陳式太極拳 王西安大師に学ぶ  回想録9完結


王西安大師に学ぶ 回想録9完結

 今回9回に渡ってこのような回想録を書いた理由は、多くの方々に太極道交会の変遷を知ってもらうためです。そしてこのブログを見た方が、この会で陳式太極拳を始めてみようかな、というきっかけになれば良いと思ったからです。
 今までのブログを見てもらうとわかる様に、私がフルコンタクトの空手道場で太気拳の澤井健一先生に出会わなければ、中国武術に関心を持たなかったし、それをきっかけに太極拳を地元の李春穆先生に習っていなければ、師匠の山口博永老師に出会うことが出来なかったと思います。そして山口老師が長年、王西安老師について直近弟子として真剣に修練してきたお蔭で、私も王西安老師に直接学ぶことが出来る様になりました。
 まさに縁尋機妙、縁がさらに良い縁をもたらす結果になりました。是非このブログをきっかけに、新たな良い縁がもたらされることを期待しております。
 初心者大歓迎、是非一度体験にいらしてください。(完結)

陳式太極拳 王西安大師に学ぶ 二人の師 回想録8


王西安大師に学ぶ
 回想録8
 1980年代までは、山口博永先生が王西安老師から学んできたことを教えてもらっていましたが、1990年代からは次第に直接、王西安老師から学ぶ機会が多くなりました。特に印象的だったのは、発足15周年を記念して敬心道場のメンバーだけで訪中したときでした。少人数で行ったにもかかわらず王先生はとても歓迎してくださり、夏の暑い中、毎日、王西安学校の体育館で熱心に指導してくださいました。
 私は王先生のとても熱心な指導に時を忘れ、練習着の上半身だけでなく、下半身のズボンやシューズの中まで汗でびっしょりになっていたことを、今でも鮮明に思い出します。
 私の学んで来た師である山口先生と王先生は、とても共通点があります。普段は寡黙でシャイなところがありますが、両先生とも、とても酒豪で、私は最初あまりお酒は飲めなかったのですが、稽古が終わると毎回一緒においしいお酒を飲んでいるうちに次第に私も強くなっていきました。山口先生のお蔭で道交会は酒豪が多いので、訪中すると王先生も気持ちはよくわかるが、飲みすぎに注意しろと言われるくらいよく飲むようになりました。
 王西安先生も親近感をもって次第に私達に接してくださるようになり、私は王先生の卓越した陳氏太極拳の技量だけでなく、人望があるおおらかな人柄に惹かれ、いつしか毎年訪中するようになりました。(次回に続く)

陳式太極拳 王西安大師に学ぶ 敬心道場 回想録7


王西安大師より直接指導を受ける 2016.3月

 回想録7
 1987年、山口道長の指導する東京、横浜、館山の会が連合して、太極道交会が発足した。その後古くからの弟子達も次第に港支部、川崎支部と支部を持つようになり、会が活気づいてきました。
 私は、山口道長について、ずっと習う立場でいたいと思っていましたが、会を持つように言われ、平成5年に江戸川支部を発足しました。のちに山口道長に許可をもらい江戸川支部を敬心道場と命名することにしました。
 道交会の各支部は、それぞれ各支部長の判断で稽古内容を選択しています。山口道長が長年に渡り学んだ套路の中から、武壇系の単腿を指導する会、陳小旺老師の新架式を指導する会、馮志強老師の心意混元を指導する会とそれぞれバラエティーにとんでいます。
 敬心道場では、山口道長が一番長く学んできた王西安大師の老架式を今日までずっと稽古しております。
 (次回に続く)

陳氏太極拳 一代太極拳大師  王西安老師に学ぶ


日頃より師匠の山口博永老師より内勁について学んでいますが、王西安老師は、事細かく各動作の際、肩、胸、股関節周辺はどのように放鬆するのかを、身を持って教えてくれます。
 拮抗状態にありながら、筋肉はリラックスしていることがよく理解出来ます。また、歩法によって間合いを詰めることも大切なことなので、忘れないで毎日しっかり修練するように言われました。
 稽古時間を増やしても、盲目的に行っていては意味がない、意念を用いて今回あたえられた課題をしっかり身に着けて行きたいと思います。

陳氏太極拳 一代太極拳大師  王西安老師に学ぶ


意念の段階まで放鬆(ファンソン)するように、徹底する。

 師匠の山口博永老師が純粋に陳氏太極拳の稽古を続け、太極拳の精髄を学ぶために長年にわたり訪中してきたので、王西安大師も今日まで同志、身内として厚く信頼してきました。
 そのお陰で、私たちも王西安大師より毎年、気を養い、内気と動作を関連させるための内勁に関するる高度な指導を受けることが出来るようになりました。


合勁における肩や胸の放鬆状態を指導して頂く

陳式太極拳 王西安大師に学ぶ  太極道交会発足 回想録6

右から山口博永老師、王西安老師・三浦方圓 1992年訪中

山口老師と月1回、館山での稽古のほかに、先生が教えている練習会にも参加する様になり、日曜日の午前中は横浜の会、午後からは東京の会にも参加するようになりました。
そして先生に出会ってから5年後に山口老師から得度(拝師)するように言われ、1987年、私が26歳の時、山口老師が得度した日と同じ4月5日に館山で拝師しました。
山口老師は、その間も大陸に渡り毎年勢力的に陳小旺老師から7年、王西安老師から17年に渡り課題を与えられて修業していました。武術雑誌などにも「隠れた名師」と評され、他の武術団体からも、いつ山口老師が表舞台に出てくるのかと警戒されたこともありましたが、そんなことは全く考えずにひたすら稽古に励んでおりました。
しかし、先生の練習会が次第に増えてきたので、私たち有志が先生と相談して、館山・横浜・東京を合同して「太極道交会」という名前を付けてもらい、1987年会が発足するようになりました。(次回に続く)

陳式太極拳 王西安大師に学ぶ 山口老師と稽古 回想録5

山口博永老師と三浦方圓の推手稽古

山口博永老師と毎月1回、館山で稽古することになり、土曜日の夜に先生宅に伺い挨拶をしてから、下の吊り橋を渡ったところにあった山小屋で1泊して、早朝5時から山頂の本堂まで走って行き、坐禅を行い、その後、作務の清掃、時には草刈りを1日行ったりもしました。今日は稽古はないかと諦めていると、帰りぎわみっちりと稽古してくれました。
私はまだ大学生だったので時間があり、春休み等に一週間くらい一緒に稽古させてもらいました。早朝5時から2時間、午前中2時間、午後2時間、夕方2時間と1日8時間以上稽古しました。
当時、私は22歳で山口先生は36歳でしたので、先生も真剣に発勁で胸に体当たりしてきました。空手時代の打撃と異なり、内臓が締め付けられるような衝撃を受けたことを覚えています。
私はいつしか、黙々と稽古して身体を練っている先生の姿を見ているうちに、私もこの求道の太極拳の道を歩んで行こうと決意しました。(次回に続く)

陳式太極拳 王西安大師に学ぶ 山口老師との出会い 回想録4

山小屋で修業中の一コマ「人生いかに生くべきか」を熱く語る
 山口老師(38歳)と三浦方圓(24歳)

李先生が企画してくれた館山合宿によって始めて、禅僧の山口博永老師に会うことが出来ました。第一印象はとても寡黙で、まさに修行僧という雰囲気でした。
当時、山口老師は36歳くらいで禅と太極拳の共通性を感じ、静と動を兼ねた修行を行ない、すでに台湾の武壇という武術団体で八極拳の達人、劉雲樵大師に可愛がられ、そこで高弟より太極拳を約5年間に渡り学んできていました。
私たちは中々、太極拳を教えてほしいと言えないでいると、若い人はまず足腰を鍛えることが大切だから単腿をまず稽古しましょうと言われました。山口老師も武壇で最初に単腿を毎日繰り返し8カ月間稽古させられたそうです。各人の動きを見てどの拳法がその人にむいているか、武壇の指導者が判断されたそうです。
山口老師は幸運にも希望の太極拳を学ぶことが出来、その後、中国大陸に渡り、陳式太極拳の四天王の陳小旺老師、王西安老師に学ぶことになります。
私たちは、この合宿で単腿十二路を学び、それぞれが忘れない様に自分たちの型の担当を決めて稽古しました。この合宿がきっかけとなり、私たち若い20代の3人はいつしか月に1回館山を訪れて、山口老師と一緒に稽古させてもらうことになりました。(次回に続く)

陳式太極拳 王西安大師に学ぶ 太極拳への入門 回想録3


20代の修業時代(道交会の三羽烏)
左から齋藤自照、山口博永老師、大橋直太、三浦方圓

 陳式太極拳 王西安大師に学ぶ 太極拳入門

  太極拳を学ぶきっかけは、澤井先生の中国武術の影響もありましたが、空手時代にウェイトトレーニングを取り入れ、筋力をつけ、体重を増量させるために毎日プロティンを飲んだり、稽古の前に小腹が空くためポテトチップをほぼ毎日食べていた習慣から、血圧がだいぶ高くなっていたので、一つには健康を回復させる目的もありました。
 空手時代は、稽古に20人参加していると、20人全員と組手をするという稽古を行なっていたので、組手を敬遠して辞めていく者が多かったので中々、友人が出来ませんでした。
 太極拳を始めてからは、のちの道交会の三羽烏と言われる大橋さん、斉藤さんと同年代の友人に恵まれ、稽古にも活気がありました。最初の師匠である李春穆先生は、本業は作家として活動しており、とても教養のある方でした。私たちに20代で太極拳だけをやるのは、不自然だと言われ、ヨガ、社交ダンス、また、スキーの合宿なども企画してくれました。いろいろなことを教えてくれ本当に感謝しています。
 ある時、李先生が所属する太極拳団体の指導員クラスの方が陳家という武術的な太極拳を台湾で修業してきた方に学んでいるということを聞きました。当時は、まだ陳式太極拳という源流の太極拳を教える人はいなかったので、とても興味がありました。現在の多くの太極拳の団体の発足者がその方から学んでいると当時聞きました。
私もすぐにでも学びたかったのですが、まだ太極拳を1年くらいしか学んでおらず、指導員でもなかったので半ばあきらめていました。
 すると、李先生は、そんな私たちを見て、その方が千葉県の館山に住んでいるので、うちの会で合宿を組んであげると言ってくれました。李先生はとても斬新な方で、我々を連れて10人くらいで館山合宿を行うことになりました。その時に出会った方が、今の師匠である禅僧の山口博永老師である。 (次回に続く)

陳式太極拳 王西安大師に学ぶ 太極拳との出会い 回想録2


右側が李春穆先生、座っているのが私、三浦方圓(22歳)、左側が山口博永老師

王西安大師に学ぶ  太極拳との出会い

 太気拳の澤井先生が空手道場に来るようになり、私の中にも組手に対する考え方が少しづつ変わってきました。顔面への突き、金的の急所への蹴りがありならば全然間合いが違ってくることを学んだからです。
 私が稽古していた道場は支部でしたが、とても斬新な稽古法を取っており、全日本大会の6カ月間はフルコンタクトのルールで、後の6カ月間は顔面への突き、蹴り、急所への蹴りもありの組手を行っていました。もちろん防具を着けていましたが、澤井先生が顔面の防具を着けると感覚がつかめないので、防具を着けないで組手をするように言われたので、手に軍手を着けて顔面をはたく稽古もしていました。
 当時は、現館長も稽古しに来ていたのを覚えています。私も大学時代の全盛期、「業師三浦」と異名を貰っていましたが、実家の移転によりこの道場を去ることになり、残念な思いがありました。
 この直後、やはり何か身体を動かしたくなり、たまたま広報を見ていたら、近くで太極拳を行っているところがあり、行ってみることにしました。小学校の体育館で日曜の午前中、李春穆先生という背の高い先生が指導されており、動いてみるとゆっくりだけれども、結構きつく、全身運動になると思い入会しました。
 当時、同じ日に大橋さんという同年代の方も入会され、この方と親しくなり、いつしか毎週通うようになりました。まさか、この時太極拳を今日まで続けるとは、思ってもいませんでした。(次回に続く)