敬心道場では、月1回支部をこえて稽古出来る機会を設けています。
套路の用法説明
歩法や間合いが違うだけで、技は掛かりにくくなります
日々研鑽して学んでいくことが大切です
6月 6日(木)アーバン
6月13日(木)アーバン
6月20日(木)アーバン
6月27日(木)アーバン
真の武道家・武術家との出会い
陳式太極拳を学んで今年で42年になりますが、最初から太極拳だけを学んでいたわけではなく、武道に接したのは小学3年生の時に警察署で剣道を学んでいました、そして中学から大学までは空手を学んでいました。
中でも印象に残っている先生は、大学時代に柔道を教えてくださった木村政彦先生です、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、戦前「鬼の木村」の異名を持ち、全日本選手権13年連続保持、天覧試合を含め、15年間不敗のまま引退。「木村の前に木村なく、木村の後に木村なく」と讃えられた先生で、拓大の大先輩になる方です。
そしてもう一人は極真空手時代に、月に1度、組手の時に直接指導しにいらしてくださった澤井健一先生です、澤井先生は太気至誠拳法(通称・太気拳)の先生で、中国拳法の意拳(太成拳)の創始者、王薌斉先生から唯一外国人として学んだ日本人で、師の許しを得て日本で太気拳を創始した方です。
木村先生からは立技だけでなく、寝技(高専柔道)・関節技(立技・寝技に関係なく掛ける事が出来るキムラロック)の凄さと稽古の大切さ(三倍努力)を学ばせて頂きました。
澤井先生からは立禅・這によって無意識に身体が反応できる気の力を学ぶことがきっかけとなり、中国武術に興味を持つようになりました。
当時、多感な学生時代にビデオや指導書ではなく、本物の武道家に直に接することが出来、今考えるととても貴重な体験でした。
学生時代にこの様な本物の武道家・武術家に出会うことによって、その後、幸運にもひたすら禅と太極拳を修行して極めていた師匠の山口博永老師と巡り合うことが出来ました、そして「山口の弟子ならば直接私が教える」ということで、王西安大師に直接学ぶことが出来ました、王先生の晩年まで30年以上にわたり学べたことは私にとって、何ものにも代え難いものとなりました。
「何事も本物を見る目を養うことが、人生においていかに大切な事かが、実感される」
先日3月30日に武州敬心道場の三周年祝賀会を開催しました。師匠の山口博永先生、普元さん、青木さんをはじめ、多くの方々が参加して頂きました。
今回は、先月2月6日に喜寿の誕生日を迎えた山口先生のお祝いと同時に、同日に旅立たれた王西安大師の四十九日の法要を兼ねた懇親会でもありました。
まず始めに山口先生が王先生への献杯から始められ、和やかな雰囲気の中、道場に展示されている数々の王先生の写真を見ながら思い出話しに花を咲かせていました。
今回、山口道長からサプライズとして、山口先生が30代の頃に台湾の武壇で足掛け5年間修行して、劉雲樵大師から頂いた「精氣神」の書を武州敬心道場に寄贈して頂きました。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、劉 雲樵大師の紹介をしたいと思います。(1909~1991)近代の実戦的達人「神槍李書文」晩年の武術を受け継ぎ、台北を拠点として日本・欧米に広めた、八極門武術家。
書道にも優れ拳法・書道の一致論を説いた。山口道長が館山に本部道場が出来た際に、1988年 劉 雲樵大師から頂いたものです。
3月 7日(木)アーバン
3月14日(木)アーバン
3月21日(木)都合によりお休み
3月27日(木)アーバン
上記の写真は王西安老師が1995年に来日した際に、御殿場合宿で山口先生と富士山をバックにして撮影した写真です。
2019年に訪中した際に、王西安老師の陳家溝の実家に招待された際、自宅の居間にこの写真が飾ってあり、山口先生も自分が差し上げた写真が飾ってあったので驚いていました。
山口先生は日頃から、王西安老師が稽古の際に毎回、内勁を理解させるため、身体を触らせてくれたのでとても良く理解出来たと事あるごとにおっしゃっています。
私も山口先生が長年に渡り王西安老師に学んできたお陰で、王西安老師から長年に渡り直接学ぶことが出来、本当に沢山の気づきを与えてくださいました。
この御恩に少しでも報いられる様に、今後も王西安老師の教えを多くの方々に伝えていきたいと思います。
合掌
生前、王西安老師は、「私の尊敬する陳照丕老師はとても開放的な方で、私のような異姓の者にもこころよく教えてくれたので、私も師の意思を受け継ぎ、外国人に教えることは自分の任務だとおっしゃっていました。」
太極道交会との縁は、師匠の山口博永先生が、1975年~79年迄足掛け5年間、台湾の武壇で修行後、1979年に中国大陸に渡り、陳小旺老師・王西安老師に学んだことから始まります。
私も1982年から山口先生が毎年、訪中して課題を与えられてきた套路・用法等を学ぶようになりました、当初は武壇の潭腿・陳家三十二式、その後、陳小旺老師の新架、王西安老師の老架と学んでいきました。
1990年代からは、私たちが直接訪中して王西安老師から学ぶことになりました、王西安老師は「山口は昔からの弟子であり、身内の様なものだから、山口の弟子は直接私が教える」と言ってくださり、毎年訪中するたびに、本当に熱心に指導してくれました。
2019年の訪中が最後になりましたが、王西安老師の晩年に10年以上に渡り、毎年訪中して直接学べたことは、私にとって本当に色々な気づきを与えてくれました。
最後の稽古の時、王西安老師が私の手を握って「日本に帰ってからも教えたことを絶対に忘れるな、三浦なら骨にまで気を通せる」とおっしゃってくれました。
私の心の中には、王西安老師の教えは永遠に生き続けています、この道縁を次の世代に引き継いでいける様に、今後も努力精進していきたいと思います。