卜文老師、河南省武術協会教練主任。八卦掌の達人で、陳式の四天王を紹介した人物。卜文徳老師と山口老師は、昔から師弟のような間柄です。
1990年王西安老師より老架式を学んでいる一コマ。
中国武術家百傑の一人中国遼寧省の徐其成老師が館山の本部道場にしばらく逗留する、1991年。
武器が得意で刀を振らせると三本に見えるくらい凄く、「徐三刀」と異名をとる。
師匠の山口博永老師は大陸に渡る前、1975年から約5年くらい台湾の武壇にて八極拳の達人、劉雲樵大師、高弟の徐紀老師、黄偉哲老師、戴士哲老師にも学びました。
劉雲樵大師
お酌の習慣が無いので、無意識に左手を構えている劉大師。
漫画「拳児」、映画「グランドマスター」で有名な台湾国術界史に輝く巨星、武壇創始者、劉雲樵大師。
劉雲樵高弟の徐紀老師より、陳家太極拳を学び、その後、1979年に中国大陸に渡り、河南省の鄭州において陳氏太極拳第19代伝人の陳小旺老師に会う。
そして陳家溝にて、最初に直接習った外国人として、毎年訪中し、太極拳を禅の修行のごとく黙々と稽古を続ける。
当時、マーシャルアーツという格闘技の雑誌に山口先生が掲載されたとき、「日本における陳式太極拳の第一人者」と紹介されていました。
この時期に城西支部に籍をおいていたお陰で、澤井先生に出会い私の武術に対する考え方も大きく変化してきました。
その一つが「立禅」で中国の武術には禅を立った状態で行う立禅というものがあり、この立禅を組むことによって、内面の力を強力にし瞬間的な爆発力を養う稽古でした。
そして「這」(はい)は、自身の身体を防御と攻撃の両面で安定させるための稽古で、手は虫の触覚のように相手の攻撃を察知し、無意識に攻防できるようにし、足は泥の中を歩くようにイメージします。見ている人が分からないくらいゆっくりと中腰で動いていきます。
ある時期から組手の稽古をしていると、相手が顔面を蹴ってくる瞬間に無意識に身体が反応するようになりました。この頃から武術における気の力を信じる様になり、より一層稽古に取り入れる様になりました。
1981年はまだ山田道場が開設して3年目ぐらいで、初代指導員の大西靖人さん(後の第15回の全日本チャンピオン)が毎日のように組手の稽古をしてくれていました。大西さんは身長180センチ、体重90キロぐらいの大柄な方でしたので、私も大きい相手に対する組手にとても自信がもてるようになりました。
当時の稽古の中で思い出に残っていることは、20人がその日に稽古にくれば、20人全員と組手を行うことでした。1人1分のスパーリングでも20人いれば20分スパーリングを行います。
また、大会前の半年間は極真ルールの組手を中心に行い、大会後の半年間は金的にパット、顔面に防具を着けて、急所を蹴っても、顔面を殴っても良いというルールで稽古を行なっていました。
その当時、組手になると、太気拳の創始者の澤井健一先生が見にきてくださり、いろいろとアドバイスしてくれるようになりました。
次回に続く
昨日、書店で「月刊 秘伝」という武道、武術の雑誌を読んでいましたら、大学時代に籍をおいていた極真空手城西支部の山田支部長の記事が掲載されておりましたので、懐かしくなりブログを掲載することにしました。
記事にも掲載されていましたが、1981年頃から道場に澤井先生がいらしてくださり、私たちも2時間の稽古の終わりに「這」の稽古を行なう様になりました。
当時の山田道場はとても斬新な稽古法を導入しており、ボクシングのようなスパーリング、蹴りと突きのコンビネーション、アウトローという奥足外側を狙う下段回し蹴り、ウェイトトレーニングなどを取り入れてました。
のちにこの極真会館の城西支部が「チャンピオン製造工場」の異名を轟かせるとは、このとき思ってもみなかったです。
次回に続く