太極拳の精義(無名・無形)

 太極とは先人が陰陽の理に基づき無名を以て名とした、故に太極と言う。
 明朝洪武七年(一三七四年)始祖卜耕は、読書の余暇に、陰陽開合運転周身の術を子孫に教えて以て消化飲食の理法となし

 此れは“太極”に基づく学問で
 故に“太極拳”と呼ぶ。

「人人各居、一太極、但看用功不用功」

 おのおの人はすべて太極に住しながらも生命の発露に鍛錬による成果の差が看取される・・・

「太極拳泰是道乎、道不遠人、人自遠」

 太極拳は無に至る大道であり、大道無門にして人を遠ざけず、人揀択(こだわり)して自ら遠ざかる・・・

 天地の道は陰陽のみで、人も又然り太極拳を学ぶとは、陰陽の理法を学ぶ事である。吾等の身体の中にはもともと自然に、陰陽開合の理が存在しており、此れに逆らうことは出来ない。

 伝授者は規則を教える、それは即ち“大中至正の理”である。

太極道交会の目的(精・気・神)

太極拳は陰陽合徳、天地自然の理法にのっとった錬気の術である。その実践は陰陽を養い、太極の本源に帰することにある。

太極拳の始めの姿勢から終わりの姿勢まで、総て有形の拳で

  有形に始まり・・・・・・精
  無形に至り・・・・・・・気
  無形は心機に入り・・・・神

その妙界から遂に無心に帰して(大虚)初めて拳と言う。

これを見ても「拳」は心の中にあり・・・心の中に天機が躍動し、活溌溌地(かっぱっぱっち)として行くのが太極拳で、世の他の拳類とは全く異なるものである。此れは終生かけて学んでも尽きる事を知らない。

太極中自然の機気と理は・・・(-+=0)機気は理であり、気は理がなければ気は通じない、また理は気がなければ理を運行する事も出来ない。

気と理が一つになり、一つが二つに分かれ、そして二つが一つになり、変化無窮である故、生涯学んでも学び尽くすことが出来ないのである。

   道長問う「太極拳とは何か」
陳小旺老師答う「剛柔相濟」
   道長問う「太極拳を学ぶとは」
陳小旺老師答う「無を学ぶ事にある」
              畢竟如何

自己の確立と自他の和合

 太極拳の各姿勢、動作は言葉や文字を弄しても中々急所を掴むことができないが、身体で覚えると容易に理解する事が出来る。勿論細心の修練が必要であるがこれを長く続ける事は尚更難しい業とされている。一般に大成は九年を要し、小成は七年かかると言われ、精妙の境は終身の学と言えよう。或者は一、ニ年学び若しくは三、四年の浅きに終わるが、こういう者はどうしても“門外漢”と呼ぶ外はない。とにかく先ず心から修練を始め、順序に従い、漸次練磨を積み重ね、規則に沿って行って初めて功を成すもので、何事も“実践”が大事である。

諺にも言われる通り

「練拳万遍すれば神理自ら現れる」とは

至言である。

ゆえに我々は

 一、普段から艱難に立ち向かい、
 ニ、他を邪魔にせず、
 三、如何なる変化にも順応し、
 四、徳容の修練に励まなくてはならない。

此れが拳者の総てである。もし道理が不明なら、師に習い、信念が揺らぐ時は良友を求めよう。