第1章 発心

私と太極拳の出会いは古く、私が八歳のころで、今から半世紀も前になります。
確か三本立て映画が50円の時代でした。その当時の事が懐かしく思い出されます。
スクリーンに映し出される白黒映画の始まりは、巌に打ちつける荒波に続いて三角マークの中に東映の名称が入り浮き出て来るというものでした。
その直後に、ニュースの字幕、そして始まりは、解説者のお公家口調がなんとも特徴的で、スクリーン全体を煙ったく感じさせるものでありました・・・、懐かしい思い出です。
そのニュースで、ある時中国を紹介する番組がありました。その出だしに、一人の老人が足にゲートルを巻きながら農民服を着て現れました。見るからに哀れな様子であっりましたが、立ち止まった瞬間は大きく見えました・・・。
それから何気なく静かにゆったりと、そしてだんだんと力強く雄大に動き始めたのです!
(えーっなに!・・・)と思ったその時の衝撃は、その画面と共に今もはっきりと憶えています。
しかしその当時の私は、それが何なのか?又それをどのように理解して良いのかわからず、ただただ深い感動と、無性にやりたい・・・、という切なる衝動に駆られたことを記憶しております。
今にして思えばあの時代にあって、子供心にも哀れさすら漂わせたあの老人が、突如としてそこに、人間の尊厳、何にも動じない崇高な自立心と限り無き自由の姿を見たのでした。
私が四歳の頃に受けた人生の悲しみは深く、今も心の奥底に残っております。
その苦しい思いが、もの心つく年頃になって蘇り「どちらにどう転んでも大丈夫な世界はないのか!」』・・・という言葉となって吐き出されました。
そしてこの言葉が私の人生を決定する人生観、世界観となったのでした。
確かに ー あの日の老人の姿には、幼い当時の私の傷を癒すなにかがあったのです。
・・・そう、あの時何かに気付いたのです。
・・・偉大なものに・・・
それが私と太極拳の出逢いでした。