鐵舟先生の発心

山岡鐵舟先生の幼少期

 観世音菩薩に篤く帰依していた母に、鐵太郎が手習いで「忠」「孝」の二文字を習っていたので、深く考えもせずある時、「母上は忠孝の道を踏み行っていらっしゃるのですね」と質問したところ、「母はお前に申し訳ない。良きお手本になれない母を赦しておくれ」と目に大粒の涙が浮かび、頬を伝ったのを見て、母のが鐵太郎の心に生涯、精進する母上をお手本として、鐵舟自身が修行するきっかけとなった。

 また、高山郡代の父は、幼少期の鐵太郎に「人間を創るのは剣と禅だ。これに集中せよ」と教えをうけた。父はさらに人間は武だけでは偏ってしまうと思い、高山に弘法大師を遠祖とする入木道(じゅぼくどう)五十一世の岩佐一亭に書を学ばせ、気骨ある人間を育てることを考えていた。父に敬いをもつ鐵太郎は、生涯「剣・禅・書」を修行するきっかけとなった。

 母のと父の敬いにより、発菩提心(発心)がのちに剣禅一如を極め、命をかけて江戸の無血開城を成し遂げる大人物になっていくきっかけとなる。

人間は何事も最初の発心が大切になる。

上求菩提  下化衆生

太極道交会も自己の確立 自他和合を目的として会を発足しました。

 

 

 


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