1988年に本部道場が落成以後も、山口先生、弟子たちは、慢心することなく定期的に訪中し、陳小旺老師、王西安老師、馮志強老師から陳氏太極拳の神髄を学び続けていきました。
山口先生の40年に及ぶ指導のお陰で、指導員・準指導員が育成され、太極道交会の各支部が関東を中心に全国に拡大して、今日に至る。
1987年に太極道交会という会名が付けられ、同時に私も三浦方圓と命名して頂きました。私にとって授戒は、何も違和感はありませんでした。
太極拳を始める以前は、空手を7年程修行していましたが、武道経験がある方はご存知だと思いますが、禅寺で合宿をしたり、滝に打たれたり、坐禅をしたりしていましたから、私にとっては特別なことではありませんでした。たまたま、太極拳の師匠が禅僧だったにすぎませんでした。
1987年4月、千葉県館山に能忍寺本堂及び本部道場が落成します。極真空手の大山館長も晩年、この館山の自然村で空手の合宿をしており、また大山館長自身も本堂で坐禅を組んでおりました。
本部道場が落成した際に、台湾の武壇、創設者の劉雲樵大師から送られた書。「精氣神」
山口老師は、1981年より毎年訪中し、陳氏太極拳を学びながら、1982年3月に「日本陳家溝太極拳普及協会」発足。現在の各太極拳団体及び中国武術団体の発足者たちも、当時多数学びに来られていた。1985年新宿スポーツセンター別館にて指導。(現在の東京道交会)、1986年館山コミュニティセンターにて指導(現在の館山道交会)
昭和62年(1987年)山口博永老師に太極拳を学んで5年の歳月が流れたある日、禅僧の山口先生から授戒(中国武術では拝師)しなさいと言われ、先生が出家した日と同じ4月5日に正式な弟子となりました。
そして同年、1987年4月、横浜・東京・館山の会が一つになり、太極道交会と正式に命名されました。
私が26歳時、山口老師の正式な弟子となり、幕末の山岡鉄舟先生のように(剣)拳、禅、書を究めて行こうと誓願をたて修行に励みました。
来る9月30日(日)に千葉県の木更津にある、かずさアーク大ホールにて、太極道交会40周年記念表演会を盛大に開催致します。
日本における陳式太極拳の第一人者、山口博永大師を中心として全国の各支部から高弟達が多数参加されます。
太極道交会の40周年記念表演会が開催されるにあたり、太極道交会の歴史を紹介したいと思います。
太極道交会は、禅僧の山口博永老師が禅と太極拳が深いつながりがあると直感し、昭和50年(1975年)台湾の武壇で劉雲樵老師のもとで陳家太極拳を中心に通算5年間学ぶ。
昭和54年(1979年)5月、横浜で太極拳の指導が始まります。現在の横浜道交会の始まりです。山口老師は、同年、中国大陸に渡り、鄭州にて陳氏太極拳19代伝人、陳小旺老師の表演を見て、強い衝撃を受ける。
台湾の武壇にて修業時代
台湾国術界史に輝く巨星、武壇創始者、劉雲樵大師
山口老師は、当時、劉大師の高弟、徐紀老師、黄偉哲老師、戴士哲老師にも学びました。
八極拳の達人、劉雲樵大師が見守る中、手前が山口老師。戴士哲老師が指導している。
漫画「拳児」に出てくるようなワンシーン