太極道交会 合同表演会

太極道交会の合同表演会が10月1日に開催されました。

敬心道場の表演

 

 

皆さん真剣に表演していました

 

 

 

 

王西安老師の老架一路を表演

 

 

 


私も王西安老師の老架二路を個人表演しました

 

 


山口先生と敬心道場のメンバーで表演後、記念撮影

 

 

師匠の大陸修業時代(秘蔵写真)6

 

1980年朝日グラフに掲載、山口先生は道元禅師の教えに従い、世に知られずに行じていましたが「隠れた名師」として学びにくる人がいました。

 

太極拳の写真も掲載され、現在の各武術団体の代表になった人も多数学んでいました。

 

 

 

 

1983年山口先生が200部限定で「太極拳六十四式」を出版する。「鄭子太極拳」の理論も掲載されており、私も新宿の紀伊国屋書店で購入した、幻の本です。

 

 

 


1982年3月山口先生は「日本陳家溝太極拳普及協会」を発足。しかし、その後も毎年、陳家溝に訪中し、太極拳を禅の修行のごとく黙々と稽古を続ける。

師匠の大陸修業時代(秘蔵写真)5

卜文老師、河南省武術協会教練主任。八卦掌の達人で、陳式の四天王を紹介した人物。卜文徳老師と山口老師は、昔から師弟のような間柄です。

 

 

1990年王西安老師より老架式を学んでいる一コマ。

 

 

 

中国武術家百傑の一人中国遼寧省の徐其成老師が館山の本部道場にしばらく逗留する、1991年。

 

 


武器が得意で刀を振らせると三本に見えるくらい凄く、「徐三刀」と異名をとる。

師匠の大陸修業時代(秘蔵写真)4

1988年中国嵩山少林寺国際武術表演大会で優勝する山口博永老師。

太極道交会も総合優勝をしました。審査員は、陳小旺老師、王西安老師でした。

両老師には、太極道交会の顧問になってもらいました。

 

 

 

太極道交会では新架式を陳小旺老師から、老架式を王西安老師から学ぶようになりました。

陳小旺老師の模範演武

山口老師は、毎年課題を与えられ、訪中していました。

 

 


1882年陳小旺老師の套路を食入るように見ている山口老師。

 

 

 

 

発勁して顔が緩んだ瞬間を撮影。突き蹴り共に、陳小旺老師の発勁は、定評があります。

 

師匠の大陸修業時代(秘蔵写真)3

1979年中国河南省の鄭州において陳氏太極拳第19代伝人の陳小旺老師に会う。

老師の表演見て、強い衝撃を受ける。

 

 

 

 


第一次陳家溝太極拳学習団1981年

1981年陳小旺老師より直接新架式を学ぶ。直接習った最初の外国人であった。

 


第二次陳家溝太極拳学習団1982年

中央の看板の前、山口博永老師、その左側に陳小旺老師

後列左から4番目、王西安老師

 


前列左から陳小旺老師、3番目が朱天才老師、4番目が陳正雷老師、5番目が王西安老師、陳正雷老師の後ろに山口博永老師

 

師匠の武壇~大陸修業時代(秘蔵写真)2

劉雲樵大師の弟子と書いてある貴重な書。

「精氣神」庚申仲秋1980年8月武壇に於

 

 


1979年5月横浜で太極拳の指導が始まる。1979年中国大陸に渡り、鄭州にて陳氏太極拳19代伝人、陳小旺老師の表演を見て、強い衝撃を受ける。

 

1981年陳家溝にて、陳小旺老師より直接新架式を学ぶ。建国後の中国で、直接習った最初の外国人であった。

上記の記事は1985年、マーシャルアーツという格闘技雑誌に山口先生が掲載されたものです。「日本における陳式太極拳の第一人者 山口博永」

1987年に館山に本部道場が出来た際に、劉雲樵大師から送られた書です。

師匠の武壇修業時代(秘蔵写真)1

師匠の山口博永老師は大陸に渡る前、1975年から約5年くらい台湾の武壇にて八極拳の達人、劉雲樵大師、高弟の徐紀老師、黄偉哲老師、戴士哲老師にも学びました。

 

劉雲樵大師

 

 

お酌の習慣が無いので、無意識に左手を構えている劉大師。

漫画「拳児」、映画「グランドマスター」で有名な台湾国術界史に輝く巨星、武壇創始者、劉雲樵大師。

 

 

劉雲樵高弟の徐紀老師より、陳家太極拳を学び、その後、1979年に中国大陸に渡り、河南省の鄭州において陳氏太極拳第19代伝人の陳小旺老師に会う。

そして陳家溝にて、最初に直接習った外国人として、毎年訪中し、太極拳を禅の修行のごとく黙々と稽古を続ける。

当時、マーシャルアーツという格闘技の雑誌に山口先生が掲載されたとき、「日本における陳式太極拳の第一人者」と紹介されていました。