第14章 法友

仏縁といえばもう一人、太田老師の来られる前に、やはり我が師を尋ねて来た青年僧がおられました。
この方は全国行脚の途中に立ち寄られ、いろいろ仏道のお話しをして下さり、太田老師同様に私の道心を呼び覚ましてくれたた方です。後に兄弟子になる法玄師兄で、帰り際に一冊の本を私に手渡されました。
開けてみると、カッパのような風貌をした、なに者か良く分からない写真を見て私は、「禅僧以外の本は読みません」と突っ返してしまいました。
確かにその当時の私は一途な不器用者で、偏屈で禅以外のものは全て遠ざけておりました。ましてや外道ものおや!と・・・
ところが、何とその本を二十五年の後に、偶然に開いて見て、感動のあまり、その場に座り込んで八時間!感涙にむせびながらぶっ通しで読む事になるとは。
その人物こそ、インド僧“ヴィヴェーカーナンダ”その人でありました。
彼、ヴィヴェーカーナンダは仏陀(お釈迦さま)のことを、このように仰る。
– 彼、仏陀は一人の弟子が泣いているのを見ると、叱って言われました。
「こんなに嘆き悲しむとは一体何ですか?これが私の教えの結果ですか?誤った絆があってはならない。私に寄りかかるのをやめなさい。この消え去っていく個体を誤って栄光化してはなりません仏陀とは一人の人間ではないのです。仏陀は悟りです。自分自身の救済を行じなさい。」と死に行く時ですら仏陀はご自分の特別なこと、卓越していることは主張なさいませんでした。私はこれがために仏陀を崇拝します!
(ヴィヴェーカーナンダの感動と情熱、私はこれがためにヴィヴェーカーナンダを崇拝します)
世界の師の中で仏陀こそ我々が自立するように教え、誤った自我という認識の絆から解き放ったばかりでなく、目に見えない神と呼ばれる存在からも解き放ってくれました。
仏陀はすべての人が、彼の呼ぶところのニルヴァーナという自由な世界にめざめる平等の権利を有していると宣言されました 。すべての人がいつかその絶対的自由の状態を達成しなければなりません。そのニルヴァーナ・涅槃への到達が人間の完成なのです – と仰います!
私はこういう言葉は一番衝撃的で応える。
たしかに!だからこそ私は出家したのです。
自叙伝 法友《 天上天下 唯我独尊 》
私が一番欲しかった世界  『どちらにころんでも大丈夫な世界はないのか』に対する完璧なお答えであります。
このお示しは・・・、人々の内にはすでに完成された『仏性』が存在しているというお示しであり、それは他から与えられたり、また取られたりできるものではない!元来 『あなたは それである』それ以外の何者でもないと云い、自らがその仏性の純粋な真実に到達した時、その人はその瞬間から仏陀となり永遠の自由と平等を獲得するというものです。
・・・
完全なる御教えではありませんか!
《 人人各居一太極 》
しかも仏陀は御自身のみをそうであるとおっしゃったのではありません。このお示しには私たち人類の永劫の安らぎが保証されております。