本日、平成29年7月19日は、私の尊敬する山岡鉄舟先生の130回忌法要にあたります。午前中に谷中全生庵に墓参、法要を済ませ、新たな気持ちでホームページをリニューアルしました。また、今年は山口博永老師に拝師して30年を迎えました。
今後も初心を忘れずに、粛々と精進してまいりますので宜しくお願い致します。
敬心道場 三浦方圓
「晴れてよし曇りてもよし不二の山 元の姿は変はらざりけり」
山岡鉄舟(高歩)
太極道交会 敬心道場は発足24年目を迎えました。
太極拳の修行のはじめは、一陰九陽と言って、姿勢を正し速度一致、虚実を明らかに、無心に動くことから始まります。
そして次に二陰八陽は、内勁(纏糸勁)発する事を稽古していきます。内外の勁を見つけることはやさしいが死角ができるため内勁を通すことが難しい。
三陰七陽は、意をもって気を行じ、身体のあらゆる所に勁をめぐらす事のできる段階。しかし内気を貫き通す事が出来てもまだ心の欲するままの動きが不自然である。
四陰六陽は好手に類する(小圏)。この段階において初めて太極拳が理解できる。推手のとき、化勁も発勁も自在にでき、意は相手の予測の先にあり、相手の力に応じて相手を制す。
五陰五陽は、五陰と五陽を合わせて陰陽先寄らざるとき妙手という(無圏)。
陳式太極拳を通じて、それを力学的に体感していきます。
太極拳も禅も実践を通して「体感する」「身心あげて会得する」ことが必要なのです。
理論だけではなく、それに則した実践が要請されていることを、そして理論と実践との二つが一体となること、これを理行一致といいますが、私たちはこのことを忘れてはならないのです。
陳式太極拳に興味がある方、是非体験にいらしてください。
残念ながら、型を覚える段階で、進歩している手応えが感じられずにマンネリ化して辞めてしまう人が多い。また、武術志向の強い人は、型を中心とした稽古では強くなれないと思い、別の武術に手応えを求めていく傾向があります。あるいは、1つの型を覚えるとすぐに別の型を覚えたがる人もおります。
しかし1つの型を練り上げて、しっかりと足腰を鍛錬し、心身を錬磨しながら身体に浸透させていく段階をへなければ、武術としてとらえた場合、技には至らず小手先のテクニックの段階で終わってしまいます。
もっというならば、稽古に励むのは、技量を身につけるためだけではない。「道」を求めて稽古していくと、もはやそれ以前の自分と違った人間になる。
物事を見る「別の尺度」を手に入れることができる。
そこに是非気付いてください。無功徳常精進