投稿者: 太極道交会
馮志強大師追悼演武 活禅
第2章 幼少の頃
私は感受性が強く随分と変わった子供であったようです。
六歳の頃、街で出会った修行僧の姿に憧れて、その日から、近くの恵比寿神社の縁の下に潜り込み、修行者のつもりになってじっと座っておりましたが、これがなかなか居心地がよくて、それからもよく座っておりました。
ところがある日の夕暮れ、いつものように縁の下で座っていると、周りの暗闇が急に青白い空間になって、そのなかに光の粒が煌めいたかと思うと、静かにまるで生き物のように動き回り、しかも優しく私に寄り添っているではありませんか!
それに対して恐怖は無く、それどころかそれがお遊びのようで楽しく戯れておりました。
今、思い返してみても、不思議な現象で、あれはなにかの囁きであったような・・・。
兎に角それを契機に私の人生は精神世界に、導かれていったように思われます。
第1章 発心
私と太極拳の出会いは古く、私が八歳のころで、今から半世紀も前になります。
確か三本立て映画が50円の時代でした。その当時の事が懐かしく思い出されます。
スクリーンに映し出される白黒映画の始まりは、巌に打ちつける荒波に続いて三角マークの中に東映の名称が入り浮き出て来るというものでした。
その直後に、ニュースの字幕、そして始まりは、解説者のお公家口調がなんとも特徴的で、スクリーン全体を煙ったく感じさせるものでありました・・・、懐かしい思い出です。
そのニュースで、ある時中国を紹介する番組がありました。その出だしに、一人の老人が足にゲートルを巻きながら農民服を着て現れました。見るからに哀れな様子であっりましたが、立ち止まった瞬間は大きく見えました・・・。
それから何気なく静かにゆったりと、そしてだんだんと力強く雄大に動き始めたのです!
(えーっなに!・・・)と思ったその時の衝撃は、その画面と共に今もはっきりと憶えています。
しかしその当時の私は、それが何なのか?又それをどのように理解して良いのかわからず、ただただ深い感動と、無性にやりたい・・・、という切なる衝動に駆られたことを記憶しております。
今にして思えばあの時代にあって、子供心にも哀れさすら漂わせたあの老人が、突如としてそこに、人間の尊厳、何にも動じない崇高な自立心と限り無き自由の姿を見たのでした。
私が四歳の頃に受けた人生の悲しみは深く、今も心の奥底に残っております。
その苦しい思いが、もの心つく年頃になって蘇り「どちらにどう転んでも大丈夫な世界はないのか!」』・・・という言葉となって吐き出されました。
そしてこの言葉が私の人生を決定する人生観、世界観となったのでした。
確かに ー あの日の老人の姿には、幼い当時の私の傷を癒すなにかがあったのです。
・・・そう、あの時何かに気付いたのです。
・・・偉大なものに・・・
それが私と太極拳の出逢いでした。
山口博永道長について
1947年大阪市天王寺区に生まれる。
8歳のとき、ニュース映画で太極拳を見て、その動きに人間の尊厳を感じる。
16歳のとき、「 どっちに転んでも大丈夫な世界は無いのか! 」 という人生観に目覚め、達磨大師の思想にその解決を求め、その後、1966年慶田禅寺 丸山英智老師について出家。
1972年 原田祖岳老師の高弟・原田湛玄老師に出会い、その後福井県仏国寺に安居。
1973年、仏国寺にてカナダ人から太極拳の手ほどきをうけ、
1975年から、本格的に太極拳を学ぶため台湾に実質3年間滞在し、 劉雲樵大師及び劉大師高弟 徐紀老師に指導を受ける。
1979年、大陸が解放されたことを知り、太極拳に渡り、19代伝人陳小旺老師に出会い、
1982年より、河南省陳家溝で、19代伝人 陳小旺老師、及び王西安老師に25年間指導を受け、その後、北京で馮志強大師に指導を受ける。
1979年 不老山 能忍寺(千葉県館山市布良613-3) 住職に就任。
現在は、首都圏を中心に、太極拳、坐禅会、不二一元論の勉強会を主催。
栃木県北支部(栃木県)
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馮大師追悼特集
以下馮志強真伝より
” 私は自分が「 真理 」と向き合い続ける幸せな人生を送っているといえる。
その私がしみじみと感じていること ― それは 「 太極 」の奥深さ、道の深さである。実際私は 「 太極 」の入門者にすぎない。 太極拳はいささか修めてはいる。しかし、「 太極 」はやっと少し分かり始めた、いわば小学生にすぎないのだ。
「太極」とは、この世の、宇宙のすべてを包み込み、そしてすべてに貫通する哲理であり真理である。ー ( 太極は一切の中にあり、一切は太極の中にある ) ー その大を尋ぬれば太極に勝るものはなく、その小を尋ぬれば太極に及ぶものはない。ありとあらゆるものが、私たち個々のいのちも含めて太極を離れては存在し得ない。私たちは 「 太極 」 の中で生き、「 太極 」 に満たされて生きている。それは 「 規律 」 と呼ぶこともできる。 誰しもが、そして無機物も含めたすべてのものがそれに違反しては存在の根拠を失ってしまうのだ。”
( 有情 非情 同時 成道 草木 国土 悉皆 成仏 ・・・ 仏陀 )
南無 ・・・・ 大師
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太極道交会 指導員のみなさまへ
突然ですが!
” 馮志強老師が、昨日5日の午後にお亡くなりになられました ”
心より御冥福をお祈り申し上げます。
ー ー ー
それにしても 驚きました!
というのも 大野田さん、永井さん、共にご存知のように ー 今回の接心の前日に、初めて九州大分から二名の方が参加され、その夜の懇親会の席上で、先生が ー 「 正師を得なければ、修行しても仕方がない 」という話から、まず陳家溝四天王の話をされました。 その後北京の馮老師の話しになって ー
唐突に!
「 馮老師はもうすぐ亡くなられるかもしれないね… 」
とおっしゃったのです ー
私もはじめて聞く話しで何のことかと耳を疑いましたが … 先生がおっしゃるには ー 「 2、3日前に馮志強老師の夢を見た 」 そうです …
先生は「 その夢の中で最も印象的な場面は、馮老師は、重い左腕の功夫を私に見せつけておられ ー あたかも私に最後の太極拳を伝授して下さっているようだった -」 とおっしゃいました。 そして先生はその夢を「 霊夢と察し目覚めて、もしかしたら馮老師は亡くなったのか … 」 とそのとき直感されたそうです。
今、あらためて馮老師の訃報を知り、
先生は、夢の続きを私に語られました。
「そういえば馮老師の 功夫を見たその傍らに陳項老師がいて、何故か彼の猛烈な震脚を垣間見た! あの場の印象は独特な雰囲気があり、あまりにも示唆的な夢であった。 だからその朝、馮老師が私に対する最後のメッセージではないかと直感し、馮老師はもうそんなに永くはないな ! と分かったのです。」
ということです、 驚き入りました!
そして先生は 「 正夢の真意は ー これからも陳項老師について学び、共に混元太極拳を極めていくようにという馮老師の思いではなかったのか、と思う ー 」 と、しみじみと語られました。
さらに言われるには
「 そういえば太極接心最終日の5日朝、5時から外で気功法から混元24式に入った直後、 ー 自分のレベル以上の外気の力を感じた ー それは今までになく新鮮な充実感で満ち溢れ、一瞬何かを会得する前兆かも、と感じたほどだった ー もしかしたら直接、馮老師が指導していて下さっていたのかもね ……… でも大丈夫!! 今日ほど馮大師の言われる
” 私はこれから 1000年 かけて太極を極める ”
のお言葉が真実味を増して力強く伝わってくる日はない !!
道交会員は皆この道心を受け継いで行こうではありませんか ー 」 と ー ー ー 。
普元 拝
( 5月6日 本部より指導員宛メールに送信 )
姫路支部(兵庫県)
物我両忘
山口 博永
剣禅一如
世間で云われる剣禅一如という言葉があります。 しかしこの言葉の意味を正しく理解する人は少なく、多くは誤解から自己満足に陥ったり、何にでもくっつけられる禅に対して嫌悪感を持つ人も見受けられます。
それは習い事としての 拳、剣、茶、華 … 等、は人から離れて、文化やあるいは武術として単独に有るかのように誤解をするからであります。
それらは人間を離れて外に一人歩きをする訳でもなく、また人にくっついてあるのでもありません。
正しく云えば、人が拳をやる時拳が人、人が拳であるのです。 拳、と言うはその理を指し示す名称で理を実践する人がいてこそ理が現れるのであり、人がいなければ理は現れようがないものなのです。
また、これら理には深浅がある事も知っておかねばなりません。
如何なる習い事にも段階があって形ある法則(理)から形無き法則へと進んでまいります。 さらにその先へと進むと必ず自分自身が問われてまいります.
この自分を見据える段階から:道: ( 剣道、華道…等の道の意 ) と言い、自分を学ぶことから禅と云うのです。禅とは自分を学ぶと云うことです。
太極拳
太極拳で説明しますと ー 《 有形に始まり無形に到り、無形は心機に入り、その妙界から遂に無心に帰して初めて拳という 》 ー 初心者の習い事の入り口には、習い方を示す意味で色々な名称や説明が無くてはなりませんが、後には名称を離れて師にしたがって形にはまらねばなりません。この段階は未だ理には馴染めず師の形を追いかけるのが精一杯の段階です。そこから時間をかけて形を習得して自分のものとして行きます。
しかし、多くの人達はこの形の熟練までで、その先の無形に行く人は稀です。
それは趣味程度の心掛けではその先に行けるものではないからです。何故ならその先は練習時間を増やし外面から内面へ、人の目を気にする目から自身を観る目が必要となるからです。
( 宮本武蔵の五輪書に見の目から観の目と解かれてあります ) 習いごとの熟練から、自分を問う学びが始まるのですが、ほとんどの人達はその理解すら出来ず、また形の習いごとだけでは気力が萎えてマンネリと化し、ついに止めてしまいます。
例えば富士山を登るにしても登山口はいろいろです。
しかし、趣味程度の登山ではどの道を通っても途中の景色に見とれ、よそ見をし
しまいます。それではその先に行く事は出来ません。そのうち景色にも飽きてしま
い、自分の居場所すら分からなくなって止めてしまいます。趣味の限界です ー 外の景色よりも頂上を目指す喜びとその決心が必要となるのです。
ではその先とは、 ー 形の熟練から形は気にならなくなって、・やる・自分自身も少しずつ問われてくるのです。
そして、さらにやる気を出して先の理に自身を摺り込んでいかねばなりません。
ー 登山で云うならば、頂上に至る魅力から外の景色は気にならなくなって頂上を目指す標識を見つけて、迷いなく力強く一歩を踏み出す段階です ー 更なる熟練からゴツゴツとした個体的な形が、気の体となり、吹く風、流れる水の如く ( 一気貫通 ) に自在となり、自身を観る観察眼が深まります。 … 自己満足が終わって、自己表現となるのです。その先には自分自身も取り込まれていく無心の世界、自己実現があります。いよいよ頂上を仰ぎ見て標識も必要としない五合目に到達したのです。
自己実現
ある時、私は書道家の方に 『 冬、梅の木を見ながら梅と書く字と、春、梅を見て梅と書いた梅の字の形は異なりますか? 』 と聞いたところ、少し間をおいて 『 変わります 』 と仰いました。
それで私はその方に弟子入りをしたのです。
又ある時、禅の話しの流れから手段と目的の合致を意として生意気にも、私は師に向かって 『 書家から筆を取り上げると何が残りますか?』 と聞いた事があります。このときは間をおかずに 『 何も残りません 』 と正直に仰いました … この問答には有形から無形、そして自分自身をその法則 ( 手段 ) に摺り込んでしまう世界、禅が目指す無我の我(自他一如)を問うているのです。
禅の道とは、自分の内面を調えながら : 天地いっぱいの自己実現 : まで行くその歩みを云うのです。
その為には学びの極意とする法を学ばねばなりません。
それは、森羅万象と同化する法則 ( 自他一如 ) であり、ゆえにその法は自身の自我意識をきらいます。道の歩みを止める一番の障害物が自身の分別、自我にあります。
ここに気づいた時から禅的となるのです。禅はこの障害物を消滅させる法を説きます。
ー禅的生活ー
人は意識において何をするか、したいかを決定します。
だいじな事は、学びの初めにあっては拳も禅もそれは手段であり、その先に目的があります。
又その手段を用いる前に何故という動機があるはずで、この動機のもとに手段を選び目的を達成しようとするのです。
この三段階は、熟練の暁には一つになるのですが、学びの入り口では、三つをしっかりと吟味せねばなりません。 例えば、どのような立派な弓矢が有っても的が無いと何の役にも立たず、その反対も然りで … また弓矢と的があっても射手がいないとこれまた弓矢も的も無に等しいのです。 問題は、的 ( 目的 ) と弓矢 ( 手段 ) 、それを射抜く射手 ( 動機 ) が無くては何事も始まらないということです。
さて、ここにもう一つ非常に大切な事柄があります。これが禅的生活の一歩であり、この理解がなければすべての行為は自己満足で終わり、結局は何の成果も解決も無く、虚しく終わるでしょう … 。
それは行為の動機に対して ー 何の為に ー !! と、更にその背後を正さなくてはなりません。
禅門では … 発心 ( 動機 ) が正しくなければ 、どんなに頑張ったところですべては虚しく終わるぞ! … と注意を促します。
例えば以前こんなことが有りました。私に太極拳を学びたいと云う若者に 『 何故太極拳を学びたいのですか 』 と聞くと 『 強くなりたいからです 』 という … 動機は強くなりたいのです …さて、ここなのです … 『 何故強くなりたいのですか 』 と問うと、返事がありません。 ー 自分の弱さがみえていない! ー
又その人がもし 『 弱いから 』 と云うなら、 『 あなたのどこが弱いのですか 』と問うたでしよう … やはりはっきりとした返事は無いはずです。
結局は漠然と自分を弱い者とみて、これもまた漠然とただ強くなりたかったのです。 ( この漠然を趣味程度と申します ) 世間一般ではそれで入門は許されるでしょうが、禅の生活ではそれを許しません。
何故ならば、強さを求める事ではなく、問題は、自分自身の弱さを知ることであって、あくまでも思いつきの動機で善しとすることなく、深く背後に更なる原因を追究せねばなりません、… 素人は悟りに迷うが玄人は迷いを悟るのです …
正しくは、問題は問題ではなく、問題にしている自分が問題なのです … 禅的生活では、全ての行為は自分を学ぶための暗示とせねばなりません。
そうなのです、何をやるにも やる人の意識が問われ、正し、深めねばなりません。
ー問題意識を正すとは何かー 理
私たちは人間であり、生きるとは、自己の自由を獲得する事です。人は、束縛を不幸というのです。
… ところで人間の正義は人間世界のみに通用して動物界には通じません、何故ならば私たちは動物を食して生きているからです。
では植物界はどうでしょう … 。
同じく人間、動物の生命維持の対象です … 破壊者の中に、真の自由はありません!
さらに人間、動物、植物から、生命世界に広げた価値観を正すことで、地球環境問題からいっても、人類にとって如何に大切な事柄で有るかは十分に理解できます。
しかし、その生命世界は空気、水、大地、太陽 等 … の存在世界の恩恵を受けていて、そのうち一つでも欠けると一瞬にして全ての生命は消滅してしまいます。
条件つきの自由は真の自由とは申せません 。
人類の要求は有史以来、永遠に安らぎたい全てから自由でありたいと願っているのです ー しかも無条件に ー 何か一つでも条件つきの束縛があれば心から安らげないのです 。
そこで、問題意識を正すとは!
それは自らの平安を得るために、より普遍的な単位である、存在を問わねばなりません!
その価値観を深めねばなりません … より普遍的に、更に普遍的に、存在を許す時空間までをも含めて解決しなければなりません!
私は誰か!
一切はこれ何物か!これが禅の問いかけなのです。
一切に共通する価値観を見いださなければ真の平安は訪れないのです 。
それを、別の言葉で表現しますと … 多様性の中に単一性を見いだせ! … となります。
この問いかけとその答えこそが究極の問答であり、人類永遠の謎でもあるのです。
禅は … 一即一切、一切即一 … と答えます。
矛盾 ( 多様性 ) を統一 ( 単一性 ) する法にこそ一切の平安が達成できる!と暗示をするのです 。
ー問題意識を正すとは何かー実践
拳禅一如とは、精神を統一する 《 禅 》 、その方法 《 拳、剣、茶、花、柔 》 により、それを獲得しようと試みるのです …
これをみても拳禅一如とは、その理と実践のもとにそれを表現し、実現するのは自分であり自分以外の問題ではないのです ー 自己を学び、自己の人格を完成するためにそれらの習い事が有ることを理解した者が拳禅一如の意味を理解する者なのです。
禅的生活を定義するならば ー 今ここに、動機を正し 心の統一を実践しながら、
自らの中にその回答を得てゆく ー というものとなるでしょうか … 。
禅の方便的生活においては心身の健康など、自分に利益することが上げられますが、あくまでもそれは方便であり条件つきであります、真実の自由においては 生死を超越して不生不滅に遊ぶものでなくてはなりません。
けっして大げさな事ではありません。
禅はそれを解き明かします。
太極拳もその熟練において、太極の気象に入ればわかります
《 太極の気象を禅では一指頭の消息と申します 》 。
太極拳は一般に武術であると単純に考えがちですが、そうではなくそれは時代の要求にしたがって、理の用い方による表現の異なりにしかすぎません。
太極拳の愛好家でもある科学者 F・カプラは太極拳を評して、宇宙の運動 《 量子運動 ( 著書・タオ自然学 ) 》 と表現しますが、一番的確な表現ではないでしょうか。
要するに全ての習い事の理の深浅のその用い方によってその人の真価が問われるということです。理は人・・・人は理を学び修して、本来世界に帰りたがっているのです。
文章は、karna 2009 年 1月号に掲載
北九州支部(福岡県)
陳式太極拳の基本、入門を初心者向けにやっています。練功十八方も、準備運動としてやっています。
練習内容
1.練功十八法
2.太極拳基本功
3.入門 陳家太極拳簡易三十二式
日時
第1,2,3週木曜日(公民館の都合等で変更ある)15時~17時
場所
小倉今町市民センター
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法から観た 太極
« 禅から説く 太極の気象 »
宇宙全体を 一つの働き の上に全部おさめてとけ合ってしまえば、
修証は一如 ( 修中の証 証中の修 )であって
一如は体現( 人格化、自己確立 )となり、一人の修証も又全体の修証 ( 自他ともに脱落する、天地人合一 )となる。
原田祖岳老大師
乾坤大地
一指頭に究尽す
雨降り 風吹く 是れ何ぞ !!
( 道交会 公案 )
« ヴェーダーンタから説く 陰陽太極の姿 ( ー + = 0 ) »
この世界では、すべての幸福はその影として不幸を伴っている ということをわれわれは知る。
生はその影である死を持っている。 彼らは共に行かなければならない。
彼らは相矛盾するものではなく、二つの別々の存在ではなく、一個のものの異なった現れなのである( 葉の裏表 )。
生死、悲喜、善悪、みなそれである。
一般概念として、 善と悪は二つの別々の存在であって両者とも永遠に存続すると考える二元的な概念は、見ただけで不合理なものである。
両者は、同一事実の異なった現れである。
ちがいは、種類の中にあるのではなく程度にあるにすぎない。
ヴィヴェーカーナンダ
大分支部(大分県)
大分支部へお問い合わせ
太極拳の精義(無名・無形)
太極とは先人が陰陽の理に基づき無名を以て名とした、故に太極と言う。
明朝洪武七年(一三七四年)始祖卜耕は、読書の余暇に、陰陽開合運転周身の術を子孫に教えて以て消化飲食の理法となし
此れは“太極”に基づく学問で
故に“太極拳”と呼ぶ。
「人人各居、一太極、但看用功不用功」
おのおの人はすべて太極に住しながらも生命の発露に鍛錬による成果の差が看取される・・・
「太極拳泰是道乎、道不遠人、人自遠」
太極拳は無に至る大道であり、大道無門にして人を遠ざけず、人揀択(こだわり)して自ら遠ざかる・・・
天地の道は陰陽のみで、人も又然り太極拳を学ぶとは、陰陽の理法を学ぶ事である。吾等の身体の中にはもともと自然に、陰陽開合の理が存在しており、此れに逆らうことは出来ない。
伝授者は規則を教える、それは即ち“大中至正の理”である。
太極道交会の目的(精・気・神)
太極拳は陰陽合徳、天地自然の理法にのっとった錬気の術である。その実践は陰陽を養い、太極の本源に帰することにある。
太極拳の始めの姿勢から終わりの姿勢まで、総て有形の拳で
有形に始まり・・・・・・精
無形に至り・・・・・・・気
無形は心機に入り・・・・神
その妙界から遂に無心に帰して(大虚)初めて拳と言う。
これを見ても「拳」は心の中にあり・・・心の中に天機が躍動し、活溌溌地(かっぱっぱっち)として行くのが太極拳で、世の他の拳類とは全く異なるものである。此れは終生かけて学んでも尽きる事を知らない。
太極中自然の機気と理は・・・(-+=0)機気は理であり、気は理がなければ気は通じない、また理は気がなければ理を運行する事も出来ない。
気と理が一つになり、一つが二つに分かれ、そして二つが一つになり、変化無窮である故、生涯学んでも学び尽くすことが出来ないのである。
道長問う「太極拳とは何か」
陳小旺老師答う「剛柔相濟」
道長問う「太極拳を学ぶとは」
陳小旺老師答う「無を学ぶ事にある」
畢竟如何
自己の確立と自他の和合
太極拳の各姿勢、動作は言葉や文字を弄しても中々急所を掴むことができないが、身体で覚えると容易に理解する事が出来る。勿論細心の修練が必要であるがこれを長く続ける事は尚更難しい業とされている。一般に大成は九年を要し、小成は七年かかると言われ、精妙の境は終身の学と言えよう。或者は一、ニ年学び若しくは三、四年の浅きに終わるが、こういう者はどうしても“門外漢”と呼ぶ外はない。とにかく先ず心から修練を始め、順序に従い、漸次練磨を積み重ね、規則に沿って行って初めて功を成すもので、何事も“実践”が大事である。
諺にも言われる通り
「練拳万遍すれば神理自ら現れる」とは
至言である。
ゆえに我々は
一、普段から艱難に立ち向かい、
ニ、他を邪魔にせず、
三、如何なる変化にも順応し、
四、徳容の修練に励まなくてはならない。
此れが拳者の総てである。もし道理が不明なら、師に習い、信念が揺らぐ時は良友を求めよう。
太極拳と太極
人間の二大尊厳とは 自己確立(智慧)と自他和合(慈悲)
今 私は ここ にいる・・・
確かにそれを実感します・・・しかしこの現実は永遠ではない・・・私達の周囲を見ても生あるものは必ず滅っする・・・この事実は私達も例外とはしない。所詮消え去る存在なのか!
社会の秩序、それに則った日々の生活、衣食住に追われて終わるのか・・・虚しくはないか!・・・このつかの間に過ぎて行く人生に永久なるものはないのか?
それにしても、自然界の真相を説く東洋の先人達に消極性は見当たらない。現代科学もまた、宇宙は永久に秩序正しく美しいものであるとする・・・なのに、無常なる現実はなんと辛く悲しいものなのか 私達もまた例外なく天地自然界の生みものであるというのに!
森羅の現象 万有のささやき・・・静かに観察してみると確かにそこには安らぎがある、しかも私達になにかを語りかけている (道交)
日々、我々は生活を営んでおりますが、何を根拠にして?このような問い掛けは無意味でしょうか・・・しかし何によって、ものごとの良し悪しを量っているのでしょう・・・その基準を何処においているのでしょうか。この問い掛けの重要性は、いつの時代にあっても人間はあらゆる事態を客観視できる、その人間の人間たる尊厳を守る為の大事な問い掛けなのです。
そして心ある人々は、いつの時代にあっても、どこにおいても永久に変わる事のない根拠 依って立つ“拠り所”を探求し続けてまいりました。その結果分かった事は、この宇宙の法は 決して私達の人生とかけ離れた事柄ではなく、日常のあらゆる局面に関わってくるということでした。
そして、人々は万有の根源に立ち帰ることにより天地と和合し永劫変わることなく調和する“単一”なる世界を発見したのです。
我々道交会員はこの教えのもと天地人合一の“太極”を目指していこうではありませんか。
太極とは 智慧 即ち自己確立
道交とは 慈悲 即ち:自他和合:であります。
1月の東京太極道交会練習会のお知らせ
1月の東京太極道交会練習会は下記の通りです。
基本クラス 13:15~
山口道長クラス 15:00~
1/ 5 山口道長練習会(注意:14時から16時まで)
奥沢東地区会館 大会議室(地下)
(世田谷区奥沢2-9-28)
東急目黒線「奥沢」駅北口より徒歩2分
*基本クラスは13時から開始し14時から合同
練習になります。
1/12 お休み(奈良年始会の為)
1/19 山口道長特別講習会(特別講習料2500円)
内容:陳式新架式、武器の復習(希望者)
時間:15:00~17:00
場所:奥沢区民センター第1会議室(大会議室)
(世田谷区奥沢3-47-8)
東急目黒線「奥沢」駅北口より徒歩1分
*基本クラスも通常通り行います。
1/26 山口道長練習会
北沢南区民集会所 1階会議室
(世田谷区北沢3-25-8)
京王井の頭線「下北沢」駅北口より徒歩5分
*基本クラスも通常通り行います。
1月の横浜太極道交会練習会のお知らせ
1月の横浜太極道交会の練習会は下記の通りです。
時間は日曜日10時から12時です。
1月5日 綱島小学校新校舎
10-11時は気功、11-12時は太極拳
1月5日 17-20時は新年会です。
1月12日 年始会のためお休みです。
1月19日 綱島小学校新校舎
1月26日 綱島小学校新校舎
2012年活動報告
2012年11月5日(土)、6日(日)、7日(月)
国立青少年交流の家で秋合宿。男性23名、女性14名。混元太極拳の習熟と王西安老師からの命題であるボン勁と放松を中心に練習を行う。
2012年10月9日(日)
太極道交会第13回表演会。千葉県木更津市において開催。
2012年8月26日(日)~9月1日(土)
王西安老師に学ぶ太極道交会訪中団中国河南省温県へ派遣。団長:山口博永、副団長:三浦方圓、書記 :永井大覚。男性11名、女性13名。王西安先生から陳式太極拳老架式を学ぶ。途中鄭州市で卜文徳大師と程日興さんのお墓参りをする。卜文徳大師の家族、弟子、程さん家族と会食。
2012年7月15日(日)、16日(月)
大分県臼杵市において「禅と太極拳」のワークショップ。山口先生が講師。30数名の参加がありました。
2012年6月23日(土)、24日(日)
第13回指導員養成合宿と指導員試験開催。千葉岩井海岸の川名館。男性14名。女性13名。5月5日に馮志強大師が亡くなられました。今回は、馮志強大師に教えていただいた陳式心意混元太極拳を基に、指導員養成合宿がおこなわれました。指導員試験では次の3名の方が、準指導員になりました。姫路支部 大川十寸、山崎陽子。江戸川支部 磯部陽子。姫路の方は二人で協力してお互いの長所を生かして、足らない点を練習していくようにと山口先生から講評がありました。磯部さんは、山口先生の練習会にも参加しているので欠点もよくわかっているので、これからは姫路の方も一緒ですが、指導員を目指す練習が大切という話がありました。
2012年5月3日(木)、4日(金)、5日(土)
第20回太極接心会開催。伊豆の一燈禅林でおこなわれる。男性18名、女性11名。雨模様であったので、伊豆支部が練習会場にしていたところを4日に使用、海が一望できる環境で混元太極拳、陳式老架式に分かれて練習。山口先生から、初心者の習い事の在り方について、まずは形にはまらねばならない、そして時間をかけて形を自分のものにしていく練習が大切。その先は、さらに練習時間を増やし、外面から内面へ、人の目を気にする目から、自分自身を観る目が必要となる。今回の太極接心では、練習のそれぞれの習熟段階での在り方についての練習がおこなわれる。
2012年2月11日―12日
年始会 本部道場で男性13名、女性9名の参加。今年度の日程が決まる。
■2012年度の日程 5月3日、4日、5日 一燈禅林において太極接心
6月23日、24日 岩井海岸において指導員養成合宿
8月26日―9月1日 訪中 王西安老師に学ぶ訪中団
9月30日 太極道交会表演会
11月3日、4日、5日 御殿場青少年の家において秋の合宿
1月13日、14日 本部道場において年始会
2011年活動報告
2011年8月8日―14日
2011年訪中。中国河南省温県へ赴き、内勁を重視しながら、老架一路を王西安老師より直接学ぶ。
2011年11月5日―7日
秋合宿 御殿場市 太極拳の練習はゆっくり気を通しながらおこなう必要があるが、早くおこなう練習も大切。そのためには身体のバランス、勁を通してスムーズに安定していなくては難しいという観点からの練習。他に推手の基本的やり方も学ぶ。
2011年10月9日
第12回表演会木更津市
2011年8月8日―14日
太極道交会王西安老師に学ぶ訪中団 河南省陳家溝 陳式太極拳老架一路を練習して、勁の合わせ方、身体のなかの使い方を学ぶ。
2011年6月26日
「精・氣・神」17号発行
2011年6月25日―26日
指導員養成合宿 南房総市 新しく準指導員になられた方。中村隆次(横浜)、塚原吉晴(川崎)、熊澤顕(横浜)、井上美津夫(木更津)、市橋進(木更津)。
2011年5月3日―5日
太極接心 5月合宿開催 静岡県伊豆市一燈禅林。今年の太極接心は原点に帰り、禅堂の規範とできるだけ同じ形式で、太極拳を通じて自らと向かい合い、震災で多くの方が亡くなられたことに対する追悼の意を持っての太極接心。
2011年5月1日
「精・氣・神」16号発行
2011年1月15日―16日
年始会 日光市
2010年活動報告
2010年10月3日
第11回表演会 木更津市
2010年8月12日
日本で王西安老師に学ぶ、野口敦子さんたちと一緒に王西安拳法研究会日本分会を作る。野口さんを分会長に太極道交会も参加。
2009年以前活動報告
2009年
「太極道交会の歩み」発足30年記念誌発行
2002年6月
千葉県鴨川において太極道交会指導員養成合宿が始まる。これ以降、千葉県南房総市岩井海岸に場所を移して、指導員養成合宿が恒例となる。この合宿から育った指導員が各支部を設立させていくようになる。
2001年
中国北京に馮志強老師に学ぶ訪中団を送る。これ以降、太極道交会として陳式心意混元太極拳を学ぶ団を訪中させるようになる。
2000年 9月23日
千葉県木更津市において第一回太極道交会表演会を開催。これ以降、毎年、表演会を開催。
2000年
事務局体制発足。太極道交会の会報「精・氣・神」第一号発行。
1997年
オーストラリアへ陳小旺老師に学ぶ太極道交会の団をおくる。
1993年5月
静岡県天城にある一燈禅林において太極接心会が開催。これ以降5月合宿としての太極接心が始まる。
1990年
埼玉県寄居において秋合宿開催。この年以降毎年、秋合宿がおこなわれる。静岡にある国立青少年交流の家、日光、鴨川、本部道場等を利用しての秋合宿が恒例となり、現在は国立青少年の家を使っての秋合宿となっている。
1988年9月23日―10月2日
太極道交会第一回訪中団。王西安老師に学ぶ。これ以降、王西安老師に学ぶ訪中団として現在までたびたび訪中する。この訪中で中国嵩山少林寺国際武術表演会で太極道交会は団体優勝、個人種目で山口先生が個人優勝宋河杯を獲得。
1988年
箱根において年始会。現在に至る年始会の始まり。
1987年11月11日
横浜、東京、館山の三つの太極道交会が合同して、太極道交会が発足。本部道場を能忍寺に置く。会則を作成して、世話人によって運営される。これ以降、指導員によって各支部が発足して指導員による練習会も始まる。
1986年
館山において練習会が始まる。館山太極道交会の始まり。
1985年
東京において練習会が始まる。東京太極道交会の始まり。
1979年
山口先生の練習会慧叢林(えそうりん)の流れを受けて横浜において練習会が始まる。これが横浜太極道交会の始まり。横浜太極道交会としての合宿もおこなわれる。