御岳山合宿感想文

 

2020年11月21日から23日にかけて、東京御岳山静山荘に宿泊し、近くの体育館を借りて、御岳山合宿を行いました。

参加者の皆様、お疲れ様でした。

御岳山合宿の感想文を会員専用ページに順次アップしていきまますので、ご覧になってください。

港支部の下岡さんが、今回の合宿の様子を撮影した写真、動画を編集してくださったものも掲載してあります。

参加者は道長を含めて14名、初日は御岳神社に参拝、体育館で練習、

二日目には、綾広の滝までハイキング、その後体育館にて練習を行いました。

天候に恵まれ、紅葉もきれいでした。二日とも朝5時20分から坐禅、外での気功、合宿の朝夕には、希望者のみ宿坊の神主さんから滝行を指導していただきました。

また、最終日の山口道長の法話のあと、宿坊の橋本先生(神主さん)が、笙の演奏をしてくださいました。

おいしいご飯を出していただき、夕食後は早朝坐禅のために広間を掃除してくださるなど、静山荘の皆様には大変お世話になりました。

ありがとうございました。

 

会員さんからの質問

会員さんからの質問に、山口道長が音声の形で会員専用ページにアップしました。

コロナ騒動で家にいるときなどに、じっくり聴いてくださいとのことです。

会の目的である自己確立と自他和合について、

また、それと慈悲との関係など

自己確立という言葉の意味を再確認してくださいとのことでした。

 

河南省テレビ取材の翻訳 

山口道長が今年3月に訪中した折、河南省テレビ局の取材を受けました。 この件で4月4日に河南省温県から発信されたウィチャットの掲載文を、横浜道交会の中村さんが翻訳して下さいました。以下はそれを更に山口道長が加筆致した訳文です。   ∞∞∞∞∞∞ 太極拳を学び、充実した人生を円満に生きる。  ……………………

日本の老人が語る半世紀に及ぶ太極拳の因縁話しを聞こう。
(1)
2019年3月の末に、王西安大師の弟子である、山口博永が10数名の弟子を連れて日本から温県を訪れました。
それは高級研修班として王西安大師から、太極拳の指導を受ける為でした。 山口博永は今から40年前の1979年に河南省武術協会を一度表敬訪問したことがあります。 その御縁で1981年に王西安大師と師弟関係を結びました。
その後は王西安大師の指導の下、本格的な太極拳の修練が始まります。 彼は毎年春には陳家溝を訪れ、王西安大師の下で太極拳の造詣を深めていきました。 山口博永は日本に帰国した後も中国で学んだことを弟子達に伝え、その結果、多くの日本人が彼の積極的な指導のもとで太極拳を学び始めました。
ところで山口博永は出家人で、禅の道を歩んでいることから、太極拳の合勁は坐禅と同じく丹田を重視することに気がつき、練習の合間には人体力学の方面からも、王西安老師と興味深く話し合いをしました。
この度は、山口博永の太極拳歴40周年を記念して 王西安大師が彼に “ 太極禅人 ” の称号を与えると共に、弟子の申長明に命じて自身の練拳の姿を描かせ、その横に言葉を添えて署名をし、山口博永にその書画を自らの手で贈呈いたしました。 これは二人の師弟関係が40年の長きに渡る強い絆の証であり、深い友情の賜物である。  ………………………

(2)
過去に彼の心に刻まれた太極拳の出会いと、ある朝の思い出。  ……………………  幼少時代の山口博永は、決して一杯の芳醇なお酒の味を味わうことは無かった。 幼少の彼は温かみの少ない環境に育った。 彼は人の情の移り変わりの激しさや、思いやりの少ない世の中のありさまを敏感に感じとり、幼な心にも、自立とその強さを求める日々を過ごしておりました。
八歳のある日、彼は偶然にも映画館で中国のニュース映画を見ました。 その中で髭の真っ白な一人の老人が、田んぼの畦道を歩いて行きました。 そしてある広場に出た その時です! なぜか老人の背筋が伸びて気高さに満ち溢れ その後、雄大に動き始めたではありませんか!。 勿論その時彼は、それが太極拳だという事をまだ知りませんでした。 ただ映画の中で、弱々しく思えた老人が、突然威厳と尊厳を併せ持った崇高な人間に変身出来たのかに驚き、子供心にもその姿を見て、自分もそういう者になりたいと、強く心に刻み付けました。
見終わった後も、かつて味わったことが無い程に深い感動に包まれていました。
そしていつしか彼 の心の中には、いかにすれば人間としての尊厳および自由と平安が獲得出来るのかが目標となっていました。 年月は過ぎて、山口博永も立派な青年と成長していきました。 彼は、無条件にして大丈夫な、安らぎと自由を現実の中に追い求めていました。
そして、ついに19歳にして出家をします。 禅の道を歩み始めたのです。 更にそれから10年が過ぎて、博永28歳の時に禅の師匠様の元に一人のカナダ人が訪ねて来て寺に滞在しました。 カナダ人は毎日師匠様について坐禅を学んでおりました。
ある日の早朝にふと見ると そのカナダ人は寺の境内の一角で一人体操をしているではありませんか………しかしその動作に山口博永は釘付けとなって、なぜか懐かしさを感じ始めました 「その雄大な動きは何ですか」と尋ねると、カナダ人は「太極拳です」と答えました。 そうです!ついに出逢えたのです‼ 山口博永は呆然として、「それを太極拳と言うのですか‼」と再度お尋ねをします。
まさに8歳の時からずっと夢にまで捜し求めていたのが太極拳と言うものであったのか! 彼は云うまでもなく、その日からこのカナダ人について熱心に太極拳を学び始めました。

(3)
それから一年後、彼は日本を離れてインドに行きましたが、既に山口博永の心深くに太極拳の種が植え付けられていましたのでインドからの帰路、太極拳を深めるために山口博永は台湾に渡り5年間みっちり太極拳の基礎修練を積みました。
その後台湾で、中国の陳家溝が太極拳の発祥の地だと知った彼は、次に大陸に渡り太極拳を学ぶことが目標となったのです。
そして山口博永は、太極拳の真髄を求めて、海を渡り山河越えて遂に、陳家溝を訪問しました。

(4)
1978年、日中の国交回復により、両国の民間の友好団体の往来が始まったのです。 それを機に山口博永も民間友好団体に加わる事で訪問が実現いたしました。   この時に行ったのが中原の省都、鄭州であった。 鄭州では盛大な歓迎会が催され、武術の故郷である鄭州の達人が多数参加し表演をしました。
その表演会のなかで、伸び伸びとした太極拳の表演は彼の心を揺り動かし続けた。 特に一人の優れた中年の武術家の堂々とした太極拳の表演は彼の血を沸き立たせました。
彼は正伝の太極拳はこれだ‼と確信を得て、この陳氏太極拳の真髄を極めたいとの思いを更に強くした。
1981年、山口博永は日本国内に新たに陳氏太極拳の会を発足しその会の人たちと共に陳家溝を訪れました。その訪問を受けて王西安大師が小学校の校庭で炮捶を表演しました。 「この套路を表演している老師は三年前に鄭州の歓迎会で見た老師ではないか!」山口博永は感動し、急いでビデオカメラを取り出して王老師の表演する炮捶の全ての套路を撮影した。 陳家溝から帰った後も山口博永は毎日、王西安大師の套路のビデオをみて厳しい練習を繰り返した。
しかし練習をすればするほど戸惑いも深まった。 1986年、山口博永は願いをかなえるため陳家溝に行き、正式に王西安大師に師事し、その後王老師の下で数十年に渡る永く厳しい練拳が始まるのでした。

(5)
太極拳を学び、人生をやり遂 げ、涅槃に入る。  ………………………   年月はいつしか過ぎ去り、山口博永の太極拳の技法は、王西安大師の長年の心を尽くした指導により、日増しに高まり、今では日本で屈指の太極拳の指導者となり、そして今も太極拳を伝え広めるべく歩んでいる。
ところで中国での練拳の折、山口博永は王西安大師と共に度々お茶を飲みながら禅と、太極拳の関係を論じ合いました。 結果は、禅道の真理は自然なる ” 随 流 去 ” を重んじ、同じく太極拳も、任運自在なる運気で ” 従 に入る  ” 禅道と太極拳は、その名は異なっても、行き着く所は同じであると山口博永は気づいた。
王西安大師も、自然で柔らかい太極拳が一定の高見に達する時、僧侶が言う「禅」になると言う。 僧は寺で修行し、その求めるものは心の安寧であり、静を以って動を求め、自己を完成する。 太極拳の追い求めるものも人生の大境地であり、動中の中に静を求め、更に深い安らかさと大きな集中を求める。
修行を積む中で分かってくる事は、太極拳の合勁である ” 太極の気象 ” と坐禅中の ” 人体力学 ” が全く同じであるということです。 坐禅は、上陰下陽とし、太極拳は、上虚下実とする。
すなわち太極拳を練習することは、禅を修行することと同じで、人格を高め修養を積み涅槃に入ることにある。                                      ………………………
(6)
山口博永は今も、彼は毎日坐禅を行い太極拳を練習し、それらは山口博永の生活の最も重要なものになっている。 彼は毎日五時間ほど練習をするなかで、40分を坐禅、20分を太極拳の練習にあて、その静と動の中で人生の真諦を深く探り感じ取っている。
彼の太極拳はもう既に骨髄にまで入りこむと共に、太極拳は自己の人生を更に円満にしていると彼は言っている。 今では彼にとって、陳家溝は第二の故郷になっている。 彼は自分の余生の中でただ一人太極拳を楽しむだけでなく、禅の理の下に多くの人が太極拳を行じて心の安らぎと喜びを得られるように、世界に拳禅一如の行法とその文化を広めて行きたいと考えている。

山口博永と太極拳の縁
(1)
私が初めて太極拳に出会ったのは八歳の時でした。 八歳の時、偶然にも映画館で中国のニュース映画を見て、その映画の中に一人の老人が現れました。 その老人は部屋から出てきて畑の小道をゆっくり歩き出しました。 その歩く姿は憐れで弱々しくかわいそうにさえ思えました。
しかし彼は広々とした場所に出ると凛として立ち、ゆっくり動き始めたではありませんか。 その姿は先ほどの老人とはまったくの別人で、眼光は鋭く威厳に満ち溢れていました。  私は後に坐禅の世界に入り、坐禅の持つ神聖な姿を見た時、なぜか八歳のあの映画の老人の持つ尊厳ある凛々しい姿を思い出しました。

(2)
出家をした後、師匠様は私にどのように坐禅をしなければいけないか、いかに呼吸を調えるかを教えて下さいました。 坐禅で大事なその教えは[天地は同根である]の教えであり、それは太極拳で云う「気沈丹田」と「虚領頂勁」がその意味だと、後に理解しました。
師匠様は原田門下の高僧で、私はその師匠様の教えの下に十年間坐禅を修行しました。 十年過ぎたある日、私はどうしても実際に太極拳をこの眼で見たくなり、師匠さまに訪中のお願いをしました。 すると師匠様は「もし太極拳の真髄を体得したいと願うならば、必ず立派な先生に就かねばならない、そのような良い先生に逢えないようなら真髄を学ぶ事は出来ないだろう」と私に忠告して下さいました。
このようにして四十年前、当時三十数歳の私は希望を抱いて陳家溝にやって来ました。
なぜならば、太極拳発祥の地であれば、必ずや優秀な先生がおられるに違いないと確信したからです。 その当時の陳家溝は交通が非常に不便でバスで黄河を渡るとき車の渡る橋は無く、汽車の走る鉄橋をバスも利用して渡る有り様で、鄭州から温県まで三時間かけてやっと陳家溝に着きました。

(3)
陳家溝に着いて私の考えが正しかったことはすぐに証明されました。 私は陳家溝でたくさんの素晴らしい先生方にお会いしました。 その中でも私と真に心が通じあえたのは王西安老師でした。
なぜならば王西安老師の教え方は素晴らしく、呼吸と、内勁のあり方まで惜しみ無く、特に私に直接自身の身体を触らせるという方法で感じ取らせてくださいました。
この呼吸と内勁は秘伝であるにも関わらず……。 私は王西安老師のこの指導で、 太極拳の気の力学が理解できたことに感謝申し上げます。 王西安老師の指導には手抜きが無く、受け取り側の力量に応じて秘伝といえども惜しみ無く伝えて下さるその真摯な指導には心から敬服いたしました。 練習の時は、王老師は私に取って厳格な師でありましたが、練習以外の時はいつも兄弟のように親しく交わり、二人の関係に微塵の蟠りもありません。
(4)
私は十八歳から坐禅の修行を始め、禅を通じてずっと真理を探求して参りました。
そして、だんだんと霧が晴れるように覚醒して参りました。 ただ、私はなぜ坐禅をすれば真理が理解できるのか…………、それが分かりませんでした。
しかし今は太極拳を学ぶ事で、それが理解できるのです。
これは私にとって非常に大きな発見でした‼ 私は太極拳を武術としてではなく、その人体力学の方面から坐禅を検証することによって、なぜ坐禅をすれば悟りが開かれるのかが理解できました。
禅は心の覚醒的な活動であるため、迷信や魔境に陥ることも多くあります。
しかし太極拳が坐禅より優れている一つの点は、太極拳の力学は科学であり、迷信性は微塵も存在しません‼ その太極拳の力学で坐禅の時の人体力学が証明できれば坐禅の魔境は避けられます。 太極拳は人体力学であり、勿論その動作を観ることが出来るし、又体内の変化も触ることで知ることも出来ます。

(5)
アメリカの物理学者 F.カプラ( 著書 タオ自然学)は、太極拳は量子運動であると言っています。
たしかに、太極拳は陰陽二極の統一、太極の姿を通して ” 人の尊厳を具現 ”します。
それはあたかも電池の如くで、体内に陰極と陽極を設け、その陰陽二力の作用を知性という心の電線で繋ぐことにより、純粋智性の光が、万物を照らし出すのです。
ここから、私の禅の老師が私に言った丹田を絞る「気沈丹田」と後頭部を突き上げる「虚領頂勁」とは、即ち私の身体が一つの電池となり陰極と陽極が一本に繋がること(無分別智)で自然の絶妙な現象を智ることだと悟りました。
私は今年の2月に日本に来た十人のアメリカ人の精神科医に坐禅を教えました。 その際に私は彼らに腹式呼吸で坐禅の力学的な鍛練法を証明した所、彼らはそれを見るなり、非常に驚き感動し、それを学びたいと私に言い出しました。 実はこれこそが王西安老師にここで教えて頂いた逆腹式呼吸です。 坐禅の時も吐く息に従って気が下に沈んで行くと同時に、頭のてっぺんは自然と上に突き上げられます。 この天地二極は体内で統一され、一本の柱と化します。  立ってやる太極拳の天地合一の力量は座る坐禅の数十倍で、その勁力は非常に大きいものです。 私たちは普通、物事を考える時は良いことと悪いこと、即ち好き嫌いに分類します。
しかし天地両極が力学的に統一された時はその分別は自然消滅します。 ここのところを太極拳では、太極といい、この時の状態を禅では禅定と言うのです。 故に太極の気象に帰ると「無分別智」となります。
また 太極拳の開合運動により「運気」が理解された時、“ 従 ” の世界観が確立されます。 幾千幾万の練習を通して、従の世界観は、万物は一体の“ 大虚 ”に還るのです。 ここの消息を 一千年前の中国の有名な禅の老師である “ 宏智禅師 (わんしぜんじ)”が 「天地同根、万物一体」 と言いました。
私は数十年の修練を経て太極拳の原理から坐禅を証明致しました。
この太極拳と禅を一つにした新しい価値観を世界に問うていきたいと考えています。
現代人が因る生き方への不安や、日々における情緒の不安定は、太極拳と禅が結合することで有効に解消でき、生きる勇気と希望を得ることが出来ると信じます。

精気神25号発行に際して、道長のメッセージ及び一般会員の方からの感想

精気神25号 発行に関して道長からのメッセージです。
「精気神25号を読んで頂いた一般会員の方から非常に嬉しいメールが有りました 。(以下に掲載)
そうです。私の集大成です。 50年の学びから到達した境地です。 このようなお便りは私自身これからも精進する励みとなります。 有り難うございます」
 
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《精・氣・神》25号をお受け致しました。 有り難うございました。 m(__)m
これ迄の先生のお考えの集大成✨! とも言える、貴重な一冊をお届け頂きました。 内容別に番号が振られ、行間や太字がくっきりと刷られている為でしょうか …。 今号はいつも以上に、 どのお言葉も すーっと 私の腑に落ちる 有難い一冊となりました。 初心に返り、気を引き締め、これからも折に触れ 幾度となく 拝読させて頂く一冊として、大切にし、又、実践して参りたいと思います。 有り難うございました。 m(__)m

太極禅人

现在是宗教节目时间今天我们请来了千叶县馆山市能忍寺住持太极道交会会长山口博永先生就如下话题― 一个不管你倒向何方都没关系的世界禅和太极拳及其根作一次访谈
    山口先生昭和22年生于大阪,19岁在奈良县曹洞宗庆田寺出家之后,先后到镰仓的圆觉寺福井县的的佛国寺进行临济禅和曹洞禅的修行
山口先生开始学习太极拳是在昭和4826岁的时候之后,从昭和57年开始到太极拳的发源地中国河南省温县陈家沟,跟随陈氏太极的大师级人物学习太极拳,一直持续30多年之久通过多年的习练之后,
最后到达了和禅修相通的境地现在我们就请山口先生谈一谈如何在禅和太极拳这两条道路上艰难探索前行的过程
采访记者:平井
平井:在这个节目里,请允许我使用不管你倒向何方都没有关系作为题目这是你从小时候开始就一直非常珍视的话那么,这句话里究竟包含着什么含义呢?
   山口:我是在战后出生的一代那时的日本太糟糕了到处都是伤残军人无家可归的流浪汉以及态度蛮横的占领军这些均是我亲眼所见另外就是没有吃的,是最困难的年代在我上小学的时候放学回家后,第一件事就是看看米箱里还有没有米,锅里有没有饭。有饭吃的话,这一天就可以有劲去玩。如果没有饭的话,晚上该怎么过呢?每天都是在这种不安中度过。总之,这种纷乱的战后生活让我产生了一种想法:这个世上有没有一个不管你倒向何方都没有关系的世界?比方说,车辆跑动需要动力,有钱走遍天下,没钱寸步难行。
这些都是有条件的。究竟有没有一个有也行,没有也行,不需要任何条件的世界。这种想法随着一天天长大而逐渐萌发。这究竟是一个什么样的世界呢?不知道是怎么回事,我非常想知道,而且这种愿望越来越强烈.。
随着进一步的成长,到了1345岁时,我直观地感觉到:人是有能力的,是不是应该有一个可以远远超越人的能力的精神世界」。有一天半夜里起来,收听了一个基督教的广播函授讲座由于想了解基督教中的神于是,就做了半年的基督徒。小时候的心愿,尽管没能实现,但随着长大懂事,集中到一起后便确定了我的人生方向.
平井:可是你最终还是选择了出家,这是怎么一回事呢?
山口:有一天,我在书店里看到了一本禅学入门的书,当即就有一种感觉:迄今为止没能弄明白的问题,所有的答案都在这本书里。我的人生就在禅里。这是我在16岁时感觉到的。
平井:也就是说禅修也可以通往你所说的不管倒向何方都没有关系的世界是吗?
山口:是的。其实这个世界就在自己的心里而不是在其它任何地方,也就是佛陀说的天上地下唯我独尊」。当我遇见这句话时,我感觉到我的人生道路已经确定了。
平井:于是你就遁入空门那么,实际修行后又感觉怎样呢?
山口:没想到与想象的大不相同。刚开始的时候,干杂活的时间比坐禅多的多。每天从早到晚都是忙于寺里的杂务。我的师傅是一个非常严厉的人。打扫院子时,刚刚扫干净,他就马上跑过来,使劲摇树,树叶子就哗哗啦啦往下掉。临走时还说你能看到下面,但看不到上面。对于擦洗的活计,没擦到的地方,他也会随时指出,并告诉你应该怎样擦。扫地时告诉你扫菷应该平着扫,不能弓着扫等等,讲的的确也有道理。总之,对于日常寺内杂物的要求是非常严苛的。
平井:也干农活吗?
山口:干农活。当时师傅说无功德常精进」。没有功德的地方要经常精进。不要追求结果,不要为失败和成功所烦恼,要完全进入角色进入状态。在我进寺一个星期时,我曾经问师傅世界和平究竟是什么?师傅说背佛经去!」。然后我又问世界和平怎样才能实现呢?师傅说:进屋去!于是我就进到屋里。师傅说:泥菩萨过河自身难保。想要救别人自己先要学本事」。学本事就是要从当时当地,从现在开始,完全进入角色,专心致志。只有这样才能成功。师傅就是这样严格地教育我的。
平井:于是,你就在这个寺里修行了一段时间?
山口:修行了三年。在这期间,后来成为我的坐禅师傅的云游僧太田洞水来到寺里。他曾经在山里坐禅修行30多年,我很向往这种修行。他对我讲了很多有关坐禅的学问。我听得非常入迷。最后他对我说你听讲佛法时的眼睛闪闪发光,你有佛心。如果你想成为一名真正的僧人,就彻底抛开世俗吧!
平井:是说你听讲佛法时的眼睛闪闪发光?
山口:是的。是说我听讲佛法时的眼睛闪闪发光。有佛心是指有修行志向的人。他这样肯定我,并要我 抛开世俗。我的理解是,师傅告诉我:虽然你身已在寺庙,不是进了寺庙就算完事了,重要的是要磨炼自己。
基于这个缘故,我就进入了奈良的寺庙,开始了一心坐禅修行的人生。
平井:也就是说你从开始接触禅到最后进入禅门已是20岁啦。那你又是如何与太极拳结缘的呢?到底是怎么一回事呢?
山口:那是8岁时的事。当时,我到樱花影剧院看了一场新闻纪录片。在这场电影里出现了太极拳。有一位老人从房间里出来,沿着田埂步履蹒跚地走着。当他来到了一个空旷的场地上时,突然间迅速地伸直腰背,从容地打起拳来。其身姿和劲道给我留下了非常深刻的印象,同时也深受感动。甚至还产生了想和他一起打的冲动。
平井:当时,你还不知道它是太极拳吧?
山口:是的,连太极拳这个名字都不曾知道。不知为什么就像当初向往坐禅一样,总觉得那种形象是强有力的,让人放心的,或许可以说散发出一种威严和尊严吧。
平井:这件事在八岁时的你的心中产生了巨大的反响是吗?
山口:是的。但到真正接触太极拳则是20年以后的事了。那时,我在佛国寺。寺里来了一位想进行禅修的加拿大的参禅者,他其实是一位太极拳造诣很高的人,由于我非常想打太极拳,于是就跟随他学了两年。那两年的每一天都过得非常愉快。
平井:通过实际习练太极拳,你感觉如何呢?
山口:实际上和坐禅没有什么不同。动作缓慢,要深呼吸,集中注意力,聚精会神,专心致志。这一点上和坐禅是相同的。所以并没有感到有什么别扭。于是,想深入地学,深入地练的意愿越来越强烈。
平井:于是,你就于28岁时到台湾开始正式学习太极拳是吗?
山口:是的。本来是想去中国大陆的。但当时中国大陆还没有实行改革开放,去不了。就这样,来来往往地去台湾学习太极拳共持续了5年。后来中国大陆开始实行开放路线。
平井:就是改革开放吗?
山口:是改革开放。这下好了,那就去中国大陆学吧。当时的年龄是323当时的想法是既然学就去发祥地学正宗的于是就到了离郑州有3小时车程的温县陈家沟,跟随陈氏太极的19代传人学习太极拳
平井:19代传人指的是谁?
山口:是陈小旺和王西安他们是相当于日本江户初期的著名剑客柳生十兵卫那样的太极拳名家后来由于他们去澳大利亚不在中国国内,出现了空白等原因,我就去了北京,跟随一名早就认识的太极大家学习太极拳,他就是冯志强是陈氏太极的18代传人他之所以有名,一是因为他是陈小旺和王西安的师傅,二是他曾经对陈氏太极拳的套路做过7次修改,对陈氏太极拳的发展做出了巨大的贡献跟他又先后学了十年左右
平井:太极拳是一种什么样的拳?是怎样运用身体?不知道用什么样的语言来表达才好
山口:太极的意识,打比方说吧,就和电池一样,电池有阴极和阳极,也就是负极和正极负称为阴正称为阳如果用算式来表示太极的话,就是55=0这个零就是太极
平井:55,为什么是用5来表示?
山口:是的当然,10也可以,100也可以,1000也可以我们学习太极拳是从一阴九阳这种失衡的状态开始的然后逐步进入二阴八阳,三阴七阳,四阴六阳,最后到达五阴五阳的最高阶段这也是习练太极拳的人要追求的终极目标
平井:五阴五阳是指力量的平衡?
山口:是的是指力量的平衡状态将右手向上抬左手向下沉的时候,其实是一个反方向对拉的劲当这个劲达到五阴五阳的时候,就达到了太极的境界我们刚开始学的时候,说向右开就只知道往右,没有往左的对拉劲,是从这种失衡的状态开始的在零这个统一点上,失去了阴阳的平衡实际上阴阳平衡才可以产生零的统一即太极佛教说色即时空,空既是色其实就是五阴五阳的状态,是符合力学道理的综上所述,太极拳的学习要经过5个阶段。而太极拳的动力是来自重力,就是下落的力。由下落的力又会产生上升的力。跳跃就是先给一个向下的力才能使身体飘浮起来。
平井:重力也就是万有引力?
山口:是的是万有引力。
平井:这个重力毫无疑问会作用于人的身体,通过使用这种力,然后再通过肌肉的运动来发力是吧?
山口:不是。肌肉的作用基本可以考虑排除。当然也不是完全不使用肌肉因为站立本身就是靠腿部的肌肉。是指太极拳是一种充分利用重力的运动方式。在太极拳里有先天之气和后天之气的说法。后天之气是靠出生后长出的肌肉运动,称之为后天之气。于此相对应的先天之气则是只靠重力运动。是出生前就存在的气。进入第三个阶段时就可以利用先天之气了。第一第二个阶段是不可能的。第一个阶段学套路动作即可。每个动作套路都有名称,我们在刚开始的时候学的是8374式。都有套路名字比如,金刚捣碓懒扎衣单鞭白鹤亮翅等
平井:就是有各种各样的套路
山口:是的这个阶段就是形似的阶段熟练掌握以后就可以进入用气的阶段在这个阶段要求你利用重力
平井:不是勉强生硬地使用肌肉,而是顺其自然.
山口:坐禅和太极拳相同的地方就是人体在锻炼的时候,有三个要素,要进行身体呼吸意念的调整并且有严格的要求最终要把这三个要素合为一体达到熟练的程度此时,身心高度一致,名形完全消失,动作完全靠意念引导纵横腾挪如入无人之境从有形到无形是太极拳习练的第三个阶段再进一步就是从无形到心机阶段机的意识就是秘密,是一个重要的秘密由此我联想到 Einstein一句名言:事物的背后,总是深深地隐藏着秘密真实是单纯而又美丽的的确,内心世界的重要秘密就在那里从身体里进入,然后抵达内心世界这个重要的秘密就是统一心用禅学术语讲就是无分别智]」。是超越分别的智慧
平井:太极拳也有这样的状态?习练到一定程度可以深入内心?
山口:是的,可以深入内心印度的ThicNhatHan 把它简单明了地形容为精神高度集中入静后的禅定。首先是观察,一边观察一边进入禅定。
平井:你总是使用观察这个词。这也是释迦牟尼佛经常说的话。就是由观察开始,然后进入禅定是吗?
山口:是的。道元禅师将其表述为参禅修让你集中注意力,进入状态。这就是最初的观察阶段。
在完全进入状态以后,再往下走就会忘掉自我,这就是禅定状态。甚至连完全进入状态本身也会忘掉。
当你进入到忘掉自我的境界时,就会出现灵感的迸发。这就是进入心机。是无分别知。即没有了分别而知晓。
平井:也就是说禅修中的禅定和太极拳中的进入心机是相同的?
山口:是的。冯志强老师曾经说过,太极拳习练的最高境界就是要天地人合一。明白了这个道理时我才发现其实这一点和禅修是一样的。不过,直到最近我才明白,如果天和地合二为一,就成了一个没有分别世界。上不是下,下不是上,这是分别。但如果用一根巨大的柱子将上和下连接起来的话,就无法分开了,.就没有了上下之分。在这种无法分开的世界里,力学的意义上,我们的内心会进入一种无分别知的世界.坐禅也是一样的用力学术语讲的话,叫气沉丹田当你向下腹呼气,下腹充盈时,你的颈部会自然上拔
平井:你刚才所讲的不是理论,感言而是实际的身体运动?我想重新问一下,太极拳究竟是一种什么样的运动呢?
山口:太极拳的运动,有每一个动作之后,进入太极气象的理论比如74式太极拳,74次进入此种状态此时需要呼气,要把气沉入人体的中心丹田依靠重力自然而然地将双肩双肘及胸部的劲沉下去此时,颈部会自然上拔专业术语叫做气沉丹田,虚领顶劲
平井:也就是说在太极拳的动作中有这样的瞬间?
山口:是的如果认为我练太极拳只是手段,目的在于悟道,那是不对的在实际的练习进入高潮时自然而然地会出现那种状态用道元的话说就叫做修証一如就是在收纳的状态中直接悟道所以坐禅也好,习练太极拳也好都不是我的手段悟道是在禅修练拳的过程中自然出现的一种境地,一种精神状态称之为天地人合一
平井:太极拳习练时上的劲和坐禅时的情形是相同的?
山口:是的.,是一种相同的力学原理这是我从太极拳那里学到的.
平井:你从小时候开始就一直探索追求的不管你倒向何方都没有关系的世界,指的就是它吗?
山口:是的不管你倒向何方,是指不管你倒向天还是倒向地,是倒向前还是倒向后,是倒向左还是倒向右,由于完全连成了一个整体,.你就是想摔倒也没法摔倒.这才是真正的答案当天地连成一体时,由于知的力,可以产生一种心旷神怡的欢喜这是一个绝对不会有任何问题,可以开心微笑的世界人们所追求的欢喜安心自由和平会在心灵深处产生而不会受外界的影响.
平井:你所说的这些对于我这样一个不曾出家的人是无法体会和实际感受的.真实的情形又是怎样呢?
山口:我正是为了追求这一理想而出家的这个世界其实就在自己的心中天地合一后,一切和自己的区别全部消失存在本身会令人感动从这种意义上说,太极拳就是一种运动的禅,我一定要把它传承下去这就是我的使命
  ( 以上 我らが裴さんに、中国語で翻訳していただきました。)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                    
     
 

A World Where Everything Will Be Alright Whichever Way Things Fall: The Foundations of Zen and Taijiquan

A World Where Everything Will Be Alright Whichever Way Things Fall: The Foundations of Zen and Taijiquan
English translator   Andrew Carrico ( Edogawa Branch )
*The following was aired on May 25, 2018 on NHK Radio 2’s Shukyo no Jikan.
 
Narrator: Welcome to the program. Today’s guest is Hakuei Yamaguchi, abbot of Nonin-ji Temple in Tateyama, Chiba Prefecture and head of Taikyoku Dokokai. He will be speaking on the foundations of Zen and taijiquan (tai chi).
Mr. Yamaguchi was born in 1947 in Osaka City. At 19 he became a monk at Keiden-ji Temple of the Soto school in Nara. He continued his training in Rinzai and Soto Zen at Enkaku-ji Temple in Kamakura and Bukkoku-ji Temple in Fukui Prefecture among other places. Mr. Yamaguchi started learning taijiquan in 1973 when he was 26. Later, for more than 30 years starting in 1982 he took trips to China to learn Chen-style taijiquan, the oldest form of taijiquan, from the foremost masters. Mr. Yamaguchi says that after his years of training in taijiquan he came in touch with the place where the paths of Zen and taijiquan converge. Today we will hear him speak about this place he has arrived at by following the paths of Zen and taijiquan. The interviewer is Atsushi Hirai.
Hirai: We’ve used the title “A World Where Everything Will Be Alright Whichever Way Things Fall” for this episode. I’ve heard that this is a phrase that’s been important to you since you were very young. What do these words mean to you?
Yamaguchi: I was born soon after the War. Japan was in a very difficult situation during this period. I saw wounded soldiers and people living on the streets. The occupying forces came with their brazen attitude towards Japanese people. Worst of all there was nothing to eat in these times. When I was in elementary school the first thing I would do after coming home was check the rice bin to see if there was any rice. If I found rice I could play happily, but if not I would worry about what we would eat that night.
One thing I began to wonder during this period of post-war turmoil was whether there is a place in which, no matter which way things fall, everything would be alright. The world operates on conditions. If I have money I’m okay, if not then I have a problem. As I grew older I started to seek out the place where such conditions were not required for security, where I could be content either with or without. I didn’t know what kind of place that would be, but I wanted to know. And my desire to know continued to develop.
When I was around 13, 14 or 15, I instinctively felt there must be a spiritual world out there far beyond the capabilities of human beings. So one night I woke up and took a correspondence course on Christianity. I became a Christian for half a year as I wanted to know God. The feelings I’ve had since I was very young weren’t resolved at that time but the feelings were becoming consolidated as I matured and they started to determine a direction for me.
Hirai: And so eventually you became a monk. How did that happen?
Yamaguchi: I found an introductory book about Zen at a book store and for some reason I got the sense that all the answers to the questions I had been carrying with me were written in this book. When I was about 16 I felt that the true way of living for me was contained in Zen.
Hirai: And this concerns the world where everything will be okay whichever way things fall?
Yamaguchi: Yes. It turns out that this world is inside of me. It’s nowhere but here. It’s the place where I can stay unaffected by other things. When I encountered the Buddha’s words, “I am the one and only,” I felt like my life had been determined.
Hirai: So you went to the Zen temple in Nara Prefecture with such goals.
Yamaguchi: Yes.
Hirai: How was your experience training there?
Yamaguchi: Well, at first there was more time set aside for work than for zazen. I remember having to perform chores from morning to night. My teacher was an extremely strict person. After I finished sweeping the garden he would come out and sway the trees so that leaves would fall on the ground again. Then he would say “You see what’s down below but not what’s above!” and walk away. The same thing would happen when I was wiping the floor. He would point out spots I missed and tell me how to do it properly. But it made sense. “Sweep so that the tip of the broom will wear out flat!” “Don’t sweep in a way that will make the broom arched!” I was thoroughly gruelled while performing the daily chores.
Hirai: Did all this chores have a purpose?
Yamaguchi: Yes, it did. My teacher had a saying to the effect of ‘apply yourself diligently to that which is meritless.’ Don’t seek results. Don’t be troubled with success and failure. Just do what you are doing utterly. That’s what it meant.
About a week after entering the temple I went to my teacher and asked him, “What is world peace?” He said, “First learn the sutras.” Then I asked, “How can world peace be achieved?” He said, “Go in your room!” so I did. Then he told me, “The powerless bodhisattva drowns in his attempt to save others. So you must develop your power.” He taught me that developing power means learning to act fully in every moment and that this can be achieved through practice. I believe it was an education in devoting one’s whole body and mind to the situation at hand.
Hirai: Did you train there for some time?
Yamaguchi: Yes, I trained for three years. During that time a monk visited the temple who would later be my zazen teacher. His name was Tosui Ota and he visited the temple as a travelling monk. He had previously spent 30 years in a mountain just practicing zazen and I greatly admired him for that. After listening to him speak at length, his final words to me were, “Your eyes gleam when you are listening to the Dharma. Faithful one, if you are to become a true monk go into the fields!”
Hirai: He said that to you?
Yamaguchi: Yes, to me.
Hirai: He said that your eyes were gleaming?
Yamaguchi: Yes, that my eyes were gleaming when listening to the Dharma. He used a word referring to one who has the resolve to follow the true path. That’s how he saw me, and he told me to go into the fields if I was to become a true monk. At the time I was a monk in a temple and so I took those words to mean that I should focus on training myself. Eventually I left the temple in Nara and dedicated myself to zazen.
Hirai: You were committing yourself to the way of Zen. But in your mid-20s instead of limiting yourself to Zen you started practicing taijiquan.
Yamaguchi: Yes.
Hirai: How did this happen?
Yamaguchi: First, when I was eight I saw a newsreel about China at a movie theater called Sakurai Gekijo. That’s where I saw taijiquan. An old man came out of a room and plodded along a ridge between some rice fields. After he arrived at an open space his spine became erect somehow. When I saw him start to slowly move his body I was deeply moved. It left a mark on me. It made me feel like I wanted to join in.
Hirai: But at the time you didn’t know about taijiquan.
Yamaguchi: I hadn’t even heard the name ‘taijiquan.’ But similar to how I would later be drawn to zazen I caught a glimpse of something powerful, a steadfastness that humans can embody and its dignity and majesty.
 Hirai: And that resonated with you at eight years old.
Yamaguchi: Yes. It would be almost 20 years before I would come into contact with taijiquan again. While I was a monk at Bukkoku-ji Temple (Fukui Prefecture) there was a Canadian who had come to practice zazen. This person had actually practiced quite a bit of taijiquan in Canada. It made me really want to practice too and so I practiced with him for about two years. These were happy days for me since I had such a strong desire to do taijiquan.
Hirai: What was your impression of taijiquan after practicing it a bit?
Yamaguchi: Well, it didn’t conflict at all with zazen. The slow movements are performed with deep breathing. Zazen is also done with deep breathing and with concentration. Both are about fully committing to the here and now with concentration, so there was nothing unnatural about it. It only gave me a greater desire to develop my practice further.
Hirai: I believe you were 28 when you first travelled to Taiwan to delve deeper into taijiquan.
Yamaguchi: That’s right. I actually wanted to go to China but it hadn’t been opened to foreigners yet so I was unable to go. That’s why I went to Taiwan first. I travelled back and forth for about five years but during that time I heard that mainland China has started to open their borders so I decided to travel to the continent. I must have been around 32 or 33 when I first went. I continued to go every year for nearly 30 years.
Since I would be going to China to learn taijiquan I wanted to go to its place of origin. Taijiquan originated in Chen Village where it continues to be practiced. It’s about a three-hour drive from Zhengzhou in Henan Province. My first teachers were Chen Xiaowang, 19th generation of the Chen family, and Wang Xian. In Japan this might be the equivalent of learning from Yagyu Jube from Yagyu Village. Both of these teachers were remarkable and it was a great privilege to be able to learn from them.
Later there was a blank period when both teachers were travelling abroad to places like Australia so I went to see a taijiquan master in Beijing who I had previously heard about. He was Feng Zhiqiang, of the 18th generation, and he was in fact a teacher of both Chen Xiaowang and Wang Xian. He had developed taijiquan through seven phases of evolution. His evolved form of taijiquan seemed to me to have a deeply Zen-like quality. It exhibited a development from technique to principle or from surface strength to inner strength. I felt that I must learn his taijiquan so I made trips to visit him over a 10-year period or so.
Hirai: So what is taijiquan exactly? How do you move your body and what is being performed? I’m sure it’s not easy to describe it in words.
Yamaguchi: We can look at the meaning of “taiji” in taijiquan. There is a negative pole and a positive pole, just like a battery. The negative we call yin and the positive we call yang. If we use the mathematical formula ‘–5 + 5 = 0,’ taiji is the point at which we arrive at zero.
Hirai: So it’s –5 and +5?
Yamaguchi: It could be 5 or 100 or 1,000. When we practice taijiquan we start with an unbalanced state of ‘–1 and +9.’ Then we move to ‘–2 and +8,’ ‘–3 and +7,’ ‘–4 and +6’ and finally ‘–5 and +5.’ That would be the completion, the ultimate. This refers to the balance of force. When the right hand goes up, the left hand goes down. When the right hand moves to the right, the left hand moves to the left. When the two opposing and mutually attracting forces balance out to ‘–5 and +5’ the practitioner’s movement has reached completion.
What normally happens is that when we hear ‘right’ all our attention goes to the right side and we’re unaware of the left. We start from an unbalanced state like this. In the unity at zero the yin and the yang disappear. And yet it’s the yin and yang that create that unity of zero. In Buddhism it is said that ‘form is emptiness and emptiness is form.’ Form is the material phenomenon of ‘–5’ and ‘+5.’ Emptiness is the unity of ‘= 0.’ So this system of dynamics is consistent with the Buddhist teaching of ‘form is emptiness and emptiness is form.’ In practicing taijiquan one must train through the five stages I mentioned.
The fundamental force for taijiquan comes from gravity. The force that pulls down generates the upward rising force. In the case of jumping, everything is allowed to drop right before the body leaps up.
Hirai: Universal gravitation is a force that is operating on human bodies all the time.
Yamaguchi: Exactly.
Hirai: So the muscles are used as well while using the force of gravity?
Yamaguchi: The idea is to eliminate most muscular force. It’s not that muscles aren’t used. The act of standing requires leg muscles. But we don’t rely on muscular force.
Hirai: So the body is moved using gravitational force?
Yamaguchi: Yes. There are these terms ‘primordial qi’ and ‘acquired qi.’ With acquired qi, one moves by way of muscular strength amassed after one is born. With primordial qi, one moves using only gravity. Primordial qi is qi that exists before birth. A practitioner would be around the third level when they start being able to use primordial qi. It isn’t possible yet in the first and second levels. In the first level one must learn the form. Each of the postures in taijiquan have names. And so in the beginning we learn routines called 83-form or 74-form containing postures such as ‘Buddha’s Warrior Attendant Pounds Mortar,’ ‘Lazily Tying Coat,’ ‘Single Whip’ and ‘White Crane Spreads Wings.’
Hirai: Many shapes with names.
Yamaguchi: Names of shapes. So it’s possible to pause in the postures. The practitioner becomes proficient in the forms to a degree and starts to emphasize the flow. This is the process of transitioning from shape to qi. What it required in this transition is movement using gravity.
Hirai: So instead of moving forcefully with your muscles you move in accordance with nature.
Yamaguchi: Yes. One parallel between zazen and taijiquan is the three elements specified in training the human organism: body, breath and mind. The body is adjusted, the breath is adjusted and the mind is adjusted. But there is one important point. Ultimately these three must become one through diligent practice and proficiency. When the three become one there is no longer name or form. That is to say, all that remains is flow – a flow with deep breaths in which body and mind are aligned.
The mind decides what to do. It directs the flow to the upper right, lower left, front, back, in all directions as it wills. This is the movement of taijiquan. When one enters the third of the five stages it becomes possible to proceed from form to formlessness. From formlessness one then proceeds to xinji, which can be translated as ‘vital secret of the mind.’ It reminds me of the words of Einstein. He said that there is a deeply hidden secret behind the world of objects and that truth is beautiful in its simplicity. The vital secret of the mind is in this same place. When one enters the body and then goes into the realm of the mind, the vital secret is experienced as unity of mind. In Zen this is called non-differentiated knowledge. It’s knowledge that’s beyond conceptualization.
Hirai: So it’s possible to enter such places in the mind by investigating bodily movements in taijiquan?
Yamaguchi: That’s right. It leads to the mind. Thich Nhat Hanh described this same process very simply. He said in practicing concentration you start with observation but then you gradually move to participation. He taught mindfulness.
Hirai: The word mindfulness is used frequently. Buddha spoke of it also and it started from there…
Yamaguchi: Yes. So there is observation and participation. The Zen master Dogen also spoke of this. In Zen we practice concentration. In the practice of concentration, ‘observation’ corresponds to practicing with total determination while ‘participation’ corresponds to practicing with such determination that the practice is forgotten. There is no longer awareness of determination. Once at this place of forgetting one can experience inspiration. This is called living in the secret of mind. There’s no longer any differentiation, just knowing.
Hirai: What they are saying in Zen…
Yamaguchi: It’s the same as ‘seeing in the secret of mind’ in taijiquan. I came to understand this point through my last teacher, Feng Zhiqiang, who taught the unification of heaven, earth and man. The three are brought together as one. Once I understood this I also understood that it’s the same in zazen. This is really the first realization. When heaven and earth are truly connected, you enter a place where there can’t be anymore differentiation. Differentiation is where up is not down and down is not up. However when up and down are connected by one single pillar the two can no longer be separated. It’s a posture where separation is not possible.
As for the mind, it enters the place of knowing without differentiation. I found that it’s the same with zazen after going back and researching once more. The mechanics can be described as the sinking of qi down to the dantian or abdomen. There is the sense of the belly becoming full as one breaths out and the back of the neck naturally becomes erect.
Hirai: You’ve been speaking about what you’ve felt in your body, not about reasoning or concepts, not matters of discussion. If I may ask again, how does the body move in taijiquan and what are the results?
Yamaguchi: In taijiquan there is the principle of entering the state of taiji at the end of each movement. For example if there are 74 forms you would enter that state 74 times. What happens is that you breathe out. Then you relax the qi down to the dandian at the center of the body. Relaxing the qi downwards means you let your shoulders, elbows and chest fall with the gravitational pull. Then the neck will stand up straight. The technical terms for this are xu ling ding jin (straighten neck and suspend head) and qi chen dan tian (sink qi to dantian).
Hirai: These moments arise during the performance of the taijiquan movements?
Yamaguchi: Yes, they do. I used to think that taijiquan was a means and that the goal was satori, enlightenment. But that wasn’t the case. The state emerges in the midst of practice. This is what Dogen taught as the ‘oneness of practice and attainment.’  It’s during the discipline of practice that enlightenment arises. So taijiquan is not a means. Nor is zazen.
Hirai: It arises in the movements.
Yamaguchi: It’s a field that emerges, you could say. The ‘union of heaven, earth and man’ refers to this state of being.
Hirai: It arises during taijiquan…
Yamaguchi: A force that pulls upwards as well.
Hirai: Does the same thing happen while you are practicing zazen?
Yamaguchi: It’s the same mechanics. I was able to learn it through taijiquan.
Hirai: Since you were young you were seeking the world where everything would be alright whichever way things fell.
Yamaguchi: And this was the answer. What it means is that it’s okay to be at heaven, okay to be at earth, okay to be in front or to the back, to the right or to the left. Everything connected for me. The true answer is that there is no falling. The world where everything will be alright is the world in which there is no falling to begin with because everything has become connected. This is world then transforms into ecstatic joy with the power of knowing. The person who knows that everything will be okay no matter what can smile genuinely. The heart experiences joy, peace, freedom and peace that all people are seeking. It doesn’t matter what happens in the outside world.
Hirai: It’s an experience that’s far from reach for somebody like me who hasn’t trained seriously. And yet I feel as if I’ve had a glimpse of the truth.
Yamaguchi: That’s what I was looking for when I first became a monk. It’s something that’s inside of you, first of all. Then, when heaven and earth are connected, the separation between the self and everything else starts to disappear. You become deeply moved by the fact of existence. This is why I feel that it is my mission to pass on taijiquan as a ‘moving Zen’ to future generations.
 
 

どっちに転んでも大丈夫な世界―禅と太極拳その根底にあるもの

どっちに転んでも大丈夫な世界禅と太極拳その根底にあるもの
僧侶・太極拳指導者 山 口(やまぐち)  博 永(はくえい)
き き て     平 位  敦
ナレーター:  今日は、「どっちに転んでも大丈夫な世界―禅と太極拳 その根底にあるもの」と題して、千葉県館山市(たてやまし)の能忍寺(のうにんじ)住職で太極道交会(たいきよくどうこうかい)道長の山口博永さんにお話しいただきます。山口さんは、昭和二十二年、大阪市の生まれ。十九歳の時、奈良県の曹洞宗慶田寺(けいでんじ)で出家し、その後鎌倉の円覚寺(えんかくじ)や福井県の仏国寺(ぶつこくじ)などで、臨済禅と曹洞禅の修行を積みました。太極拳を学び始めたのは、昭和四十八年、二十六歳の時です。その後中国に渡り、昭和五十七年から三十年以上、全ての太極拳の源流とされる陳氏太極拳(ちんしたいきよくけん)の第一人者から指導を受けました。山口さんは、太極拳の鍛錬の末、禅と共通する境地に触れたと言います。今日は禅と太極拳、二つの道を探求してたどり着いた境地についてお聞きします。聞き手は平位敦ディレクターです。
平位:  今回の番組のタイトルは「どっちに転んでも大丈夫な世界」という言葉を使わせて頂いたんですけど、これは山口さんが幼い頃からずっと大切にしてこられた言葉だったとお聞きしています。この言葉には、どんな意味が込められているんですか?
山口:  私が小さい時というのは、生まれたのはもう終戦ですから、その終戦の後に日本の国というのは大変な時代でありました。傷痍軍人と言われるような人たち、あるいは路上生活をしておられるような人たち、また進駐軍が来て日本人のことに対して非常に横着な態度をとったりですね、そういうところを目の当たりにしました。そしてとにかく食べるものがないという、これが一番困難な時代でしたから、私が小学校の時もそうでしたが、やはり家に帰って先ず御櫃(おひつ)を見るんです。そしてご飯が果たしてその中にあるか、どうか。ご飯があればその日一日遊びにも元気が出ますし、もしなければその日の夜果たして何を食べるのかなというふうな、そういう不安の中に育ちましたね。その終戦後のどさくさの中に私は一つ感じたのは、「どちらに転んでも大丈夫な世界はないのか」という。条件付きにこの世の中は動いている。例えばお金があれば大丈夫、なければ困るということで、条件付きではなくて、無条件というところから、有ってもよし、、無くてもよし、と。「無条件にしても大丈夫という世界がないのか」というふうなそういう問いかけがだんだんと成長するにしたがって芽生えてきたんです。それは何かわからないんですが、それはどういった世界なのか、それを私は知りたい。この思いが非常に強くなりました。それがだんだんとさらに成長していって、十三、四、五あたりに、何か知らないけども、人間の能力、この能力をもっともっとはるかに超えた精神世界があるんじゃないか。そういったものを直感的に思って、ある時夜中に起きてですね、キリスト教の通信講座を受けたりもしました。その神を私は知りたいということで、半年間はクリスチャンだったです。小さい時の思い、そこに解決されることはなかったんですが、その思いがやはり年頃になって、物心がついてきたときに纏まって方向性を定めていただいた、そういう気がします。
平位:  そしてですね、出家されるわけなんですが、これは?
山口:  ある時、書店で『禅入門』という本を見たときに、なぜかそれまで問題意識を持っていたその問題の解答が全部そこに書いてある気がしたんです。禅の中に私の本当の生き方があるんだ、というふうに、十六歳ぐらいの時に感じました。
平位:  それがその「どっちに転んでも大丈夫な世界」にも、
山口:  通じるわけですね。結局自分の中にあるんだという。だから他に振り回されるとか、他には無い、自分の中にある。これがブッダ釈尊の「天上天下唯我独尊(てんじようてんげゆいがどくそん)」という、この言葉にめぐり合いた時に、何か私もう人生が決まったようなそういう気持ちになりました。
平位:  そのような目的を持って、奈良の禅寺に。
山口:  はい。
平位:  実際にどうでしたか? 修行してみると。
山口:  いやぁ、最初はですね、まさかと思ったんですが、坐禅よりも作務(さむ)という作業の時間が多くて、朝から晩までもう作業に追いまくられていたというふうな、私の師匠(丸山英智老師)は非常に厳しい方で、私が庭を掃いて綺麗に掃き終わったら、その師匠が飛んできて、何をされるかと思ったら、その木を揺するんですね。そうしたらまた落ち葉がパラパラ落ちるわけです。そしてその師匠がいうことには、「お前は下が見えても上が見えんのか!」。そういう捨て台詞を残して行ってしまわれるというようなことですね。また拭き掃除もそうです。拭き残しというところ、それを指摘されて、「拭くのはこういうふうに拭け」と言ってですね、まぁ確かに理に適っていました。「箒の先も平らに減るように掃け! 弓なりになるような掃き方をしてはいかん!」とかですね、とにかく日常の作務という作業の中で決定的なしごきですかね、ありましたでしたね。
平位:  その作業というのは、意味があったんですか?
山口:  ええ。ありました。その時の師匠の言葉で「無功徳常精進(むくどくじようしようじん)」とおっしゃって、功徳なきところを常に精進せよ、という。結果を求めるな。失敗と成功に煩うな。とにかく「成り切れ」ということだったですね。それで私がお寺に入って一週間ぐらいした時に、私、師匠様に質問したことがあります。「世界平和とは何ですか?」って。そうしたら師匠さんは、「先ずはお経を覚えろ」とおっしゃるんですね。その時に「世界平和はどのようにして実現したらいいんですか?」と聞いたとき、「部屋に入れ!」とおっしゃるから、入った。そうしたら「非力の菩薩、人を救わんとして溺る」とおっしゃった。「だからお前、力をつけろ」とおっしゃるんですね。力つけるということは、本当にその場その場、今ここになりきってなりきっていくと、この訓練においてそれは可能だからと。だから全身全霊打ち込むというふうな教育であったんだと思います。
平位:  そこでしばらく修行された?
山口:  はい。三年修行しましたね。その間にもう一人の私の後の坐禅の師匠になる太田洞水(おおたとうすい)という方が、旅の僧としてお寺に来られたことがあるんです。その太田洞水老師が本当に山に三十年坐禅だけをして籠もっておられたという僧侶で、私非常に憧れました。そしていろいろお話を聞く中に、その老師が最後におっしゃった言葉は、「法を聴くあなたの目は輝いている! 道心(どうしん)あるものよ、本物の僧になるんだったら、野に下れ!」とおっしゃったんですね。
平位:  山口さんにおっしゃった?
山口:  ええ、私に。
平位:  山口さんの目は輝いていると。
山口:  そうです。法を聴くあなたの目は輝いている。「道心」というのは、本当の道の志ある人、というふうに私を見ていただいて、そして本当の僧になるんだったら野に下れ、とおっしゃったんです。野に下れとは、その当時、私はお寺に入っておりましたけども、お寺ではなくて、やはり自分自身を鍛えなさい、という言葉として、その言葉を受け取りました。そういうこともあって、私その奈良のお寺を出て、また坐禅の道に一筋に向かったんですね。
平位:  そういうふうに禅の道に打ち込んでおられた山口さん、その禅の道を進むのかと思われたら、二十代半ばぐらいでしょうか、太極拳を始められたじゃないですか。
山口:  はい。
平位:  これはどういったことなんでしょう?
山口:  まず最初、八歳の時に、桜井劇場という映画館で中国のニュース映画を見たんですね。その中に太極拳が出てきたんです。一人の老人が、部屋から出てきて田んぼのあぜ道をとぼとぼ歩きながら、そしてある広場に来た時に、なぜかスッと背筋が伸びてですね、そしてゆっくり動き出した時に、ものすごい衝撃を受けたんです。とにかく感動的だったんですね。で自分も一緒にやりたいというふうなそういう気持ちを持ちました。
平位:  その時は太極拳は知らないわけですね。
山口:  太極拳という名前も知りません。ただ何かしらそこに力強い、私が後に坐禅に憧れると同じで、人が取れる絶対大丈夫な姿、その威厳というんでしょうか、尊厳というんでしょうか、そういったものを垣間見た気がします。
平位:  それが八歳の山口さんの心に響いたんですね。
山口:  はい。それで私自身が太極拳に次に出会えるのは、それからもう二十年近く後になるんです。その当時、仏国寺(ぶつこくじ)(福井県小浜市)という私の師である原田湛玄老師のお寺に、カナダから坐禅修行したいと言って、参禅者がおられてですね、そのカナダ人が、実はカナダで太極拳をかなり深く極めた人なんです。そしてどうしてもやっぱり太極拳をしたくなってですね、そのカナダ人について二年ほどやりました。それはもうやりたいという思いで精一杯でしたから、それは嬉しい毎日でしたね。
平位:  その頃太極拳って、どういうふうなものだと、こうやってみて。
山口:  そうですね。坐禅とそんなに違和感なかったですね。ゆっくりとした動作というのは深呼吸―坐禅も同じで、深呼吸でその集中力。今ここに徹底的に全身全霊を打ち込むという集中力においても、全く同じでしたから、違和感全然感じませんでした。ただそれを極めたい、もっと極めたいという欲はさらに起きました。
平位:  二十八歳の時ですか、太極拳を本格的に学ぶために台湾に行かれたんですね。
山口:  そうです。本当は中国に行きたかったんですが、まだ開放されてない時期だったですから行けなかったんです。それで最初に台湾に行ったんですね。足掛け五年位、往ったり来たりですが。そしてこうしているときに、中国大陸が開放路線に入った、ということを聞いたもんですから、よ~し、じゃ大陸へ行こう。三十二、三だったでしょうか。毎年三十年行くことになりました。そして大陸で太極拳をやるんだったら、その発祥の地でやりたいと思って、それで河南省(かなんしよう)の鄭州(ていしゆう)というところから車で三時間ぐらいだったですが、陳家溝(ちんかこう)という村、そこに太極拳が脈々と伝わっていたんですね。最初に教えていただいた方は、陳氏(ちんし)太極拳の第十九世―まぁ日本で言えば柳生の里の柳生十兵衛みたいな人―その人について私習えたんです。それが陳小旺(ちんしようおう)という方と王西安(おうせいあん)、この二人が飛びぬけておられましたね。その後にどの先生方もオーストラリアに行かれたりしたもんで、ちょっと空白があって、あと北京にもう一人すごい先生がいるというのは前から知っておりましたから、その先生のところに行って学びたいなと思って、その方が第十八世馮志強(ひょうしきょう)という先生で、なぜ素晴らしいかというと、陳小旺、王西安という方の師匠なんです。この方は太極拳をさらに七回進化させた。その進化させたというのは、まあ私が感じたのは太極拳拳術―術から道という感じ、あるいは表面的な力というものから内面の力ということで非常に深い禅的な要素、それを感じ取りました。でやはりこれこそ最後やるべき太極拳だというんで、また十年ほどかけて通いました。
平位:  でその太極拳ですね、どういうものなのかと。体をどのように使って、どういうことをしているのか。言葉では難しい話なんですけど。
山口:  太極拳という「太極」という意味、例えば、電池もそうですが、「陰極、陽極」、すなわち「マイナス極、プラス極」があります。「マイナス」を「陰」と申します。「プラス」を「陽」というふうに申します。「太極」とはいかなるものかと申しますと、数式で表すならば、「-5+5=0」というふうな、その「0(ゼロ)」というところを、これを「太極」と名付けます。
平位:  「-5」と「+5」の「5」なんですね。
山口:  「五」でも、「百」でも「千」でもいいんですが、例えとして。我々、太極拳の練習する時、「マイナス1プラス9(一陰九陽)」のアンバランスから始めて、で「マイナス2プラス8」、「マイナス3プラス7」、「マイナス4プラス6」、最後「マイナス5プラス5」となって、そして完成というか、究極はその「マイナス5プラス5」なんですね。これが力のバランスを言っているんですね。ですから右手を上に上げる時に、左手は下に下がるんです。右手が右へ行く時、左手は左に行き、こういうふうに正反対の引き合う力、これが「マイナス5プラス5」になったとき、その人の動きは完成された、ということになります。私たちは、もう最初は右だと言ったら、右の方ばっかり意識いって、左はないんです。そういうアンバランスな状態から始めます。でこの「0」という統一のところにおいては、陰と陽はなくなります。でありながら、陰と陽が実はその「0」という統一が現れます。仏教でも、「色即是空(しきそくぜくう) 空即是色(くうそくぜしき)」と言っているのは、まさに「マイナス5プラス5」これを物質的現象で「色」と。で「=(イコール)」これを(すなわち)統一の「0」、これを「空」というわけで、まさにこれは仏教の「色即是空 空即是色」この理にかなう力学です。それでこの太極を練習するために、今申し上げた五段階を練習して行くんです。その根本の動力―太極拳の動力は一体何かというと、この重力にあります。落ちるという力。落ちる力において、昇る力がそこに生まれます。跳躍は全部一回下にズンと落とすことにおいて、上に体が浮き上がる。
平位:  重力というのは、万有引力、重力は必ず人間の体に働いている。
山口:  働いているわけです。
平位:  その力を使いながら人間の筋肉の動きも使って、
山口:  まぁ筋肉は、ほとんど排除という考えですね。まあ立つということ自体が足の筋力ありますから、全く筋力なくして、というんではないんですが、筋力に頼らないという。
平位:  重力の力を生かして体を動かすということなんですか? 動かし方。
山口:  そうです。動かし方。それで「先天の気」「後天の気」という言葉があって、「後天の気」は、これは生まれた後に身に付いた筋力において動く。これを「後天の気」といいます。それに対して重力だけで動く。これを「先天の気を使う」といいます。先天の気は、生まれる前からある気ですから。この「先天の気」が使える段階になっていくときは、第三段階あたりからそうなります。一段階、二段階は無理ですね。一段階において、まず覚えなければいけないのは形です。形には名前がついています。ですから、我々最初に習う太極拳は「八十三式」とか、「七十四式」とか、形がありますね。その中に「金剛搗碓(こんごうとうたい)、あるいは「懶扎衣(らんさつい)」「単鞭(たんべん)」「白鶴亮翅(はっかくりょうし)」というふうに名前がついています。
平位:  いろんな型の名前がある。
山口:  型の名前ですね。ですからこれポーズで止めることもできます。で形ある段階を熟練していって、だんだんと流れにもっていきます。これが「型」から「気」に変えていく動きですね。その「気」に変えるとは、重力を用いて動けるかどうか、が要求されてきます。
平位:  その筋肉で無理矢理動かすんじゃなくて、自然に従って動く。
山口:  そうですね。坐禅も太極拳も同じなところは、人体が鍛錬をするとき、三つの要素を挙げます。一つは「体」、もう一つは「呼吸」、そして「心」。この体を調え、呼吸を調え、そして心を調えると。この三つの要素も挙げますね。これには厳格なやはり注意点があります。最終的には、この三つを一つにする。これが熟練ですね。三つが一つになるという時に、名前と形はなくなります。というのは、流れだけですから。深い深呼吸のもとに、身体と心が一致した流れ。で心は何をするかを決めます。右上、左下、前、後、それも縦横無尽に、十方に流していくわけです。これは太極拳の動作。最初に言いました、形あるところから形ないところで、有形から無形に至るといいます。これにおいて、さっきの五段階の三段階目になってくると、それが可能になってきます。無形から今度「心機に入る」という段階に入ります。「心機」というのは、心の「機械」の「機」と書いて、「機」の意味は、「機密(きみつ)」というふうなところから重要な「秘密」というふうな意味合いがあります。この重要な「秘密」ということから、私はアインシュタインの言葉を思い出しました。「ものの背後には深く隠された秘密がある。真実は単純にして美しい」とおっしゃった。確かに心の重要な秘密というのはそこにあるんですね。体から入って、そして心の世界にこう入っていったとき、その重要な秘密というのは「統一心」これを禅では「無分別智(むふんべっち)」と言います。分別を超越したところ。
平位:  太極拳でもそういうところに入るんですね。体の動きを探求したりすると、心に至る。
山口:  そうです。心に至るんです。これをわかりやすく言ったのは、ティク・ナット・ハン(Thich Nhat Hanh :ベトナム出身の禅僧・平和・人権運動家・学者・詩人:1926-)あの方が、集中において参加―最初は観察、観察をしながら次に参加していくということで、マインドフルネスということを唱えられた。
平位:  よく「気づき」という言葉を使いますね。ブッダもおっしゃっているんですね。それから始まって。
山口:  そうです。参加していくという。道元禅師はここのところ「参究」とおっしゃったんです。ですから禅においても集中しなさいと。集中する。「なりきる」というのは、最初の観察的段階。それを「なりきってなりきっていったら、その先に忘れる」ということが参加。全身全霊打ち込んで、なりきることも忘れてしまう。その先に忘れるというところまでなりきった時に、ひらめき(「気づき」)が出てくる。これが心機に入るという。無分別にして智(し)る。分別はもうなくなって、そして智るという。
平位:  その禅でおっしゃられていることと、
山口:  太極拳の「心機に入る」というところが同じです。ここですね。私は、太極拳をどういうふうにして分かったかというと、最後に就いた老師、この方がおっしゃっている言葉で「天地人合一」三つを一つにする。この「天地人合一」これがわかったときに、私は坐禅もそうだった!ということがわかったんです。これは本当に大きな気づきなんですが、「天地」というのは、本当に、身体的力学で一つに繋がったら、心は分別できない世界に入ります。「上は下では無い。下は上では無い」というのが分別。ところが、上と下が一本の柱でつながってしまうと、分けられないんですね。分けられない姿勢。力学のもとに自分の心はどうなるかというと、無分別にして智るという世界に入ります。坐禅そのもの―私、もういちど調べ直したら、坐禅も同じなんです。これが本当力学的にいうならば、「気沈丹田(きちんたんでん)」と言って、下っ腹に息を吐くと共に、下っ腹が充実してくると、自然に首筋が上に立つんです。
平位:  今おっしゃられているのは、理屈とか観念の話ではなくて、理論の話ではなく、体で感じた。同じことを改めてお聞きしたいんですけど、太極拳の場合は、どういう体の動きで、どういうことが現れるわけですか?
山口:  太極拳はですね、「各動作の後は渾然と、〝太極の気象〟に帰り、いささかの痕跡をも残さず、外観さながらに停止しているかの如くであるが、内面は絶えず太極が運行している」という拳理があります。例えば七十四の形があったら、七十四回その状態に入るんです。この時に何をするかというと、息を吐くんです。そして人体の中心である丹田に、その気をズーッと下ろしてくる。気を下ろすということは、両肩、両肘、胸の力も全部重力に任せて沈めるんです。そうしたら首の筋がスーッと立つんですね。これを専門用語で「気沈丹田(きちんたんでん)・虚領頂勁(きよれいちようけい)」と申します。沈む気(気沈丹田)が上昇の気(虚領頂勁)と連動して天地を貫きます。
平位:  太極拳の動作の中で、そういう瞬間が現れるわけですか?
山口:  あるわけです。だから太極拳、私、手段で、目的は別に悟りというものがあると思ったら、そうじゃなかった。練習の最中にその状態が顕れる。としたら、道元禅師がおっしゃった「修証一如(しゆしよういちによ)」という。「修」という修めているときに、悟りがそのまま現れる。そうしたら別に手段ではなかったんです。太極拳も坐禅もそうです。 (因果一如)
平位:  その動きの中で現れる。
山口:  現れる境地といいますかね、その精神状態、それが「天地人合一」という。
平位:  太極拳の時、現れる。
山口:  気沈丹田、虚領頂勁(きょれいちょうけい)。
平位:  それと坐禅で坐っているときも(天地同根)同じ状態なんですか?
山口:  同じ力学であった。これを私は太極拳の方から教えられました。
平位:  幼い頃からですね、「どっちに転んでも大丈夫な世界」というものを追い求めて、それがまさに…
山口:  そのことなんですね。「どっちに転んでも」というのは、天にあってよし、地にあってよし、前にあってよし、後にあってよし、右にあってもいい、左にあってもいい。全部繋がったんです。「転びようがない」というのが本当の答え。どっちに転んでも大丈夫な世界は、転びようがなかった、という。一本につながってしまうと。それでそこにですね、智るという力で、これが法悦という歓喜に移り変わるんです(万物一体)。絶対大丈夫ということで、にっこり笑える世界。人間が本来求めている歓び、安心、自由と平和。それが生まれますから、内面に、心の中に。これは外の世界とは一切影響ないです。
平位:  私のようなろくに修行したことない人間には、到底実感はできないんですけども、なにかそういった真実の一端に触れたような、
山口:  本当に私もそれは出家した時、それを願って出家したんです。まぁそれがまず自分の中にあるぞ、という。それが天地繋がったら、一切と自分との区別がなくなってきます(天地同根、万物一体)。存在ということに、ものすごい感動を覚えます。私は、太極拳はそういう意味で、「動く禅」として本当にこれを世に残していかなければならない使命を感じています。
これは、平成三十年五月二十日に、NHKラジオ第二の
「宗教の時間」に放送されたものである

太極接心 山口道長の法話 音声

5月3日から5日にかけて、天城一燈禅林で太極接心が行われました。
5日の早朝、坐禅中の山口道長の法話を掲載いたします。
山口道長からのメッセージ
「私のことについての記述である精気神22号21ページ
王西安先生の
「太極拳の柔らかな自然さは、一定以上のレヴェルに達すれば、そのまま僧侶の禅となるそうである。人が寺で修行して追求するのは心の安寧であり、静を以て浄を求め、自ら完全なものとすることである。太極拳が求めるのは人生の悟りの境地であり、動の中に安らぎと遠々と続く成果(致遠)である。修練において、太極拳の多くは型は坐禅と近くなる。坐禅では虚領頂勁、上隠下陽が求められ、太極拳では気沈丹田、上虚下実が求められるため、禅を修めることと太極拳を練ることで、いずれも身を修め人格を磨くことができるのである。」
との言葉を読み、今回の太極接心三日目早朝の坐禅中の法話として、
禅、太極拳、ヴェーダーンタからさらに細かく説明を加えました。

 
 

道交会公案

kouan
kouan2

この二つの公案は同じ内容です。
公案とは
真理(太極)探究の為の問いかけです。
まず『乾坤(けんこん)』とは天地の意で宇宙全部です。
『大地』とは森羅万象で大生命体です。
これを知るために『 一指頭(指一本を立てた勢いで…太極です)』がわかれば
一元平等世界…
山岡鉄舟の言う
「晴れてよし 曇りてもよし 富士の山
元の姿は変わらざりけり」の
“元の姿”
がわかります。
そして『雨風』は
鉄舟の言う
“ 晴れてよし曇りてもよし”の意で…  …
人生の苦楽に惑わされない。
心境を言ってます。
又、たとえその意を理解していなくとも、この問いかけは私達人生の指針となります。
道交会員は“精気神”の“神(人人各居一太極)”を理解するためにも積極的に、この公案に参加(参究)してください。

山口博永 拜上

表演会の演武 山口道長のアドバイス

< 動画を見た普元さんの腹心の友よりの感想
 
見た〜!
 
(お師匠さん)お元気になられたんだね。よかったよかった(^o^)
 
でも足を動かさないのは?後遺症があるの?
 
淳ちゃんがくりりんに見えるよ…
M.N >
 
第15回表演会を終えて、普元さんが自身の動きをビデオで見ながら…“  ひょこひょこしてる ” として、私に意見を求めました。
私の評価は、《そ れは私と見比べての事であり、私と何処が違うのか !? それをよく研究せねばなりませんね… それは、 私の動きは先天的であり、普元さんのは未だ後天的なのだー 》 と申し上げた。
私の動きは “ 従 ” であり、普元さんは “ 追 ” という事になります。
従の動きとは、意念から生み出される( 落ちる力の反発力だけ )運気であって、それに対して普元さんのは落ちる力 《 蓄発 》 が弱い分、自分の筋力で動きを引き出し、故意に形作ろうとする後天的動作なのです。

しかしこの段階は進歩の過程で、誰しもが一度は通過せねばならない重要な通過点でもあるのです。
そして、ここを乗り越えるには反復練習と、自身の動きを良く見据えて考えて、太極拳の理《 蓄発開合 》と照らし合わせながら工夫せねばなりません。

《 しっかり聞いて考えて、その気になって成り切って、忘れた時のひらめきー!》 

後は普元さんの腹心の友 ! 道ちゃんからのエール 
《 クリリンみたい o(^-^)o 》
と言う評価をバネに、頑張って先天の気を会得して下さい。

ご機嫌よう〜(^O^)  
 
博永
 

C.Kさんの感想文

 
山口先生、この度はDVDをお送り頂きまして、誠に有難うございました
「あっ!この演武は肉体を超越している」再生して5分経たない内に、そんな風に思いました。
薄皮一枚の下に、太く、しっかりと撚った絹糸が、内気の束となって纏糸している!!!
ーそんな風にお見受け致しました。
先にお送り頂き、拝見しました馮老師追悼演武では、“身体技と内気の流動との調和・統合による、至上の美と慈愛の表現” であったのに対し、今回の動きでは極限迄、物質面である身体の壁を削ぎ落とし、内気本来のエネルギー、そのものの姿をお見せ頂いた…。ように思います。
このような演武・御伝授は、初めて拝見させて頂きました。
そしてその事を携えながら、〈お弟子さんとの共演〉というステージは、ごく自然な流れで、次なる先生からのメッセージを引き継ぐに最適な舞台となりました。
考え抜かれた完璧なカメラアングル!
本当にド肝を抜かされました!
だって、この構図だけで、もう深いメッセージがしっかりと伝わってくるのですから…
m(__)m
トリ肌総立ち!
涙が吹き出ました!!!
初めてお見受けするお弟子さんは、お若い頃の山口先生の雄姿を彷彿とさせ、CG効果によるご本人のダブルキャスト編集か?と、一瞬目を疑いました!!
その他の演武では、30年以上間断なく培われてこられたゆるぎなきものを、しかと、力強く、証して頂きました。
あと一点。演武のBGMを選曲された方に、心から敬意を表します。
この度の企画を深くご理解され、そして、ご本人も達人であられる事と、推察致しますーーー
今回の先生の御療養期間は、私の母のそれと重なりました。 久々に、病について考えるきっかけを頂きました。
自分自身の経験や、多くの方々からお示し頂いた体験も含めて思うことは…
やはり“病”というものは、厄事ではなく、《“好転の絶好のチャンス!》に違いなさそうだ。という事…。
自分自身の神髄から届いた贈り物である事!!
そうとしか思えない事が一人一人に必ず、必ず起きているんですね。〜〜〜
山口先生、 心意混元に始まり、 心意混元で進化され、そして 心意混元で蘇生された お姿をお見せ頂き、本当に、ありがとうございましたm(__)m
〜私は幸せ者です!!
偉大な先人たち、例えば馮老師などのエネルギーや意念。英知などは、身体という薄皮一枚をも飲み込んで、今、この地上に確実に残存し、伝授されるのを待っているものなのですね。
そんな伝授が在ることに、この程気付きました。肉体を超越し、言葉を用いず…その深遠な伝授に気付き、アクセスし、孕む方法こそが、もしかしたら学習の真髄なのかもしれない…。
道は遠いですが、これからも精進して参りたいと思います
先生の御活躍を拝見してゆく事は、太極の真理・真髄の探求を進めてゆく事に他ならない。と心得ております。
どうぞこれからも宜しくお願い申し上げます。
一度しか拝見していないのに、思いつくまま主観を並べてしまい、本当に失礼致しました
(これはもぅ、いつもの事ですね…(^^ゞ)
いつか又文章でも、先生のこの度の貴重な体験をお伺いできたら、幸いに思います。
それではこのへんで失礼致します。
どうぞ、引き続きご慈愛下さいます様、お願い申し上げます。
爽やかな秋の日に…

S.I さんの感想

 
当日、表演会の山口道長の演武「一畳太極拳」を拝見していて、師弟の息の合った動きに感動を頂くと共に、何とも言えない感慨が湧いてきました。
入院の当初はたったの一秒も片足上げができなかったと理学療法士に伺いました。しばらくは、歩行時も点滴のキャスターバーにつかまってと不安定なご様子でしたが。
人知れず、ベットサイドで編み出されたという「一畳太極拳」の自主リハビリの成果もさることながら、私が一番すごいと思ったのは、お体の回復よりも何よりも、あの大変な時期も淡々となさっていたお姿です。
伝わってくる雰囲気に悲壮感や焦燥感が微塵もない!
何十年も積み上げてこられた太極拳を有る意味失われたというのに、、、
いやそれ以上に失われるかもしれない状況の中で、、、
ずっといつもの道長だったのが実は凄い事と思っています。むしろこちらの方が安心、安らぎを頂いていました。私自身、これは暗示としてこれからもあたためていきたいと思います。
表演会の感想に戻りますが、会場の全員が、この2ヶ月間のそれぞれの思いと重なって、一体になったひと時でもありました。
道長不在の中でもそれぞれの支部が一丸となって練習に励んできた、気迫のこもった表演にも何度も感動を頂きました!
試練を経て、「太極拳とは何か」と自身にも向き合う中で、今年の表演会はいつもと違った視点で拝見させて頂いてました。 怪我や病気を抱えている方の一生懸命な太極拳になぜか目が吸い寄せられていました。人生や心意気、気概を太極拳の中に自ら示して下さっている道長の姿にも重なり、これぞまさしく太極道交会の真骨頂!と、皆様のパワーを沢山分けて頂きました!!
ところで、養生を経てから道長の太極拳の印象が変わられたように思え、勝手に分析してみたのですが、体型がスリムになられた事もあり、中性的というか、女性的要素が加わったような、より繊細精妙、深さ、柔らかさが増した印象を受けました。
女性のはしくれとしては、外見上の距離が少し近づいた分、せめて外見上の功夫も近づけるのではないかと密かに期待しているのですが。。。
(実は、益々次元が遠ざかっていっている事実に気がついていない?)
今後共、御指導を末永く宜しくお願いします。
 

太極拳における発心

山口道長が、太極拳においても発心が大事だというお話を、弟子との会話の中でお話されました。
さらに、あらためて、道交会員にメッセージを送られましたので、お聞きになってください。
 
***********************
1. 他の会話から、太極拳における発心へと移っていきました。
5分30秒あたりから太極拳における発心の話になります。
信発心、解行発心、証発心など。

2. 太極道交会員に対するメッセージ
太極拳における発心について

*************
道交会指導員 伊藤千珠さんの感想を以下に掲載いたします。
皆様の感想もお待ちしております。
tenjou-daigoku@polka.ocn.ne.jp
にお送りください。
 
伊藤千珠
発心の音声を聞きました。
解行発心の大切さ、法灯明、理論に照らす事の大切さを改めて感じました。

最近、太極拳とはと自問するときに丹田の感覚が浮かんできます。
極論かもしれませんが、太極拳は手足が無くてもできるという事なのかもしれません。もっと深めたいと思います。

先日、中国人の S さんの太極拳を見て、確かに若く体を維持していてそれは凄い事と思いました。
ただ、本人はある意味、強迫観念があるのではと思いました。
人は病気にもなる、体力もなくなり、物質的なものは失っていく。その時に何が残るのか。
解行発心の大切さ、そこを確立していかないと虚しい。

そういう意味で挫折を繰り返しながら受けいれつつ、霊性の向上を目指したいと。
今回、先生が病気になられ、また更に境涯を深められたと思っています。
私たちも動揺しながらも立ち返る機会を頂きました。

道交会にご縁を頂いている事に感謝します。

道長のお話 

道長の法話、弟子との日常の会話を菩提道交会のホームページに掲載いたしました。
法話、遊戯の部分をご覧になってください。
心の悩みを持っている人がそばに来たとき、小浜の老師の言っていた来たれば迎え、住すれば和し、去らば送るについて、外部のものはすべて暗示を投げかけるだけであって、すべては自分の問題であるということについて
こちらから

嫌いなものについて具体的にどう考えるべきか、道を学ぶ者は人間の価値観でのみ考えるのではなく、存在世界にまで広げて考えなければいけないということを人に害をもたらすとされる細菌を例にとり弟子との日常会話の形式でお話していただきました。
こちらから
 
 

6月の東京太極道交会練習会のお知らせ  

6月の東京太極道交会練習会は下記の通りです。

基本クラス   13:15~
山口道長クラス 15:00~
6/ 1 自主練習会
烏山区民センター 第4会議室
(京王線「千歳烏山」より徒歩1分)
*基本クラスも通常通り行います。
6/ 8 自主練習会
内容:陳式新架式、武器の復習(希望者)
時間:13:30~15:30頃まで
場所:綱島小学校 旧体育館
*基本クラスも通常通り行います。
6/15 山口道長練習会
奥沢区民センター 第1会議室(大会議室)
(世田谷区奥沢3-47-8)
東急目黒線「奥沢」駅北口より徒歩1分
*基本クラスも通常通り行います。
6/22 山口道長練習会
奥沢東地区会館 第1会議室
(世田谷区奥沢2-9-28)
東急目黒線「奥沢」駅北口より徒歩2分
*基本クラスも通常通り行います。
6/29 合宿の為、お休みです。

7月横浜太極道交会練習会のお知らせ

7月の横浜の練習会は下記の通りです。
時間は日曜日10-12時です。
7月6日 綱島小学校新校舎
7月13日 綱島小学校新校舎 10-11時は気功、11-12時は太極拳
7月13日 13:30-15:30 綱島小学校旧校舎 新架合同練習
7月20日 綱島小学校新校舎
7月27日 綱島小学校新校舎 自主練習