館山の山小屋で寝泊まりして、早朝から2時間、午前中2時間、午後から2時間、夕方2時間の1日約8時間の稽古を行っていた時代。左側の立っている方が山口博永老師、右側が三浦方圓。
右が三浦方圓
陳式太極拳の稽古において、三つの段階、三種の勁の違い、それぞれの段階に応じた三種類の稽古方法の科学的原理のことをさします。
初心者は、套路を中心とした「明勁」の稽古から入り、招熟段階といいます、つぎの段階になると気で套路を導くような「暗勁」の稽古になります、この段階を憧勁段階といいます。最終段階はこの両方が自由自在に使える「霊勁」の稽古はいります、この段階を神明段階といいます。これらの段階を必ず順序立てて経ていかなければなりません。
初心者は招熟段階といって、太極拳を稽古する第一段階で套路をきちんと覚えることをいいます。具体的にいうと陳式太極拳の手法、身法、歩法などの拳術套路の一つ一つの外形動作を正確に覚えて熟練することを指します。
「明勁」とは初心者にもともと備わる剛質な勁のことであり、套路の動作を通じて外形に表現され、見てとれる外形の段階です。
次回に続く
残念ながら、型を覚える段階で、進歩している手応えが感じられずにマンネリ化して辞めてしまう人が多い。また、武術志向の強い人は、型を中心とした稽古では強くなれないと思い、別の武術に手応えを求めていく傾向があります。あるいは、1つの型を覚えるとすぐに別の型を覚えたがる人もおります。
しかし1つの型を練り上げて、しっかりと足腰を鍛錬し、心身を錬磨しながら身体に浸透させていく段階をへなければ、武術としてとらえた場合、技には至らず小手先のテクニックの段階で終わってしまいます。
もっというならば、稽古に励むのは、技量を身につけるためだけではない。「道」を求めて稽古していくと、もはやそれ以前の自分と違った人間になる。
物事を見る「別の尺度」を手に入れることができる。
そこに是非気付いてください。無功徳常精進

陳氏太極拳 王西安老師に学ぶ 二人の師匠
王西安大師の門弟135人の紹介されている本が、5年の歳月を経て昨年の5月に中国で出版されました。以下は翻訳です。
「太極的力量-王西安和他的弟子們」 河南科学技術出版社
山口博永老師 その4
「太極拳への永遠に尽きることのない愛」
そうした信念と数十年に及ぶ懸命な探求を見ると、山口博永の太極拳への愛は真実だと云わぬわけにはいかず、その意志も堅固だと云わぬわけにはいかない。多年にわたる猛稽古により、山口は既に日本屈指の太極拳大家となっていて、当時の盲目的愛好者から、本格的普及者の道を歩んでいる。彼が創設した太極道交会も今日では、五つの分会を持つ日本のかなりの規模の太極拳協会へと発展し、会員も一万人近くいる。
こんなに長い間、山口博永は探究し自ら修練する道を歩んでいる。仏門に入ってから、彼は人生の真理と生命の意義を追求してきた。本我を探究する立場に在って、彼は仏教と太極を完全に結びつけ、非の打ちどころのない自我を確立した。
ここ何年か山口が教えた会員数は測り知れない。会員達は健康と精神的喜びに恵まれたばかりか、太極拳界でしばしばその腕前を発揮し、各種の栄誉を得たこともある。山口は太極拳とその文化を自らが接することができる所に拡散しており、それを既に生命価値の体現と見なしている。
一般人から人並みより優れた人へ、山口はそうした変化は仏教の坐禅、太極拳の滋養、恩師の無言の思いやりから来ていると言い、それ等すべては彼が人格と生命の昇華を完成させるのを手助けしてくれた。
王先生の近くにいた日々は、山口はいつも恩師の気持ちを感じ取っていた。当人は大師だが王西安は一般人のように素朴な人で、拳を教える時には真剣で厳格だが、日常生活では協調性があって親しみが持て、気心の知れた友人のように人を楽しくさせる。練習の時以外では、恩師はいつも山口と世間話をし、茶を飲み、無限の禅意の中で禅を語り太極を語る。それは師弟二人の最大の楽しみであり、師弟間の高遠なる精神的交流なのである。僧侶は禅の道を重んじ、太極は自然を尊び、名こそ異れども修練の目的は同じである。王先生が語るには、太極拳の柔らかな自然さは一定以上のレヴェルに達すれば、そのまま僧侶の禅となるそうである。人が寺で修行して追求するのは心の安寧であり、静を以て浄を求め、自ら完全なものとすることである。太極拳が求めるのは人生の悟りの境地であり、動の中に安らぎと遠々と続く成果(致遠)である。修練において、太極拳の多くの型は坐禅と近くなる。坐禅では虚領頂勁、上陰下陽が求められ、太極拳では気沈丹田、上虚下実が求められるため、禅を修めることと太極拳を練ることで、いずれも身を修め人格を磨くことができるのである。
今では、毎日坐禅し、太極拳を練ることが山口博永の主な生活となっている。彼は毎日5時間前後の練習を行う。20分坐禅して40分太極拳を練るか、あるいは20分拳を練って40分坐禅するかである。静と動の連続の中で、彼は人生の真理を深く悟っている。
長い数十年で、山口博永は太極拳を追求すると共に、人生の理想を完成させた。自己を完全なものとしようとする過程で、彼は自らを太極に融合させることに成功し、人生のもう一つの涅槃を完成させたのである。(完)

陳氏太極拳 王西安老師に学ぶ 二人の師匠
王西安大師の門弟135人の紹介されている本が、5年の歳月を経て昨年の5月に中国で出版されました。以下は翻訳です。
「太極的力量-王西安和他的弟子們」 河南科学技術出版社
山口博永老師 その3
「幾山河を越え太極の真諦を追い求める」
「私の太極拳修業の道で最も幸運だったのは王先生の弟子になれたことであり、恩師の身辺で私が得たのは拳技のレヴェル向上のみならず王先生の胸中の暖かさでした。練習の時には厳格な師でしたが、普段の生活の中では父兄のようでもありました。」何年か後、既に著名な太極拳大師王西安の直近弟子となっていた山口博永は、当初の様子を振り返ると、決まって感情が高ぶるのである。日本から中国へ、一太極拳愛好者から名師の高弟になった時まで、山口博永の師を求める道は、曲がりくねってドラマチックであったと云わずにはおれない。
1978年、中日の国交成立に伴い両国の民間組織も友好的な交流を開始した。山口博永は一人の武術愛好者として訪中団に同行した。しかしその回には、希望通りに陳家溝に行くことはかなわず、中原行きは省都鄭州止まりであった。遠方から客人を迎えようと当時の鄭州側は盛大な歓迎会を催し、武術の里の太極拳高手が全員現地にやって来て、日本人のために極めて大がかりな太極拳の表演を行った。連綿として柔らかく、リズムカルで力強い太極拳の表演は再び山口の心を揺さぶり、太極の根源までさかのぼる決心を更に確固たるものとした。
1981年、山口博永は日中友好団に同行して陳家溝を訪れ、太極の郷の拳師達と直接交流することになった。村の高手王西安が登場して彼等のために「炮捶」という套路を表演した時、山口はすぐさま感動し、「この人は3年前のあの鄭州で表演した先生ではなかろうか?」と思った。もとより、3年前に鄭州で出会ってからは山口は陳家溝よりやって来た王先生のことをしっかり記憶しており、3年という時を隔ててすばらしい拳法を見せる王先生に、思いもかけず再開することになった。王先生の表演を見て、山口は最早平静ではいられなかった。王先生の拳はあまりにも素晴らしいものであった。剛柔相済にして滔々と流れが絶えることはなく、広大無辺な大気のようでもあり無限の優雅さを内包してもいた。これこそが真の太極拳であり、太極の根源であり、自分が何年も探し求めてきた太極の魂だ! 山口は平静ではいられず、ただちに携帯していた8ミリカメラを取り出して王先生が演じる炮捶の一部始終を撮影したのであった。
陳家溝より帰国すると、山口博永は王先生を自分の先生として、撮ったビデオを見ながら毎日王先生の拳を懸命に練習した。しかし練習が進むにつれて、困惑し分からない部分もますます多くなっていった。その時山口は初めて、太極拳は真に広く深いもので、その奥底に内包するものは型からだけでは理解し悟ることはできないと分かった。そうした複雑な問題は、先生の教化によってこそ解答が見つかるものであった。王先生に拝師することは山口の更に差し迫った願望となった。
1986年、山口博永は希望がかなって陳家溝を再訪し、正式に王西安に拝師した。山口はそれより、数十年に及ぶ猛練習を始めることになったのである。
20年近くがあっという間に過ぎ、今では王先生の多年にわたる心を尽した指導の下で、山口博永の太極拳技も既にかなりの高みに達している。「王先生に習い始めたばかりの時、先生は非常に真剣に教えてくれ、いつも口で伝えるだけでなく身をもって手本を示され、我々に先生の体内の気の流れに触れさせてくれました。その時に分からなくても、こんなに何年にもわたる猛稽古を経ると、再び身体に触れさせてくれた時には、我々は容易にその道理を理解出来ました。」(次回に続く)