拳理
帰国後に友人が『あなたが拳の理を聞いた時の喜びようが尋常でなかったことが想像できる。』 と、言ってくれました。
それもそのはずです ー
陳老師が私に説明して下さった拳理は、拳禅一如の理、いや禅からみて禅そのものであったのです! ー
陳老師から 〝 人人各居 一太極 〟(人は全て本来太極にある)
この理を聞いた時 ー 私が八歳の時に見たあの太極拳の、あの感動の真意が理解できた瞬間でありました …
遂に見つけた!というよりもやっぱりそうであったか!という確信を得てうれしかった。
私は拳理の説明を聞きながら嬉しくなって、陳老師に禅問答を試みました
一 結局のところ!『太極拳とはなにか!』 陳老師曰わく 『剛柔相済』 問う 『ならば、太極拳は何を学ぶのか!』 陳老師は我が意を得たりとばかりに、表情を和ませ、『無に帰ることにある』 一 うむッ 見事 !さすがに陳家の嫡男、髄を得たり ー 。
(数年後に私達が作った教本を陳老師がご覧になって、私に一緒に拳理を研究したいとおっしゃったのは、やはり通じるものを感じ取られたからでしょう)
拳理に《 万有の展開は陰陽二力の作用であり、人もまた然り、それ故に太極拳を学ぶとは陰陽の理法を学ぶことである。》と解かれてあります
まず、この陰と陽の名称は符号、記号であって、相対の関係と
その作用すべてを表し、陰陽とは剛柔や開合と言っても良いのです。
数式の - + も、同じ意味をもつものであります。
ではなぜ、このように符号化するのかと申しますと、人の意識作用は言語に反応しヒステリックになるため、物事の探求には適当ではありません。
言語は感覚器官である五官(眼耳鼻舌身)の領域を超えた深層の探求には不向きなのです。 ゆえに科学者が原子の世界を垣間見るのに使う数式もこの意であります。