太極道交会 40年の軌跡 その5

本部道場が落成した翌年、1988年9月、中国嵩山少林寺国際武術表演大会に出場し、山口博永老師が優勝、太極道交会も総合優勝を果たす。

 

この時代から、次第に弟子達によって、各支部が発足するようになります。

東京では、港支部、神奈川では、川崎支部、千葉では、木更津支部、千倉支部、鴨川支部など関東を中心に各支部が発足していきました。

私は、山口先生について、いつまでも習って行こうと思いましたが、指導することも勉強だと言われ、1993年(平成5年)江戸川支部、後に敬心道場と命名しますが、発足することになります。

太極道交会 40年の軌跡 その4

1987年に太極道交会という会名が付けられ、同時に私も三浦方圓と命名して頂きました。私にとって授戒は、何も違和感はありませんでした。

太極拳を始める以前は、空手を7年程修行していましたが、武道経験がある方はご存知だと思いますが、禅寺で合宿をしたり、滝に打たれたり、坐禅をしたりしていましたから、私にとっては特別なことではありませんでした。たまたま、太極拳の師匠が禅僧だったにすぎませんでした。

1987年4月、千葉県館山に能忍寺本堂及び本部道場が落成します。極真空手の大山館長も晩年、この館山の自然村で空手の合宿をしており、また大山館長自身も本堂で坐禅を組んでおりました。

 

本部道場が落成した際に、台湾の武壇、創設者の劉雲樵大師から送られた書。「精氣神」

太極道交会 40年の軌跡 その3

山口老師は、1981年より毎年訪中し、陳氏太極拳を学びながら、1982年3月に「日本陳家溝太極拳普及協会」発足。現在の各太極拳団体及び中国武術団体の発足者たちも、当時多数学びに来られていた。1985年新宿スポーツセンター別館にて指導。(現在の東京道交会)、1986年館山コミュニティセンターにて指導(現在の館山道交会)

昭和62年(1987年)山口博永老師に太極拳を学んで5年の歳月が流れたある日、禅僧の山口先生から授戒(中国武術では拝師)しなさいと言われ、先生が出家した日と同じ4月5日に正式な弟子となりました。

そして同年、1987年4月、横浜・東京・館山の会が一つになり、太極道交会と正式に命名されました。

私が26歳時、山口老師の正式な弟子となり、幕末の山岡鉄舟先生のように(剣)拳、禅、書を究めて行こうと誓願をたて修行に励みました。

太極道交会 40年の軌跡 その2

昭和56年(1981年)山口博永老師は、中国河南省温県陳家溝にて、陳小旺老師より直接新架式を学ぶ。建国後の中国で、直接習った最初の外国人であった。

私、三浦方圓は、昭和57年(1982年)、当時21歳、山口老師が35歳のときに、黙々と太極拳を禅の修行のことく稽古している老師の姿に見せられ、自分も同じ道を歩みたいと願い、一緒に稽古するようになりました。

 

山小屋にて、早朝、午前中、午後、夕方と1日8時間の稽古をしていた頃

 

 

 

 

後列左、山口老師

後列右、私(方圓)

 

太極道交会 40年の軌跡 その1

太極道交会の40周年記念表演会が開催されるにあたり、太極道交会の歴史を紹介したいと思います。

太極道交会は、禅僧の山口博永老師が禅と太極拳が深いつながりがあると直感し、昭和50年(1975年)台湾の武壇で劉雲樵老師のもとで陳家太極拳を中心に通算5年間学ぶ。

昭和54年(1979年)5月、横浜で太極拳の指導が始まります。現在の横浜道交会の始まりです。山口老師は、同年、中国大陸に渡り、鄭州にて陳氏太極拳19代伝人、陳小旺老師の表演を見て、強い衝撃を受ける。

台湾の武壇にて修業時代

台湾国術界史に輝く巨星、武壇創始者、劉雲樵大師

山口老師は、当時、劉大師の高弟、徐紀老師、黄偉哲老師、戴士哲老師にも学びました。

 

 

 

八極拳の達人、劉雲樵大師が見守る中、手前が山口老師。戴士哲老師が指導している。

漫画「拳児」に出てくるようなワンシーン

 

王西安老師に学ぶ 老架

稽古では自分自身の状態を常に検査しながら拳を練っていくべきで、常に正しい理論と実践を考えていく必要があります。

理屈が分かったとしても、それを自分の中で理解して使えるようにしていかないと、意味のないことです。

身体で理解し、体現できて、初めて理解することができる。稽古を通じ身体を以って勁を理解することが必要であり、注意深く日頃から稽古を重ねて、功夫を積み上げる以外ありません。無功徳常精進

 

 

王西安老師に学ぶ 八式

三式では掤勁を効果的に出す、身体の稽古を繰り返し行いました。

八式では放鬆ができているかが重要だ。緩まることで足の力もしっかりと出ることになるし、上体が緩んでいないとしっかりと勁を伝えることができない。

放鬆は身体だけの問題ではなく、意念の段階まで放鬆するように、徹底することが大切。

王西安老師に学ぶ 三式

今回は、新たに三式を学んできました。歩法を学び、擒拿要領・解脱要領・驚閃靠要領・移重心要領・回勁要領・驚閃将要領・背折靠要領・後擺撃要領・攬腰肘要領・列勁要領などを教えてもらいました。

王西安老師に学ぶ「推手」3

捨己従人・・・己を捨て、人に従う

推手は二人で行い、決して離れないこと、決して力をもって相手にぶつかっていかないこと、身体、特に頭を傾けないこと、相手の力に無理に対抗しないことである。

相手の勁の力の大きさ、横の力が強いのか、縦の力の勁が強いのか、相手の勁がどこからやってくるのかといった、相手の体内の勁の変化を観察することを学ぶのです。

 

尊敬する先師 山岡鉄舟先生

通称、鉄太郎。剣、禅、書に通じた、幕末・維新の英傑。戊辰戦争時には、15代将軍、徳川慶喜の意を受け、江戸に迫る官軍の陣地を突破し、西郷隆盛と直談判。

「命も、名も、金もいらぬ、始末に困る人」と感嘆させ、西郷・勝会談に先立ち江戸無血開城の合意を成した。維新後は明治天皇の侍従職などを務め、明治二十一年(1888年)没。明治政府の勲功調査では、自らの偉業を主張せず、生涯、無私無欲を貫いた。

鉄舟先生は、剣道を修行することは「その真理の極致に悟入せんことを欲し」「天道の発源を究め」「万物太極の理を究むる」ことを目的とし、そこに精神的な悟りを求めました。

    山岡鉄舟先生が書いた般若心経(方圓所蔵)