遍路を終えた感想

 四国遍路を終えて、もっと充実感とか達成感があると思っていましたが、私の心のなかには、風が吹いています。 当初、徳島、一部高知では、心の余裕などなく、ただただ歩くだけでした。一日を振り返ることさえできないほど疲れていたと思います。愛媛、香川に入ってから、周りもよく見えるようになってきたこともあり、心に余裕がでてきて、四国遍路日記も書けるようになってきました。
 88番大窪寺が近づいてきたら、心がよくやったなとかよく歩いたとかいうかと思いましたが、達成感が湧いてきません。単調な歩くことの毎日は、心と身体を変容させ、新しい風景を見せてくれると思っています。これは間違いなく、新しい風景を見ています。でも想像していたのとはだいぶ違うようです。
 道を曲がったら見えてきた風景は、のびのびした見渡すような空間かと思いましたら、そこには高い断崖が立っていました。四国遍路で何度も味わった、もう峠だろうと思ったらまだ先があったという感じです。この断崖は、人の業の深さなのかもしれません。
 観光で回るお遍路さんは、みなさんがそうではないのですが、なにか上の空のようであって、「先達さんと写真撮れて幸せです。」とかはしゃいでいる。歩き遍路の方も、みなさんよくビールを飲みます。そしてよく話します。私は、こんだけお接待を受けたとか、何日でまわったとか、四国遍路に対する考えを述べたり、みなさんとても偉いのです。山のなかで一人歩いていると、自分はどうしてこんなことしているのかと思ってしまいます。
 少しだけ、感じることがあります。あまり話すと、おかしく思われるので、また言っても何も変わらないので、どうしようかと思います。この世は、見ているとどうしょうもないのですが、それでも必ず、救われるのだと 思っています。それほど人は駄目で、何度も何度も同じ過ちを繰り返して、初めて気が付かせていただくのだと思います。 これから四国遍路しようと考えている方に、水をかけるような感想で申し訳ありません。しかし言えることは、やってみることに間違いはないということです。四国遍路のいいところは、単調な歩きにあります。毎日毎日、晴れても雨でもただ歩く。これによって、身体も心も変容でき、今まで見たこともない風景に出会えます。そのあとどのように生きていくかは、個々人の問題です。