第6章 我が師

私が出家した寺は奈良の箸墓古墳の近くにある禅寺で、その当時、そこには永平寺大本山から特使として派遣された、宗門の逸材、将来は禅師と嘱望されていた、高僧丸山英智老師が住職しておられました。

何も知らない私が、ただ一途な情熱を抱いて門を叩いたのが十七歳の春でした。それから毎月一回の参禅会に参加しながら、人生如何に生くべきかを問い続け、そして機縁が熟して出家を決心いたしました。

ある日私は出家の志しを固め、意を決して丸山老師に入門を願い出ました。すると老師は「入門とは何か!」と、今まで聞いた事もない腹の底に響くような声でおっしゃるのです。

私は内心(そら来た!)と思いました。(これぞ、彼の有名な禅問答なんだ!)と腹をくくり、少し緊張気味で、しどろもどろにごちゃごちゃと、しかし最後はしっかりと説明申し上げました。

すると「な~んだ弟子にしてほしいと云うことか!」と、さらりとかわされ、少し拍子抜け気味に「ハァ・・・、はい!」と言うと、「ならば両親を連れていらっしゃい」とおっしゃりました。

冷たい!!

(私は完敗だ!入門は命懸けの決心を師に伝えなければ許されないと本に書いてある、なのに老師は両親を連れていらっしゃいと仰る!やっぱり私の志しの未熟さを見抜かれたのだ!)と思い込んでショックを受け、辛く悲しくなりました。しかしこれが後に、落語にある『コンニャク問答』になるとは夢にも思わなかったのです。

私は真剣だったのです!

禅入門の書には『慧可はその意志の未熟さから、達磨に入門を許されなかった。そのため自ら我が腕を切り落としてその誠意を表した』と書いてある!

何も知らない私は、そうしなければ入門は許されないと本気に考えて、その後本当に腕を切り落とす段取りまで考えたのです!でも結局は、できずにただナイフを火に差し込み右手の甲に誓いの印を焼き付けただけでした。

自叙伝 我が師それからというもの、毎月の禅会毎に志しを正し、頭を剃って向かいました。

生活も寺に入ると一汁一菜だからと外から欠けた丼茶碗を拾って来て、禅会で頂いた割り箸を大事に、お粥と梅干しの食生活に切り替えました。

また毎日夜中の二時に一番気持ちの悪い神社にお詣りしたり・・・。

怖いから、でっかい秋田犬の愛犬“鉄”を連れて行くのですが、鉄が鳥居の前まで行くと嫌がって動かないのです!それでも私は行きました!

( 後日談として、坐禅会 H.Mさんが、この神社を2012年12月に行かれたときのエピソードがあります。こちらから

その帰りは安堵感からか昼間は車が激しく通る道にゴロリと大の字になって、愛犬に顔を舐められ仰いだ星空のなんと美しかったことか!

・・・

満天の星に心から出家を誓いました。

だが現実はその効果もなく、その後も師はなんとも言って下さらない。

それでも諦めないで我慢をしていると、ある日老師は「どうする?」と、おっしゃいました。

私は即座に!「はい!入門、いや弟子にして下さい!」と真剣にお願いしたら、「うーん?、だ・か・ら、一度両親と、会って話をしないとまずいだろう?」とおっしゃいました。

本当に老師は私の両親の許可を取って決めたかったようです。  ・・・あれから半年・・・。

でも決して今までの私の努力は無駄では無かった!としっかり自分に言い聞かせて、納得致しました。

だって、本に書いてあったのだから、出家のきびしさが・・・。

出家後に寺のお母さんが言うには、「あんたが弟子になりたい言うもんやから方丈はん(老師)どんなに喜んではったか、その後何も言わへんから、やっぱり若いから気が変わったのかなぁ~っ、て云うてはったで~」・・・、だそうです。