第24章 陳氏太極拳 十九代伝人 陳小旺老師 その3

陳家溝でさて日中両方の演武が終了し、みんなが外に出て記念撮影を撮る事になりました。


陳家溝で2がー 外に出たその時、ついに例の小柄で横柄な酔拳先生が我々に向かって ー『 始めようではないか!』ー と体に似合わないドスのきいた声で迫って来た!私たちが呆気にとられていると、通訳が陳老師にそのことを言いつけると陳老師が酔拳先生の袖を引っ張って連れて行ってしまいました。


陳小旺先生の息子さん最近知ったのですが鄭州は勿論、陳家溝にも、今も旧日本軍に対する恨みは根深く残っているようです。鄭州の武術隊の皆さんにとって私達は戦後初めて見る日本人であったようです。
今にして思えばすべて良い思い出ですが … 。


朴先生そうそう春光さんが聞いた話で、あの演武会で、ト文徳老師も八卦掌を演武して下さったそうです。ト老師は我らが道友、程日興の叔父であり、陳老師を中央に出されたその人でもあります。


さて、私達は十九世から直接学べる事が確実となり、その期待を胸に意気揚々とバスに乗り込みました。しかしホテルに向かうその間も陳老師は寡黙で話し相手は専ら陳老師の上司の顧先生でした。ホテルについて、それぞれに自分たちは荷物を持ちエレベーターに乗り込みました。ところが、何を思ったのか陳老師はドアが閉まる寸前に乗り込んで来られ、案の定左右のドアに両肩が挟まれましたが、その時!私は見逃さなかった!陳老師は両方の腕を左右に張ったかと思った瞬間両腕を逆纏にねじり込んでドアの間をするりと、すり抜けて外に出たではないか! … 挟まれそうな陳老師を見て私達は『何だか陳老師はエレベーターの乗り方もあまり分からないみたい!初めてなのかねぇ… 』とみんなで冗談を言い合いながら上がっていきました。
陳先生と道長そうそう、その後にもこんな事が有りました!練習のなか日に私達は陳家溝へ表敬訪問をする事になり、その帰り道 … 陳老師は私の前の席でマイクロバスの乗り口にある補助席に座りました。
陳老師は大分疲れているようで深く寝入っておられました。その当時の鄭州市周辺の道は悪く、四キロもある黄河を車で渡る橋も無く、鉄道橋を併用して汽車の通らない間を見計らって車も渡るという具合でした。道も黄土で凹みも多く、その中での居眠りは、きついなぁと思っていたその矢先!タイヤが窪みに落ちてバスが大きく跳ねた!
陳老師の座る前の補助席には掴まる取っ手も無く、陳老師は体ごと頭からつんのめった!しかし、私がアッ!と叫びそうになった瞬間、陳老師は右足を踏み出し、全身を左から右に捻ったかと思ったその瞬間、右手を上にはね上げ同時に左手は下にねじり込んだ!その全身は開合しながら、ごむまりのように弾み片足でバランスを取っているではないか! 一 見事! 正に白鶴亮翅の仁王立ち … それを無意識のうちにバランスを保ち一瞬にして成し遂げるとは … 私は驚き且つ呆れた … しかしこれが陳氏太極拳十九代の重みというものか!!日常全てが太極拳なのだ…
それは禅の世界に生きてきた私にも良く理解ができる。
ところで、この日の表敬訪問は一生涯の忘れがたい思い出となった。
まずホテルを出発して黄河を渡った時点で私達の乗ったバスの前後に政治局の先導車が付き物々しい車列となって陳家溝に入りました。
2万人の前で演武そして更に驚いたことに戦後初めて見る私達外国人をー 歓迎?見せ物? ーで集まった人のその数なんと2万人、陳家溝の人口が2千人と聞いていたにもかかわらず、なんという人数か、広い運動場に人が溢れ、その周りの樹木にも人が数珠なりになっている!。


2万人の前で演武2聞いてみると、私達外国人が来るということで、その日は陳家溝のある県一帯が学校も仕事も休日となっての一大行事となったらしい ー
その日の四天王の演武は若き日の貴重な記録となった。演武は日本側にも要請され、私が日本側代表で武壇の三十二式を演武をしました。