第16章 丹田

丹田とは、臍下丹田と云う言葉があるように、臍の下という事です。しかも、鍛錬をすれば実感できて“ここ”と指先一点で指し示すことができます。

では臍下の何処かとさらにその中心を探って行くと、ついに行き着く所は無いのです。それは極小無限であるからです。

・・・、そうすると丹田とはどこ?という答えは、場所や位置を云うのではないことは確かです。ならばそれは何か!

人々各々、臍下の丹田とは・・・、丸いボールの表面のどこを指してもボールの中心であり得るように、自身の丹田はこの宇宙の中心と考えるべきであります。中心は太陽のごとき充実した実感あるものであり、宇宙の姿はその陽光と陰影のバランス( 陰陽 )であって無常なもので、実体無きものであります。

また天地宇宙一切物質的現象もその多様性にも関わらず、ただ陰陽二力のその作用にあります。人体もまた宇宙のその作用であります。

そうでなければ目、鼻、口、耳、手足内臓など、皆に共通して同じ部位にあるはずがありせん、誰が一体その人体のバランスを設計したというのでしょうか?

それは間違いなく、天地宇宙力なのです。

その意味からいえば、反対にこの宇宙のバランスも人体の抽象的形状にあると云えるのであります。科学から云っても知ると知らざるとにかかわらず、天人地は姿は変わっても本質において同根一体のものであるはずです。

もしそのバランス状態を知ろうとするならばアインシュタインが“物の背後に隠された秘密”と暗示的に示唆するように、それ( 陰陽二力 )の法則を知らねばなりません。

問題は陰陽二力の法則は大ざっぱな感覚である五官(眼耳鼻舌身)の、分別の対象になりえても、陰陽二力を生み出す太陽のごとき中心の実体は深い潜在意識の領域で、実参実究の一体感をもって智らなければ理解不可能な世界なのです。

それゆえアインシュタインは“背後に隠された秘密”と表現をするのです。

禅から云う丹田を練るとは、正しく天地宇宙のバランスと及びその中心に一体になることであります。

即ち、姿勢を正し分別を交えず(参究)無為自然の境に安住すること。それにより、本源においてその秘密《 天地同根、万物一体 》を智るのであります。

同根、一体とは無分別にして智るという事で《 無分別智 》と申します。

この智慧でなければ知るよしもない。一般的に云う無念無想の境に入ることです。

難しいようですが、一応このように定義しておかねばなりません。

太田老師の仰る、「首から上を必要としない」とはこの事あります。