「道理」を会得する
教えとは、つまり相手が自分で見ようとしない場所を指摘することです。しかし、そこで何が見えるのかを師から伝えることはできない。
教えることは容易、それを聞くことも容易。難しいのは、その言葉を導き手として己の心に隠されたものを確かに見つけ、我がものとすること。自得
大切なのは、教えを聞いてわかったような気になるのではなく、教えの伝えるところを自らの心で実感すること。以心伝心

どの世界においても、よき師につくことはとても大切なことだ。禅の世界でも独覚、すなわち師につかないで一人で悟ったというのは無師独覚といって外道の道だと言われます。
幸い私には若い頃から山口博永老師、王西安大師の二人の師匠に恵まれ今日まで、修行することができました。
師の全人格を学ぶためには、自分を無にして師と同じ目で見、師と同じ耳で聞く。そうできるようになることが目標となる。だから自然と師と弟子はいろいろな面で似てくるのだろう。
今はなかなか師と呼べる人のいない時代である。なんのために生きるのか、自分の人生をどのように生きたいのかというような人間の根幹となる部分を教える機会は少ない。
そういう時代に全人格をもって師と呼べる人がいるという人は幸せである。そんな師を持っている人は、決して道を外れることはないだろう。 今ここ、無功徳常精進
1月10日(木) アーバンプラザ
1月17日(木) アーバンプラザ
1月24日(木) アーバンプラザ
1月31日(木) アーバンプラザ
幕末の山岡鉄舟先生は、宮中に入ってもなお剣道と坐禅で自己を研鑽することを怠らず、宮中時代には月に一度箱根の山を越えて、三島の竜澤寺の星定老師の許で参禅した。ある日、坐禅を終えての帰り道、箱根の山道でふと富士山を仰ぎ、泰然自若として揺るがない姿に感動し、それを和歌にした。
晴れて良し曇りても良し不二の山、元の姿は変はらざりけり
人は拳禅一如の修行によって、すべての存在の根底に横たわるいのちを摑んだとき、豊穣な感覚に満たされ、動じなくなる。
この不動心の心を養うことがとても大切です、来年もお互い精進していきましょう。