時を忘れ、練習着の上半身だけでなく、下半身のズボンやシューズの中まで汗でびっしょりになっていたことを、今でも鮮明に思い出します。
 私の学んで来た師である山口先生と王先生は、とても共通点があります。普段は寡黙でシャイなところがありますが、両先生とも、とても酒豪で、私は最初あまりお酒は飲めなかったのですが、稽古が終わると毎回一緒においしいお酒を飲んでいるうちに次第に私も強くなっていきました。山口先生のお蔭で道交会は酒豪が多いので、訪中すると王先生も気持ちはよくわかるが、飲みすぎに注意しろと言われるくらいよく飲むようになりました。
 王西安先生も親近感をもって次第に私達に接してくださるようになり、私は王先生の卓越した陳氏太極拳の技量だけでなく、人望があるおおらかな人柄に惹かれ、いつしか毎年訪中するようになりました。(次回に続く)

陳式太極拳 王西安大師に学ぶ 敬心道場 回想録7


王西安大師より直接指導を受ける 2016.3月

 回想録7
 1987年、山口道長の指導する東京、横浜、館山の会が連合して、太極道交会が発足した。その後古くからの弟子達も次第に港支部、川崎支部と支部を持つようになり、会が活気づいてきました。
 私は、山口道長について、ずっと習う立場でいたいと思っていましたが、会を持つように言われ、平成5年に江戸川支部を発足しました。のちに山口道長に許可をもらい江戸川支部を敬心道場と命名することにしました。
 道交会の各支部は、それぞれ各支部長の判断で稽古内容を選択しています。山口道長が長年に渡り学んだ套路の中から、武壇系の単腿を指導する会、陳小旺老師の新架式を指導する会、馮志強老師の心意混元を指導する会とそれぞれバラエティーにとんでいます。
 敬心道場では、山口道長が一番長く学んできた王西安大師の老架式を今日までずっと稽古しております。
 (次回に続く)

陳氏太極拳 一代太極拳大師  王西安老師に学ぶ


日頃より師匠の山口博永老師より内勁について学んでいますが、王西安老師は、事細かく各動作の際、肩、胸、股関節周辺はどのように放鬆するのかを、身を持って教えてくれます。
 拮抗状態にありながら、筋肉はリラックスしていることがよく理解出来ます。また、歩法によって間合いを詰めることも大切なことなので、忘れないで毎日しっかり修練するように言われました。
 稽古時間を増やしても、盲目的に行っていては意味がない、意念を用いて今回あたえられた課題をしっかり身に着けて行きたいと思います。

陳氏太極拳 一代太極拳大師  王西安老師に学ぶ


意念の段階まで放鬆(ファンソン)するように、徹底する。

 師匠の山口博永老師が純粋に陳氏太極拳の稽古を続け、太極拳の精髄を学ぶために長年にわたり訪中してきたので、王西安大師も今日まで同志、身内として厚く信頼してきました。
 そのお陰で、私たちも王西安大師より毎年、気を養い、内気と動作を関連させるための内勁に関するる高度な指導を受けることが出来るようになりました。


合勁における肩や胸の放鬆状態を指導して頂く

陳式太極拳 王西安大師に学ぶ  太極道交会発足 回想録6

右から山口博永老師、王西安老師・三浦方圓 1992年訪中

山口老師と月1回、館山での稽古のほかに、先生が教えている練習会にも参加する様になり、日曜日の午前中は横浜の会、午後からは東京の会にも参加するようになりました。
そして先生に出会ってから5年後に山口老師から得度(拝師)するように言われ、1987年、私が26歳の時、山口老師が得度した日と同じ4月5日に館山で拝師しました。
山口老師は、その間も大陸に渡り毎年勢力的に陳小旺老師から7年、王西安老師から17年に渡り課題を与えられて修業していました。武術雑誌などにも「隠れた名師」と評され、他の武術団体からも、いつ山口老師が表舞台に出てくるのかと警戒されたこともありましたが、そんなことは全く考えずにひたすら稽古に励んでおりました。
しかし、先生の練習会が次第に増えてきたので、私たち有志が先生と相談して、館山・横浜・東京を合同して「太極道交会」という名前を付けてもらい、1987年会が発足するようになりました。(次回に続く)

陳式太極拳 王西安大師に学ぶ 山口老師と稽古 回想録5

山口博永老師と三浦方圓の推手稽古

山口博永老師と毎月1回、館山で稽古することになり、土曜日の夜に先生宅に伺い挨拶をしてから、下の吊り橋を渡ったところにあった山小屋で1泊して、早朝5時から山頂の本堂まで走って行き、坐禅を行い、その後、作務の清掃、時には草刈りを1日行ったりもしました。今日は稽古はないかと諦めていると、帰りぎわみっちりと稽古してくれました。
私はまだ大学生だったので時間があり、春休み等に一週間くらい一緒に稽古させてもらいました。早朝5時から2時間、午前中2時間、午後2時間、夕方2時間と1日8時間以上稽古しました。
当時、私は22歳で山口先生は36歳でしたので、先生も真剣に発勁で胸に体当たりしてきました。空手時代の打撃と異なり、内臓が締め付けられるような衝撃を受けたことを覚えています。
私はいつしか、黙々と稽古して身体を練っている先生の姿を見ているうちに、私もこの求道の太極拳の道を歩んで行こうと決意しました。(次回に続く)

陳式太極拳 王西安大師に学ぶ 山口老師との出会い 回想録4

山小屋で修業中の一コマ「人生いかに生くべきか」を熱く語る
 山口老師(38歳)と三浦方圓(24歳)

李先生が企画してくれた館山合宿によって始めて、禅僧の山口博永老師に会うことが出来ました。第一印象はとても寡黙で、まさに修行僧という雰囲気でした。
当時、山口老師は36歳くらいで禅と太極拳の共通性を感じ、静と動を兼ねた修行を行ない、すでに台湾の武壇という武術団体で八極拳の達人、劉雲樵大師に可愛がられ、そこで高弟より太極拳を約5年間に渡り学んできていました。
私たちは中々、太極拳を教えてほしいと言えないでいると、若い人はまず足腰を鍛えることが大切だから単腿をまず稽古しましょうと言われました。山口老師も武壇で最初に単腿を毎日繰り返し8カ月間稽古させられたそうです。各人の動きを見てどの拳法がその人にむいているか、武壇の指導者が判断されたそうです。
山口老師は幸運にも希望の太極拳を学ぶことが出来、その後、中国大陸に渡り、陳式太極拳の四天王の陳小旺老師、王西安老師に学ぶことになります。
私たちは、この合宿で単腿十二路を学び、それぞれが忘れない様に自分たちの型の担当を決めて稽古しました。この合宿がきっかけとなり、私たち若い20代の3人はいつしか月に1回館山を訪れて、山口老師と一緒に稽古させてもらうことになりました。(次回に続く)