捨己従人・・・己を捨て、人に従う
推手は二人で行い、決して離れないこと、決して力をもって相手にぶつかっていかないこと、身体、特に頭を傾けないこと、相手の力に無理に対抗しないことである。
相手の勁の力の大きさ、横の力が強いのか、縦の力の勁が強いのか、相手の勁がどこからやってくるのかといった、相手の体内の勁の変化を観察することを学ぶのです。
ゆっくりした速さでの稽古の時には、気を養い、それを動きに合わせて身体の各部まで運んでいくことにより、気の感覚をつかむことが目的。
中くらいの速さの稽古では、内三合と外三合を合わせるのが目的。そして、速く行うのは意念を反応させるための稽古となります。
太極拳の力は全身をゆるめるという基本が出来てから、身体の中から出てくるものです。稽古を継続して、その力を身体の各部に伝えられるようにしていきます。
身体をゆるめることが出来る前に力を使ってしまうと、単なるただの力になってしまい太極拳の力を作ることが出来なくなってしまいます。
しかし、これは言うのは簡単ですが、実際には簡単なことではありません。とにかく実際に身体を動かさなければ出来ないので、正しい方法で継続して稽古を行ってください。
「錬拳万遍すれば神理自ら現れる」
もし道理が不明なら、師に習い、信念が揺らぐ時は良友を求めよう
太極拳を稽古する場合二つの大きな目的があります。一つは体の全部の関節を開いて伸ばしていくこと。もう一つは、精神の敏捷性を養っていくことです。第一、第二段階では、正確な動作を覚え、形で内気を養っていきます。この段階では套路の稽古を行う場合にも、六分でやったり、八分でやったり、一二分かけて行ったり、いろいろな速さで稽古することが必要です。また架式の高さも、高い、低い、その中間の高さで稽古する必要があります。技撃のために行う場合は、なおさら架式を高い、中間、低い、の高さで稽古しなければなりません。実際の攻防の際に、相手が高い姿勢、あるいは低い姿勢に対して、自分が対応するためです。だから、一定の架式の高さ、一定のスピードだけで稽古するのではなく、いろいろな高さ、速さで稽古することが大切です。
この時期に城西支部に籍をおいていたお陰で、澤井先生に出会い私の武術に対する考え方も大きく変化してきました。
その一つが「立禅」で中国の武術には禅を立った状態で行う立禅というものがあり、この立禅を組むことによって、内面の力を強力にし瞬間的な爆発力を養う稽古でした。
そして「這」(はい)は、自身の身体を防御と攻撃の両面で安定させるための稽古で、手は虫の触覚のように相手の攻撃を察知し、無意識に攻防できるようにし、足は泥の中を歩くようにイメージします。見ている人が分からないくらいゆっくりと中腰で動いていきます。
ある時期から組手の稽古をしていると、相手が顔面を蹴ってくる瞬間に無意識に身体が反応するようになりました。この頃から武術における気の力を信じる様になり、より一層稽古に取り入れる様になりました。
1981年はまだ山田道場が開設して3年目ぐらいで、初代指導員の大西靖人さん(後の第15回の全日本チャンピオン)が毎日のように組手の稽古をしてくれていました。大西さんは身長180センチ、体重90キロぐらいの大柄な方でしたので、私も大きい相手に対する組手にとても自信がもてるようになりました。
当時の稽古の中で思い出に残っていることは、20人がその日に稽古にくれば、20人全員と組手を行うことでした。1人1分のスパーリングでも20人いれば20分スパーリングを行います。
また、大会前の半年間は極真ルールの組手を中心に行い、大会後の半年間は金的にパット、顔面に防具を着けて、急所を蹴っても、顔面を殴っても良いというルールで稽古を行なっていました。
その当時、組手になると、太気拳の創始者の澤井健一先生が見にきてくださり、いろいろとアドバイスしてくれるようになりました。
次回に続く
昨日、書店で「月刊 秘伝」という武道、武術の雑誌を読んでいましたら、大学時代に籍をおいていた極真空手城西支部の山田支部長の記事が掲載されておりましたので、懐かしくなりブログを掲載することにしました。
記事にも掲載されていましたが、1981年頃から道場に澤井先生がいらしてくださり、私たちも2時間の稽古の終わりに「這」の稽古を行なう様になりました。
当時の山田道場はとても斬新な稽古法を導入しており、ボクシングのようなスパーリング、蹴りと突きのコンビネーション、アウトローという奥足外側を狙う下段回し蹴り、ウェイトトレーニングなどを取り入れてました。
のちにこの極真会館の城西支部が「チャンピオン製造工場」の異名を轟かせるとは、このとき思ってもみなかったです。
次回に続く