さて話しは戻って
私達第一次訪中団の練習内容は新架一路。この一路八十三式を一週間で覚えるという過酷なものでした。練習開始当時には、新架式の複雑な動作がなかなか理解ができず四苦八苦していたら、陳老師が見かねて老架式に変えますか?と云われた。しかし既に新架式の魅力にとりつかれていた私達でしたから、引き続き新架式の指導をお願いしました。(なぜ最初から新架式なのか!?
陳老師は二年前、私が演武をした老架式を覚えていて下さって、〝ほとんど陳家溝のものと同じである〟と評価して下さっていた。そこで次に学ぶのは新架式という事になったのです。)
私はどうしても覚えて帰りたかったので必死でした。
朝は四時から夜十一時まで昼食も抜きで練習を続けました。
しかし中国友好協会側からは夜は京劇やバスケットの試合など夜の観光を計画して下さっていたようでしたが、私達はそれらを全て断って練習に励みました。それをみて陳老師は『何で君たちは夜間、観光に行かないのか?』と云われるので『私達は練習をしたいからです!』と云うと、陳老師は、〝それでも行こう〟と云うかと思いきや、笑いながら『その気持ちは良く分かる、そうだそうだ!』と言って深く理解を示してくださいました。
陳老師は外国人に初めて教えるといっても、陳氏太極拳の伝統を守るという立場上、例え政府の命令と言えども、自身にもプライドがあったでしょう。
友好第一だけでは戸惑いがあったのも事実でしよう … ところが 怪我の巧妙とでも云うべきか!覚えの悪い私たちの 〝あまりの熱心さ〟 に心を開いて下さって、その後は前にも増して懸命に指導をして下さいました。
おかげで ようやく形だけは学び終え、帰国の日も近づいたころ、共に打ち解けあって帰国後の私達の練習にまで気を配って下さり、難しい動作の8ミリ撮りも許可してくださったのです。
しかし8ミリ撮りは上層部から禁止されているそうで、私達の部屋にまで来られて難解な動きを撮らせて下さいました。またその折り陳老師は少し寂しげな顔つきになって、『これからも来るのか』と聞かれたので私はすかさず、年一回は必ず学習に来ることを約束をし、陳老師も笑顔になって同志のように打ち解け合ったことでした。