第15章 参師聞法

太田老師が帰られて半年後、師匠さまにお願いをして私は東京永平寺別院に太田洞水老師を訪ねました。

太田老師は六畳間の小さな部屋におられました。部屋の中には机と座布団、その横に柔らかそうで上品な布団を三つ折りに重ね合わせ、その上に円座を置いた坐禅の場、その前の卓上には線香とマッチだけがおいてありました。この二畳ほどの坐禅席の空間は何人も立ち入ることが許されない聖域として、部屋全体の空気を引き締めていました。

それから二週間、私は老師と共にここで生活をする事になるのです。

私も坐禅好きで、坐る事は何の苦でもありませんでした。しかし・・・、1日のうち、何でも口実?にして坐るのには驚いた!

たとえば、「眠いですか!では坐りましょう」「疲れましたね!では坐ります」「食事前ですから!坐りましょう」「・・・食後の三十分は坐ってはなりません、三十分後に坐ります」「もうすぐお客が来ます、来る前に座りましょうか」「帰りました、では・・・」等、とにかく毎日十時間は坐りました。

師に参じて毎日法を聞きながら坐禅三昧の生活は、それは嬉しかった。

しかし正直、足も痛かった。この経験は禅僧の日課として当然のことであるかもしれないが、それを体感してこそ身に染み入るものであり、そして我がものとなるのであります。

– 即ち頭で分かっていても体得しなければ学んだことにはならないのです。
– これが正師に参じなければならない理由の一つなのです。

またこんな事もありました!

その当時の後堂さま(雲水の指導者)と三人で太田老師の部屋でお話ししていた折りに、我が師丸山老師の話しになりました。太田老師が「師匠さまの指導はどうですか」と私に問われました。

私は即座に「ある時から突然に厳しくなって本当によく怒られます」と正直に申し上げますと、後堂さまが横から笑顔で「嫌かい?」と仰いました。

私はその時意味が解せませんでした。と申しますのも、私の中に怒られる事は当然のこととしてあり、叱られることに対して私の分別の念がまったく無かったからです。

・・・、私は少し困惑気味に「でも師匠は、怒られる事は良いことだと言っておられますから」と誠意を込めて申し上げますと、後堂さまは大笑いなされ「素直だねぇ」と仰り、太田老師は「そうです・・・、本当に素直にバカが付きます」といって、笑い顔から下を向かれて涙ぐまれたのには、驚きと少しショックを受け(えっ!何故)と思いました。が、・・・その時、分かりました!

あの日の五寸釘の一件、あの師の笑い顔には私の愚直を認めて下さったんだということを。ただそれだけではなく、それが道の学びにとって必要である事を、太田老師の涙と、その時の部屋の雰囲気から感じ取る事ができました。

その当時の私の性格では社会に通用しなかったでしょう、いや!その性格であったからこそ、私は正師に守られながら正道を歩ませていただけたのです。

太田老師は「あなたの師匠さまの禅機は素晴らしいよォ、いま時いないよォ」と仰って頂き、私はほのぼのとした法悦に包まれていました。

自叙伝 参師聞法 そう!坐禅といえば太田老師は、あの体力で年間六回の接心を一週間毎日十八時間、坐られます。私も十八時間の坐禅に挑戦したものの、まだ成功はしておりません。

勿論長ければよいという訳ではありませんが、よほどの禅定力、(集中力)と日常のバランス(境涯)が良くなければできるものではありません。

ある日、太田老師と一緒に入浴させていただいた時に見た体の傷は、前から見ると傷は何も無いのに、背中にまわると縦五センチほどの貫通弾のあとが四カ所、更にその傷を打ち消すかのように三十センチの刀傷がありました。

壮絶な傷跡を見て唖然としている私をご覧になり、ゆっくりとお話をして下さいました。

「私はねぇ、一瞬にこんな体になって、軍医からも見放され三日三晩ほっておかれたんだぁ。しかしそれでも生きているからといって、ようやく治療が始まったというんだぁ。後で聞いた話しだが、その三日間私はのたうち回って大変な苦しみであったそうなぁ。・・・でもねっ、本人は全然苦しくはないんだよぉ!体が勝手に苦しんでいるだけだからねぇー。また坐禅もねぇ、首から上は必要としないんだよォ。・・・わかっかぁ」と独特な尻上がりの鹿沼弁で話して下さいました。

さらに頭には三センチほどの弾でえぐられた傷あと、右膝も弾が貫通していて坐禅を組むにも足が不自由でありました。夜の寝具の敷き布団は老師自ら体調に合わせて工夫なさったもので・・・、固いマットの上に厚手の柔らかいマットを敷き更にその上に二枚の敷き布団を敷くという念の入れようでした。 畳から式布団の厚さだけで四十センチ、ベッド並みでした。

それでも背中に痛みが走るため、仰向けになっては寝れないと言っておられました。

そのような痛々しい状態で、体力も無く、幾度となく死にかかった事か。

老師が仰るには、ある時、危篤になって回復する見込みも無く親族が集められたそうです。そして遂に医者から「ご臨終です」と言い渡されたそうな。

しかし老師は親族の悲しむ声や医者の臨終の言葉もすべて聞いておられたそうです。

その時、老師は「臨終と言われた後、私はねぇ、自分の全身を調べてみたんだぁ、そしたら丹田の気は抜けていなかったねぇ・・・、それで私は死なぬ!と確信を得たよォ!」だそうで、それから自然に意識を失ったが、数時間後に生き返ったというのです。

その話をした後老師は「よいかねぇ・・・、人は亡くなっても、聴覚は最後まで残るからなぁ、亡くなった人の前では悪口は言いなさんなぁ・・・」と私に冗談めかしに言っておられました。

そして真剣に「丹田を錬れ」と諭されました。