王西安老師に学ぶ「三三原理」1

「三三原理」とは?

 陳式太極拳の稽古において、三つの段階、三種の勁の違い、それぞれの段階に応じた三種類の稽古方法の科学的原理のことをさします。

 初心者は、套路を中心とした「明勁」の稽古から入り、招熟段階といいます、つぎの段階になると気で套路を導くような「暗勁」の稽古になります、この段階を憧勁段階といいます。最終段階はこの両方が自由自在に使える「霊勁」の稽古はいります、この段階を神明段階といいます。これらの段階を必ず順序立てて経ていかなければなりません。

 初心者は招熟段階といって、太極拳を稽古する第一段階で套路をきちんと覚えることをいいます。具体的にいうと陳式太極拳の手法、身法、歩法などの拳術套路の一つ一つの外形動作を正確に覚えて熟練することを指します。

 「明勁」とは初心者にもともと備わる剛質な勁のことであり、套路の動作を通じて外形に表現され、見てとれる外形の段階です。

次回に続く

 

 

本日よりホームページをリニューアルしました

 本日、平成29年7月19日は、私の尊敬する山岡鉄舟先生の130回忌法要にあたります。午前中に谷中全生庵に墓参、法要を済ませ、新たな気持ちでホームページをリニューアルしました。また、今年は山口博永老師に拝師して30年を迎えました。
 今後も初心を忘れずに、粛々と精進してまいりますので宜しくお願い致します。

敬心道場  三浦方圓

「晴れてよし曇りてもよし不二の山 元の姿は変はらざりけり」

                      山岡鉄舟(高歩)

王西安大師に学ぶ「求道の太極拳」3

型をしっかり踏まえながらその型を超えていくと、動作から心が離れ、自由自在に技が繰り出せるようになり、「我もしらず」という境地に至ります。
陳氏太極拳における五層の功夫の第五層の段階です。そうした稽古の段階を昔から「守・破・離」とよばれています。
私は決して精神論をいっているのではありません。禅僧である太極拳の師匠、山口博永老師について、禅の修行のごとく35年学んできたからいえるのです。

王西安大師の陳家溝の自宅にて撮影

「型にはまる」段階でとどまることなく、次の段階を目指して、工夫研鑽していきましょう。太極拳に興味のある方は、是非一度体験にいらしてください。

王西安大師に学ぶ「求道の太極拳」2

学びの道は「まねび」、すなわち師の技や理論をひたすら謙虚に模倣することからしか始まらない。
模倣するとは、一定の型に身を入れる修練を積むことである。そのためには、「私情をさしはさまない」「己を虚しくする」という捨我の精神が求められます。ですから自己中心の我欲が強いと、稽古や修練は進みません。

陳氏太極拳図説の冒頭にも「太極拳を学ぶには、敬いの気持ちがなければ学べない」と書かれています。私事ですが、江戸川支部を「敬心道場」と名付けたのもその所以です。
さらに、稽古が目指すのは「自由」の境地の段階です。「型にはまる」だけでは、この道を究めたとはいえない。

王西安大師に学ぶ「求道の太極拳」1

残念ながら、型を覚える段階で、進歩している手応えが感じられずにマンネリ化して辞めてしまう人が多い。また、武術志向の強い人は、型を中心とした稽古では強くなれないと思い、別の武術に手応えを求めていく傾向があります。あるいは、1つの型を覚えるとすぐに別の型を覚えたがる人もおります。

しかし1つの型を練り上げて、しっかりと足腰を鍛錬し、心身を錬磨しながら身体に浸透させていく段階をへなければ、武術としてとらえた場合、技には至らず小手先のテクニックの段階で終わってしまいます。
もっというならば、稽古に励むのは、技量を身につけるためだけではない。「道」を求めて稽古していくと、もはやそれ以前の自分と違った人間になる。
物事を見る「別の尺度」を手に入れることができる。
そこに是非気付いてください。無功徳常精進

一代太極拳大師 王西安老師に学ぶ


太極拳は武術でありながら、高級な気功法の部類に入る。拳を練るときは気の運行を意識することが大切です。
 毎回、王先生から緩めることを教えていただいていますが、すぐにできるわけではありません。放鬆を意識して稽古を重ねることで、少しづつ身体の部分を緩めることができるようになります。
 単調な繰り返しのように思われますが、身体意識は徐々に変化していきます。最初はどうすれば放鬆ができるかわからないかもしれませんが、根気よく内気を意識して、放鬆を意識して、拳を練っていくしかないと思います。
 陳氏太極拳に興味がある方は、是非一度体験にいらしてください。

陳氏太極拳 王西安老師に学ぶ 二人の師匠 その4(完)


陳氏太極拳 王西安老師に学ぶ 二人の師匠
王西安大師の門弟135人の紹介されている本が、5年の歳月を経て昨年の5月に中国で出版されました。以下は翻訳です。

「太極的力量-王西安和他的弟子們」 河南科学技術出版社 

  山口博永老師 その4

「太極拳への永遠に尽きることのない愛」

 そうした信念と数十年に及ぶ懸命な探求を見ると、山口博永の太極拳への愛は真実だと云わぬわけにはいかず、その意志も堅固だと云わぬわけにはいかない。多年にわたる猛稽古により、山口は既に日本屈指の太極拳大家となっていて、当時の盲目的愛好者から、本格的普及者の道を歩んでいる。彼が創設した太極道交会も今日では、五つの分会を持つ日本のかなりの規模の太極拳協会へと発展し、会員も一万人近くいる。
 こんなに長い間、山口博永は探究し自ら修練する道を歩んでいる。仏門に入ってから、彼は人生の真理と生命の意義を追求してきた。本我を探究する立場に在って、彼は仏教と太極を完全に結びつけ、非の打ちどころのない自我を確立した。
 ここ何年か山口が教えた会員数は測り知れない。会員達は健康と精神的喜びに恵まれたばかりか、太極拳界でしばしばその腕前を発揮し、各種の栄誉を得たこともある。山口は太極拳とその文化を自らが接することができる所に拡散しており、それを既に生命価値の体現と見なしている。
 一般人から人並みより優れた人へ、山口はそうした変化は仏教の坐禅、太極拳の滋養、恩師の無言の思いやりから来ていると言い、それ等すべては彼が人格と生命の昇華を完成させるのを手助けしてくれた。
 王先生の近くにいた日々は、山口はいつも恩師の気持ちを感じ取っていた。当人は大師だが王西安は一般人のように素朴な人で、拳を教える時には真剣で厳格だが、日常生活では協調性があって親しみが持て、気心の知れた友人のように人を楽しくさせる。練習の時以外では、恩師はいつも山口と世間話をし、茶を飲み、無限の禅意の中で禅を語り太極を語る。それは師弟二人の最大の楽しみであり、師弟間の高遠なる精神的交流なのである。僧侶は禅の道を重んじ、太極は自然を尊び、名こそ異れども修練の目的は同じである。王先生が語るには、太極拳の柔らかな自然さは一定以上のレヴェルに達すれば、そのまま僧侶の禅となるそうである。人が寺で修行して追求するのは心の安寧であり、静を以て浄を求め、自ら完全なものとすることである。太極拳が求めるのは人生の悟りの境地であり、動の中に安らぎと遠々と続く成果(致遠)である。修練において、太極拳の多くの型は坐禅と近くなる。坐禅では虚領頂勁、上陰下陽が求められ、太極拳では気沈丹田、上虚下実が求められるため、禅を修めることと太極拳を練ることで、いずれも身を修め人格を磨くことができるのである。

 今では、毎日坐禅し、太極拳を練ることが山口博永の主な生活となっている。彼は毎日5時間前後の練習を行う。20分坐禅して40分太極拳を練るか、あるいは20分拳を練って40分坐禅するかである。静と動の連続の中で、彼は人生の真理を深く悟っている。
長い数十年で、山口博永は太極拳を追求すると共に、人生の理想を完成させた。自己を完全なものとしようとする過程で、彼は自らを太極に融合させることに成功し、人生のもう一つの涅槃を完成させたのである。(完)

陳氏太極拳 王西安老師に学ぶ 二人の師匠 その3


陳氏太極拳 王西安老師に学ぶ 二人の師匠
王西安大師の門弟135人の紹介されている本が、5年の歳月を経て昨年の5月に中国で出版されました。以下は翻訳です。

「太極的力量-王西安和他的弟子們」 河南科学技術出版社 

  山口博永老師 その3

「幾山河を越え太極の真諦を追い求める」

 「私の太極拳修業の道で最も幸運だったのは王先生の弟子になれたことであり、恩師の身辺で私が得たのは拳技のレヴェル向上のみならず王先生の胸中の暖かさでした。練習の時には厳格な師でしたが、普段の生活の中では父兄のようでもありました。」何年か後、既に著名な太極拳大師王西安の直近弟子となっていた山口博永は、当初の様子を振り返ると、決まって感情が高ぶるのである。日本から中国へ、一太極拳愛好者から名師の高弟になった時まで、山口博永の師を求める道は、曲がりくねってドラマチックであったと云わずにはおれない。
1978年、中日の国交成立に伴い両国の民間組織も友好的な交流を開始した。山口博永は一人の武術愛好者として訪中団に同行した。しかしその回には、希望通りに陳家溝に行くことはかなわず、中原行きは省都鄭州止まりであった。遠方から客人を迎えようと当時の鄭州側は盛大な歓迎会を催し、武術の里の太極拳高手が全員現地にやって来て、日本人のために極めて大がかりな太極拳の表演を行った。連綿として柔らかく、リズムカルで力強い太極拳の表演は再び山口の心を揺さぶり、太極の根源までさかのぼる決心を更に確固たるものとした。
1981年、山口博永は日中友好団に同行して陳家溝を訪れ、太極の郷の拳師達と直接交流することになった。村の高手王西安が登場して彼等のために「炮捶」という套路を表演した時、山口はすぐさま感動し、「この人は3年前のあの鄭州で表演した先生ではなかろうか?」と思った。もとより、3年前に鄭州で出会ってからは山口は陳家溝よりやって来た王先生のことをしっかり記憶しており、3年という時を隔ててすばらしい拳法を見せる王先生に、思いもかけず再開することになった。王先生の表演を見て、山口は最早平静ではいられなかった。王先生の拳はあまりにも素晴らしいものであった。剛柔相済にして滔々と流れが絶えることはなく、広大無辺な大気のようでもあり無限の優雅さを内包してもいた。これこそが真の太極拳であり、太極の根源であり、自分が何年も探し求めてきた太極の魂だ! 山口は平静ではいられず、ただちに携帯していた8ミリカメラを取り出して王先生が演じる炮捶の一部始終を撮影したのであった。
陳家溝より帰国すると、山口博永は王先生を自分の先生として、撮ったビデオを見ながら毎日王先生の拳を懸命に練習した。しかし練習が進むにつれて、困惑し分からない部分もますます多くなっていった。その時山口は初めて、太極拳は真に広く深いもので、その奥底に内包するものは型からだけでは理解し悟ることはできないと分かった。そうした複雑な問題は、先生の教化によってこそ解答が見つかるものであった。王先生に拝師することは山口の更に差し迫った願望となった。
1986年、山口博永は希望がかなって陳家溝を再訪し、正式に王西安に拝師した。山口はそれより、数十年に及ぶ猛練習を始めることになったのである。
20年近くがあっという間に過ぎ、今では王先生の多年にわたる心を尽した指導の下で、山口博永の太極拳技も既にかなりの高みに達している。「王先生に習い始めたばかりの時、先生は非常に真剣に教えてくれ、いつも口で伝えるだけでなく身をもって手本を示され、我々に先生の体内の気の流れに触れさせてくれました。その時に分からなくても、こんなに何年にもわたる猛稽古を経ると、再び身体に触れさせてくれた時には、我々は容易にその道理を理解出来ました。」(次回に続く)

陳氏太極拳 王西安老師に学ぶ 二人の師匠 その2


陳氏太極拳 王西安老師に学ぶ 二人の師匠
王西安大師の門弟135人の紹介されている本が、5年の歳月を経て昨年の5月に中国で出版されました。以下は翻訳です。

「太極的力量-王西安和他的弟子們」 河南科学技術出版社

 その2 山口博永老師
 「ある朝の邂逅より、太極拳は永く少年の心に留まる」

 幼き山口博永にとって、生活は決して芳醇な酒ではなかった。彼がまだ3、4歳の時に父母はもう離婚していて、幼き山口は温情に乏しい環境の中で成長した。大切にされることも少なく、余りにも早くから人情の儚さを味わい、彼は自立し不屈でたくましくなっていった。如何にして更に強大になるか、尊厳をもった生き方をするか、という事も彼の最大の探究事項や理想となっていった。
 8歳の時、彼は偶然ある中国映画を目にし、その中で一人の髪もひげも真白な老人が広々とした黄河の河岸で太極拳を練っていた。その時、彼が太極拳を目にした最初であり、映画の老人とその剛柔相済にして気迫に満ちた拳風は、すぐさま彼を夢中にさせた。彼はぼんやりそれを眺めながらも、心の中に未だかつて無かった激情が沸き上がってくるのを感じた。以後「太極拳」の3文字は山口博永の胸裏に深く焼きつけられ、彼が一生たゆまず追い求めてゆくものとなった。少年の心は強く太極拳を志向したが、少年であった彼は、太極拳は遙か遠い中国に在るもので、自分から10万8千里も離れていて、手が届かぬほど遠いことを知ったのみであった。
 時が過ぎて行き、山口博永は眉目秀麗な青年へと成長した。研ぎ澄まされた生活の中で毅然としていた彼は心の安らぎを追求し始めた。そこで10何歳かの時、彼は仏門に入り仏教を修め始めた。28歳の時、師匠の仏友がカナダより日本に来て、山口博永の師匠の禅寺に住むようになり、毎日師匠と禅宗仏学上の成果を交流した。ある日、山口博永が師匠のその弟弟子に会いに来た時、彼が寺の中庭で拳の練習をしているのを目にし、その一つ一つの動作が山口には格別に熟練して真心がこもったものに感じられた。尋ねたところ、弟弟子が練習しているのは正に太極拳であった。山口はしばらくぽかんとした。太極拳だって?これは自分が夢にまで見てきた拳法ではないか。こんなに長い間苦労して探し求めてきて、今日ついに目にすることができるとは思いもしなかった。本当に、鉄のわらじを履きつぶしても捜し出せないものでも、手に入る時には何の苦もなく捜し当てることができるとは、よく言ったものだ。欣喜して彼はすぐさまその弟弟子から習い始め、その時初めて、弟弟子は本籍が焦作で楊式太極拳を何年も学んでいることが分かった。半年後、弟弟子は日本を去った。その時点で山口博永にとって太極拳はもう忘れることができぬものになっており、夢中になってはまり込むまでになっていた。太極拳を学び続けるために、彼はあてを求めて台湾に行き3年間滞在し、その3年で拳法を学ぶ以外にも太極文化の深さを理解し始めた。師匠より彼が知ったのは、太極拳には多くの流派があり、中国の陳家溝こそが陳式太極拳発祥の地であり全世界の太極拳の根源であるということであった。中国に行って遠き太極拳の根源を訪れたい。その時からそれは彼の最も渇望するところとなった。(次回に続く)