第22章 求道の太極拳(大陸編) 陳氏太極拳 十九代伝人 陳小旺老師 その1

夜行列車で正師を得られなければ修行してもしょうがない 一 私の学びの初めに問う言葉であります。
1981年3月9日 日本 成田を出発して一路上海へ ー
慌ただしいスケジュールで、上海到着後その日の夜行列車に揺られて一路、河南省の省都鄭州市に向かいました。
台湾で足掛け五年間、基本を学び私が三十四歳にして、いよいよ陳氏太極拳の第十九代伝人陳小旺老師に指導を受ける機会を得たのでした ー
とはいっても、まだそれは確定したことではありませんでした。
実は私達は日本から河南省対外友好協会宛に、陳小旺老師から太極拳を学びたい旨を、要請しておりましたが、その返事が中国側からなかなか貰えず、みんなはしびれを切らして「学べなくて、元々」と強引に出発をしていたのです。
17時間の夜行列車の旅も終わり、ようやく3月10日鄭州駅に列車は滑り込みました。私は旅の疲れからか列車の窓からホームをぼんやりと眺めながら停車を待ちました …
人民服でのお出迎え次の瞬間!そこに見たものはホームの上にただ1人、人民服で身を固め、姿勢を崩さず凛々しく立つ陳小旺老師の姿でした ー
私はまさかの光景に飛び跳ねて『あッ陳小旺だ!』と叫んでいました、一緒に来た仲間たちも、色めき立ち、 ー どこどこ!あれあれ!うわ~~~  とまるで子供のように嬉々として旅の疲れもすっ飛んで喜び合いました。
実はこの二年前に、私は武壇での兄弟子にあたるM氏のご尽力で鄭州市においてすでに陳小旺老師とお会いしておりました。
陳先生 人民服2その時の第一印象は〝 牛!〟 首は太く、顔も牛並の大きさ?に見えてでっかい!真新しい黄色の練習着を着て少し前かがみで、どことなく自信の無さそうにも見えました。
それもそのはず居並ぶ政治局の上司の威圧のせいからくるものであることはすぐに察知できました。そしてもう1人その横に小柄な酔拳の先生がいましたが、非常に挑発的な目つきで私達を睨みつけておりました。
どうやら、突然日本から他流試合に来たという印象を与えていたようです。
最初の挨拶も済んで、私達の訪中は試合ではなく、ただの表敬訪問であることを知ってか、中国側から思いがけない提案があって一同色めき立ちました。
それはお互いの演武を通じて親交を深めようではないか!というものでした。
私達一行はその提案に対し、引きそうになりながらも、それが礼儀ならばと覚悟を決めて〝やろう〟ということになりました。
そして、それぞれ何を演武するかを決めてから、全員が鄭州市体育館に移るバスに乗り込んだのです。
まず体育館に着いて驚いたことは、観客席のその人の多さでした。どうしてこんなに大勢の人達が!?
( 数年後に王西安老師から言われたのですが、陳家溝からは、この日の為に大勢の老師方が来ておられたそうです、勿論王西安老師も正面の観客席に居たそうですー )