第12章 お別れ

自叙伝 お別れ その師匠さまとも十数年後に辛い別れの日が来ます。
伊豆の伊東駅の近くにある稲葉旅館で師匠さまのお祝い事のために、すべての弟子が集まりました。
そして次の日の朝・・・、師匠様が奈良に帰られるのを伊東駅まで見送りに行きました。
何の御縁か、私が現在、いつも利用する駅の歩道で、私が「明後日、台湾に太極拳を学びに出発します」と言うと、師匠様は「そうか!頑張ってきぃーやー!、ええでぇ~、お前ならきっと成功するでー」と云って強く私の手を握り、とびっきりの笑顔で励まして下さいました。
この手を握り締められたのには驚きましたが、これが初めてで最後の握手になるとは。
それが永久の別れになるとは思ってもみませんでした。
後日、私が台湾に着いた夜、弟(おとうと)弟子から電話が有りました。
私は異国に渡り少し寂しくなっていた時なので、嬉しくなって「無事に着いたから心配せんといてー」と声を弾ませたのでしたが・・・。
電話の向こうの様子がおかしい。
私はとっさに「どうしたん!」と尋ねました。
すると突然弟弟子が前触れもなく「師匠が・・・、死にました!」と、告げられました。
(えーっ、先日お祝いをしてあんなにお元気であったあの師匠さまが・・・!)
まさかの出来事に私は(何があったかわからないが、突発性の事だから、もがき、苦しんで亡くなられたんだ!)と思い込んで、それが残念で!残念で・・・。
あの師匠さまだけに、有ってはならない悔しさと悲しみから、すぐに日本に帰る気力は伏せてしまい、ただただ悲しみに打ち沈む毎日でありました。
あの偉大な師匠さまが苦しんで亡くなるなんて、そんな事あってはならない!その様子を聞かされるのが正直怖かった!
自叙伝 お別れ しかし、それは大変な思い違いでありました。実はそうではなかったのです!師匠さまの最後はやっぱり偉大な最後であったのです!
それはこの様でありました。師は亡くなる五分前にお母さんを呼ばれて「明日からの計画を書いておきたいから書く物を持って来るように」と仰り、そして持って来た便箋に、まず遺偈(ゆいげ)と書き『無為無作にして五十六年、何ぞ仏法を語らん、ただ懺謝あるのみ」と書き記してそれを読ませ、読み間違いを正し、最後に、「 それで良し 」と一言、仰ったそうです。
お母さんは驚いて直ぐに家族を呼びに行きましたが。戻ったときにはすでに息を引き取った後だったとの事です。
自叙伝 お別れ さすがです!!師匠さま!見事です。禅僧としての偉大な最後でありました。
その後新聞にも《 禅僧の美しい最後に感嘆の声 》と報道され、あらためて多くの方々に我が師の偉大さが伝えられました。
師匠様は元気な時、いつも口癖のように私に言っておられました。
「わしは長生きできんと思うから、今から言っておく!!、とにかくお前は字が下手だ。よいか!わしの遺言と思って良く聞いておけ」
一つ 字を旨くなれ!
二つ 人前で話しが出来るようになれ!
三つ 御詠歌をやれ!
「以上分かったか!!」
というものでした。
三つ目の御詠歌は、一人、坐禅が好きで独善的になりやすい私のことを憂えて、何かを手段として多くの人と交わり共に精進しなさいとの教えであります。
今、私にとって太極拳が多くの人と交わる手段であり、そして一人太極拳に打ち込み、その結果として求道の神髄をみております。
「南無!大師、ありがとうございました」
『正師を得ざれば修行せざる(学ばざる)に如かず』
「正しい師に師事出来なければ、一生懸命に修行しても何もならんぞ!」
この真意は“どんなに節くれだった材であっても名工の手にかかれば見事な作品に仕上がるぞ!”というものです。
自叙伝 お別れ 道元禅師さまの御教えであります。
我が師は正に得難き 正師でありました。
私は、その後の歩みにおいても、いつも最高の師を求めました。
師匠さまのその名工の証を心に刻みつつ。