山 口 博 永
この冊子(道交会手帳)には、太極拳の大事な理論である太極と陰陽が説かれてあります。皆さん方も時々これを読んで参考にしてください ――
『 拳を学習する目的は、心身の鍛錬をその第一とせよ 』
これは 劉 大師 のお言葉です。
さて今まで何度も申し上げたことですが、少し復習をしておきます。
まず太極拳の目標は、インドの最高哲理であるヴェーダーンタ哲学の探求テーマと同じで「多様性の中に単一性を見いだせ」というものでした ―。
なぜ“ 単一 ”かと申しますと、簡単に言えば多様性は 不自由 で、単一は 自由 ということです。
これを喩えとしてあるのが有名な、波と大海があります ―
『 私達を含めたこの世界は個別の存在としての波と、一体の大海に似ているとした。』
確かに私達はそれぞれ個の波であると共に本来は大海であるというのです。
しかし、このことは頭で理解できても日常にあってはなかなか理解が出来ません。
いつも私達は外の世界を分別して他の波とぶつかり争うのです ―
そこで理法は単一なる大海こそが自己であると気づけば、あなたは一体全体を知って完全なる自由を得るというのです。
勿論この法則は私達の日常とかけ離れた事柄ではなく今まさに、ここに問われているのです ―。
例えばここに居る私たち20数名の存在も、その窓の外に見える「松、もみじ、ひのき」などを入れた自然界も同じく全ては個の存在としての波であり共にかかわりあっているのです。
そこで、太極拳の鍛錬もこの陰陽矛盾を解決すべく ― ― 多様に変化する動作の中に、統一をはかる、すなわち太極を目標とするのです。
矛盾は不自由で心身の病を得る … それに対して統一は自由で健全なのです。
そこを陳ヒンも
各動作の後は渾然( 完全に溶け合う )
と太極の気象( 気性、気質 )に帰り、いささかの痕跡( 過去にあった、跡形 ) をも残さず 外観さながら 停止しているかの如くであるが、 内面絶えず 太極が運行 している。
これが太極の奥義( 極意、神髄 )であり、
太極拳を学ぶとはこの 精義( 詳しい意義 ) を学ぶ事にある ― ―
と説くのです。
それをヴェーダーンタの方でも
― 「万有の展開は陰陽二力の作用に帰す、誰が展開のいずこより来たりしかを知るものぞ!」と問いかけるのです -
私たちは太極拳の鍛錬を通して陰陽2力の “ 波 ” の背後の“ 大海 ”を知る者とならねばならないというのです ー なぜならば私達は、 完全なる自由を欲するからです ! ー
老子の言葉にもありましたね。
老子が、一と二の関係をこういっています。
「陰陽二力の作用は、一から、一はどこから来たか、道からである」と
― 中国でいう奥義はこの 道 なのです。
道が一を生じ、一が二を生じ、二が三となり、三が万物を生ず … というものです。
陰陽は太極から、太極は道から生まれたと。
そして老子も、その道 “ 大海 ”に帰れば永遠に安らぎ、完全なる自由を得るというのです。
ではその道とは何か ― ―
ヴェーダーンタでは「汝はそれなり! それを見いだせ」という ―
人生とはその回答を得るためにあると説く。
『 非常に大事なポイントです。
― + = 0
道の0と太極の 1 とは共に素材は
陰陽であると !! 次の機会に説明します ― これは量子力学であり科学の証明です。 』
そこで「道 “ 大海 ”と物質 “ 波 ”は姿が異なるだけで、 一人一人の 脚下 にあるという、それを太極拳では“ 人人各居一太極 ” というのです。
道交会は、ここに目標を定め、鍛錬する会であっていただきたいのです。
劉大師が私に言われた“ 心身の鍛錬 ”とは、正にこのことなのです ー
このように東洋哲理が指し示すエキスから、私たちは太極拳をどのように学ぶかを深く考えなくてはなりません!
短絡的、盲目的ではダメです!趣味だけでは長続きはしません。
次に太極拳の陰陽の性質を調べてみましよう。
数式のプラスとマイナス、これが陰と陽です。
地球もなぜか眼には見えない磁力の支配を受けております。しかしその性質を知ることは可能です ―
例えば、磁石棒には赤と青の色分けがしてあって、赤はプラス、青はマイナスです。
ところが、もうひとつ別の磁石棒を近づけると、どうしたことかプラスどうし、マイナスどうしは反発しあい、プラスとマイナスはくっつくということはすでに皆さん方も知っての通りです。
このように、自然界には生命誕生以前より、プラスとマイナス、陰と陽の磁力の作用があり、その中で私たちは維持されているのです。
次に陰陽を、運動の法則からみてみると「開と合」になります。
開は陽、合は陰に属します。
それを分析しますと ― まず開と合は正反対の動作です。
しかし、合は開から、開は合からでなければその動作は生まれません。
ここに二つの定義が生まれます。
一つは、陰と陽は正反対の姿、性質である。
もう一つは、陰と陽は単独に存在せず、「 二つの性質を持った一つの姿、あるいは二つは一つの働きである 」ということになります。
整理しますと
「陰と陽は正反対の性質でありながら、陰陽は一つの姿とその働きである。」
となります
ここで、覚えましょう ― 「陰陽は、一つの働きであり、分けられない!!」 ということです。
この法則を、太極拳運動で身に擦り込み、常識化して日常に展開して下さい。
太極拳の練習では「開合」を ― 前後、左右、上下、四方八方 ― に陰陽開合統一せねばなりません。
あげる力は落ちる力と相互作用しなければアンバランスとなって動きは崩壊します。
右にもっていくには左の力を知らなければ正しく右にはいきません、左も後ろも然りです。
太極拳はこういうふうに一つ一つの動作に陰陽のテーマを設けて練習することが大切です。
私たちは、太極拳を通してこの法則を体得し意念において拳を千変万化させるのです・・・。
カプラという量子力学者が太極拳を学びながら気づいたことは「太極拳とはまさに量子運動である」ということです。
それは、「自然界の運動力学の法則を人体に取り入れたのが太極拳運動だ」、というのです。
科学で宇宙の運動は ― 重力、磁力、弱い力、強い力 ― の展開であるという・・・。
この自然界に有る4つ力をすべて用いたのが太極拳だといっているのです、( これが陳式太極拳の独特な風格である纏シ勁というものです )。
確かに太極拳は落ちる力の反動を動力源として、腰のねじりで螺旋の円運動に変え、四方八方に陰陽二力を結ぶのです。
今、陰と陽の力学的関係を二種申し上げましたが、次にもう一つ、体と心を繋ぐ呼吸の関係でいえば ―
吸うは「陽」、吐くは「陰」にあたり
「深く吐いてください」と言えば、まずは深く吸うでしょ。
「深く吸ってください」と言えば、最初に深く吐きます。
これが 「 陰と陽は別々の作用でありながら、ひとつの働きを現す。」ということです。
これが自然の理なのです。
しかしこの理法を私たちの日常の価値観に取り入れると不思議な現象が起きてまいります。
たとえば、「得をするには、まずは損から」ということになります。
行くということは、帰るということです。
『昔インドで私の友人が禅語にある “ 下山(あさん)の道は上山の道 ” と唱えたら、そばにいた量子力学者は「それは量子運動だ!!」と言って大感激していたそうです。』
「取るとは棄てることなのです」と … しかし未だ科学者はその法則の姿に戸惑います。
なぜならば陰と陽は別物と考え、陰陽和合の理( ― + = 0 )の 太極 が発見できないからです!! 人の思考は陰陽二力のどちらか一方に滞る性質があるので矛盾となるのです。
これが天地陰陽からはじきだされた法則であり、我々の日常を正す基準でもあるのです。
さらに、はっきりと知っておかねばならない事柄は、本来私たちも自然界の生み物として、今ここ! この法則に則ってあるということです。
私達は “ 天地人一体 ”のものであって本来は自由闊達であるはずなのですが どうしたことか、自身の“ えり好み ”から陽にかたより一陰九陽となって心身のバランスを崩しているということであり、 その陰陽矛盾から苦を生むということです ―
ここです!!
まず太極である統一“ 0 ”を知らなければ日々の陰陽( 損得、善し悪し )に、バランスが保てず、一方だけに滞って苦を生むのです。
― ―
理論は、非常に抽象的な姿ですが、それを具体的に日常で、どのように用いるかをしっかりと鍛錬せねばなりません。
― ― ―
つぎに、身体と心の関係ですが ― 手の平を上に向けて、次に下に向けると印象が変わりますね ―。
私たちは、からだと精神は心身一如であるということを知ります。
「座ると」と思えば、座る。
「立ちなさい」といえば、立つ。
「行きなさい」といえば行く。
それと同じく、からだが痛めば心も痛み、体の変化に心も変化します。
ですから、心身は別物ではないのです。
「太極拳運動はからだを調え呼吸を調えそして精神を調えるもの」と考えてよいです。身体は力学的で目に見えて分かりやすいものですからね ― 「気を降ろすために、肩の力をぬいて胸の力も抜く」というと、正しく下腹にぼんと落ちてくるものがあります。
このところを丹田と言い、練習の過程でしっかり鍛錬しなければなりません。
丹田に陰陽が正しく合一したとき、これを・・・太極の気象と云い・・・呼吸も止息の境に入る。
すると三性は( 眼性、耳性、意性 )内面に合一となるのです。
この時に !!、 波は大海を知るのです。
色合いでいえば陰と陽は、白黒に分かれていても、統一すれば無色透明となって三性合一( 無分別智 )の境に入る。
『中国では、赤を陽とし、青を陰として色分けします。そして赤と青が、かみあってひとつの姿を現しているのです。
あれが陰陽マークで、量子力学の父、ニールスボーアが自身の墓の紋章に選んだのです。』
人体力学で気沈丹田の陽と、虚霊頂勁の陰が、一本の柱となって体中を貫く時、 心は分別知の二力を離れ、統一的な無分別智( 太極の気象 )を得るのです。
太極拳の鍛錬は1陰9陽から始まり ・・・ そして5陰5陽となって極意を得ます。
極意は“ 0 ”で時には陰、時には陽を知って陰陽に遊ぶ
これを 禅では
“ 遊戯三昧 ”といい、やはり禅の極意ですねー
ど〜〜〜ぅぞこの放松力( 0 )を完成してください ―
こうして(実演)お互い上下に引き合わせればいいのです ・・・ 。
そう ― 動中の太極と、静中の太極がありますね。
動中の太極は、五陰五陽で太極、静中の太極は、天陰地陽、人体の気沈丹田と虚霊頂勁 これが天地人合一という境涯です。
実はそのまま座すれば坐禅なのですね ―
同じです!
言葉での説明は難しいですが、体得は決して難しいものではありません。
なぜならば“ 人人各居一太極 ”ですから、本来そうなのですから・・・。
くどくど申しますが、矛盾の出どころは、日常の我々の陰陽二気が損得勘定となって、陽気の気分( 勝ち組 )が陰陽のバランスを崩す元凶なのです。
ですから、自然体( 太極の気象 )に帰れば、心身の天地人合一が完成されて、完全円満無限絶対なる大海に入る。
難しいことではありません。
難しいと思うのは、自分のこだわりの気分を捨てられないから難しいのです。
たとえ今それを捨てられなくても大丈夫!
太極拳の進歩の過程で自然に放捨できます。
天地人合一の境 ― ― どうぞ今申し上げた陰陽の理論を自分自身で深く探求追求し、反復練習の中で心身に刷り込んでいってください。
そして日常の生活に工夫をすれば・・・人生の達人となります。
明朝洪武七年
始祖ト耕は、
陰陽開合運転周身の術子孫に教えもって消化飲食の理法となし、これは太極に基づく学問で、ゆえに 太極拳と呼ぶ ー ー ー。
( 道交会 御殿場合宿 にて 2011年11月6日 精気神 18号に掲載)
以上