第19章 武壇の思い出 大師

自叙伝 武壇の思い出 大師それが劉雲樵大師その人であった。
入り口で弟子のお二人が布の垂れ幕を左右にサッと振り分け、その間からスゥと私達の待つ部屋に入って来られたのである。 …それでも、私達には一目もくれずに立ったまま側近の人と一言二言会話を交わし、また通訳が劉大師に説明を終えたところで、ようやく手に持っていた杖を傍らに置き、付き人が帽子とマントを受け取り、自ら皮手袋を外しながら、ようやくにして私達の方をご覧になり、微笑んで下された。


自叙伝 武壇の思い出 大師驚いたー、なんと上品な紳士ではないか! サングラスを掛けておられて素顔は見られないものの、私がつい先ほどまで想像していた、剣豪宮本武蔵のようないかつい武術家のイメージではなく、指も細くスラリとしていて、握手をした時のその手の柔らかさも印象的であった。ー しかしその立ち姿になぜか揺らぎがある、が油断がない、 ー 禅定に入る私の呼吸を量っているかのような… その全身リラックスの中に凄みを感じる!


自叙伝 武壇の思い出 大師武術家と禅定家には相通じるものがある、以前、太田老師が『剣の達人は鞘の内に勝負をつける、禅僧は百歩離れてそれがわからなくては駄目だ!』と言われた事を思い出した。
確かに雲水修行を半年もやれば胆田が定まり、そして日々の進退作法の鍛錬において即今即処に自在を得、禅機なる力をつけるしかも武術家とは異なり、無心にして無抵抗である。
鞘の内がみえる武術家はこれに反応してしまう … 相手を量る事が出来ない!ゆえに私を何者であるか!とみるか、あるいは気持ちの悪い奴とみるか。
……その後、それぞれ椅子に腰掛けて暫く会話を交わしたところで、自己紹介が始まりました。
自叙伝 武壇の思い出 大師そして私の番のところで 劉大師が突然通訳に向かって 『彼はなぜ髪の毛がないのか』 と聞かれました 。そこで通訳が、
『彼は日本から太極拳を修行に来ている和尚である』と伝えるや否や、劉大師はじめそこにいた人達までもが大笑い … 、お陰でその場が一気になごみ、私達の緊張もほぐれてやっと一息つけたのは良かったのであるが、 それにしても和尚が何故にそれほど可笑しいのか! 私も一緒になって笑っていたものの、なんとも意味不明であった。
自叙伝 武壇の思い出 大師