巡礼日記 その4

 四国遍路出発して今日で38日たった。昨日の大雨から一転快晴の天気。53番近くの 「民宿しこく」を今治に向けて歩きだした。途中から左手に瀬戸内海を見ながら気持ちが良い遍路道。
 愛媛の海は、島が幾つも見えて対岸の広島も見える。行き交う船は多く、高知の海とは違う。高知は海が長く、地平線も見えて、行き交う船も見えなかった。瀬戸内海は穏やかで、町も高知より活気があるように感じる。  
 多くのお遍路さんは1日30キロから40キロ歩く。私は愛媛に入ってからは20キロ前後しか歩かないので、足の痛みも無くなり、あまり早足だと宿に早くついてしまうので、ゆっくり歩いています。
 今日は今治に入ったところの菊間で泊まる。菊間は瓦で有名。瓦会館に寄り道して見学。今日の宿からは瀬戸内海が目の前に見える。明日からは今治市内に入り、お寺も幾つかまわります。

巡礼日記 その3

 四国遍路歩きだした徳島は雨が多く、高知は天気に恵まれ良かったのに、愛媛に入ると雨がだいぶ多い。 今日は台風の影響で大雨となっていたが、9時になっても雨が降っていないのでラッキーと51番石手寺を目指しました。
 お詣りして太極拳もすみ納経が終わり次の52番大山寺に向かうときいきなり大雨。  この52番は10数キロあって途中有名な道後温泉を通ります。 道がいく通りもあって途中から案内の矢印が見当たらなくなり大雨の中で迷子状態。道後温泉の繁華街も見ている余裕なくただ矢印だけをさがしまわった。やっと見つけたときは嬉しかった。大雨のせいか何回も迷子。巡礼で行くお寺はだいたい山の中にある。この大山寺も山の中。遍路道が山の中を指していたので、歩いていくと矢印がでてこないで不安な思いでいると道は行き止まり、唖然としたが矢印が有ったところまでもどった。
 やっと大山寺につくと山門から本堂が遠い、観光バスのお遍路さんとすれ違う。皆さん傘さして濡れていないのに私はびっしょり。ただただ下向いて歩いた。大雨の遍路は何も考えられなくなる。

巡礼日記 その2

   四国遍路の道は一般道路が多いのですが、歩き遍路の道は時には山の中に入っていきます。徳島で11番藤井寺の横から12番焼山寺に向かう道は、上がったり下がったりの山道でした。この日ははじめから雨で、心もおれそうでした。おまけに雨が雪に変わり、山の中で一人でいると、いったい私は何をしているのかと感じ、すべてを放り投げたいと思いました。後戻りもできず前に進むだけです。これ以降色々ありますが、焼山寺巡礼を経験すると何とかやれました。
   高知の足摺岬では遍路道が海岸を歩くように指していて、その通りに行くと海がせまっていて岩場を歩きました。ちょうど地元の方がいて、そこから山にはいるのだと教えてくれました。見ると草に隠れて遍路道がありました。地元の方がいなかったらどんどん海べりを歩いていったかも知れません。
    四国遍路はただただ歩くだけです。初めは足が痛くこのまま歩けるのか心配でしたが、いまは足も慣れてきて、今度は変化がないので少し飽きてきています。人とまじわるのが少し苦手ですので、宿に入ってもお遍路さんとあまり話をしません。みなさんはビール飲んだり楽しそうにしているのですが、私は飲めないのでと言ってお茶ばかり飲んでいます。 こんな私ですが、お遍路さんと相部屋になりベテランのお遍路さんから四国遍路の裏表まで教えてもらい、次の日は1日一緒に行動しました。人見知りのどこを気に入ってもらったのか分かりません。今日で50番繁多寺まで行きました。松山市に入ってきたので当分ヘビの心配しなくてすみます。

巡礼日記 その1

   四国遍路の途中、宿に着いて間もなく、突然友人から電話が有って、娘が今アスペルガー自閉症なのでどこか良い施設をさがしているが、永井さんの知人で施設の職員かワーカーをやっている人がいたら教えてほしいと言う内容の電話があった。その友人は他にも何人かの知人に相談しているようなので、そのうち良い施設がみつかると思う。
   ところがその電話の際に、別の出来事として友人のお姉さんの元旦那があと余命1ヶ月という話しをしてくれた。私はその元旦那とは若い頃に一度会っただけの人だが、息子を引き取ったのはいいが、その息子は統合失調症の病があって、結局その元旦那本人は自分の思うような生き方が出来ずに、荒んだ人生を送っていたと聞いていた。
 人生はそれぞれ多難である…その夜宿で寝ていた時にふと思いいたった事があった。“これで元旦那の彼も楽になるのでは”と、とその時同時に、私の友人で以前自死した彼にも思いが至って、彼も楽になったのかと思ってしまった。人はそれぞれの心の用いかたで、人生観が決まると考えていたが、巡礼中の今は何となく客観的な見方で物事を考えられるようになっているようだ。自死した友人の人生は地獄の苦しみではなかったかと考えていた私自身が、苦しかったろうなと同情して、私自身も苦るしかった。でも今は、人は自分の人生が地獄と考えてしまったからこそ苦しいのでは…。死ぬことでこの苦しみから解き放たれたかった等と…、何となく分かったような気持ちになってしまう…。
 普段の生活からはこのように達観した考え方は出来ないだろうが四国遍路のおかげでただ歩く生活だからこそ、深く思い至るのかもしれない。遍路のおかげで今まで私自身の苦も、私の思い込みからの自縛だったと分かり、その縄がほどけていくような安らぎを今は感じている。友人の自死も母の認知症も家族の問題等も一斉に溶け始めて心が軽くなってきているようで、巡礼に感謝である。

はじめての四国遍路

 今日も一日中雨。先週の月曜日から歩き始めて八日目になる。明日は徳島最後の23番札所薬王寺。
 この四国遍路で決めていることが三つある。
 ひとつは酒ビール等は飲まない。民宿、旅館の夕食は、刺身などおかずの品数は多い。他のお遍路さんの多くはビール、酒を飲んで楽しそうにしている。おかずが豪華だけでも気がぬけるのにこれでお酒を飲んだらただの旅行。酒は飲まないと決めて良かったと思う。
 二つ目は行つた札所で太極拳を行う。秩父巡礼でもやったことで、四国遍路では老架か混元をやっている。太極拳を行うと足や肩の痛みが緩和する。あらためて太極拳の良さにきがついた。気も落ちるので疲れもとびます。
 三つ目は歩いて遍路をやり終えるまで帰らない。この三つ目が四国遍路に行こうと決めた理由です。
 皆さんには65才になり仕事も一段落したのでと言つています。それもありますが四国遍路を決めたのは自分には解決できない問題を幾つか、かかえていてこのままではうまく前に進めないという気持ちがあります。
 四国遍路したからといって解決の方向が見つかるとは思っていませんが、このままでいることもできないので、ただ歩くだけの遍路に身をまかせることにしました。
 まだ短い日数なのでこれからどうなるか分かりません。ただ四国遍路の難所である焼山寺に向かうとき雨が雪になり、それでも進むしかなかった時の思いを忘れないように歩んで行きたい。