第13章 正師

正師と言えば・・・、私が出家して一年半が過ぎた頃、一人の修行僧が晩秋の木枯らし吹く中、突然に寺を尋ねて来られました。
着古した愛染の木綿衣に、素足で下駄履き、首から下げた頭陀袋は擦り切れ、その前に手を組み合わせて、玄関先に立たれました。
その姿は、若い雲水の身支度であるが、五十路を過ぎていて物腰柔らかく丁重なご挨拶ぶりに、私は思わず新前の尼僧さまかと思いました。
しかしお茶の準備をして応接間に行くと、先ほどとは想像もつかない雰囲気で座敷の下座に座っておられる。その凜としたお姿を見て、少し緊張ぎみにお茶をお出ししました。
そして改めてご挨拶を申し上げて、益々緊張してしまった!新米の尼僧さまではない。
眼鏡の奥に見る眼光は身震いするほど鋭く、それでいて人を射抜く目ではない。
全てを包含し一切を見抜いている眼差し、それはどこかで見たよぅな・・・。そうだ!私が出家前に、理想の禅僧としてしっかり心に焼き付けたあの人物画、飯田蛇足筆の臨済禅師だ!その禅師を彷彿とさせるものがあった。
反対に私がもたつく新米ぶりをご覧になったのか、さらにやんわりとその御方は太田濱次郎という在家名でご挨拶して下さいました。
が!
そこが小僧魂!! 緊張どころか一気に親しみを感じて、もう何とも緊張を通り越して虜になってしまいました!
そのころの私は・・・、思い描いていた出家の世界と、現代僧侶の生き方が余りにもかけ離れている現実に、正直言って絶望感に近い思いを抱いておりました。
自叙伝 正師 そしてその日も、時代錯誤と言われる出家道を諦めて、別の生き方を考えていた。そんな矢先にこの御方が訪ねて来られるとは。
「決して時代錯誤ではない!この道は時代の波に翻弄されるものではない!それどころかこの道あってこそ、人間の尊厳は保たれ、人類に真の平安を約束するものである!今の若者に申し上げたい。決して怯む事なく、この道を歩みなさい!偉大なる武器、道心を弓として、集中で鍛えた矢をのせよ。真理に向けた思いをいっぱいに引き、友よ!、その不滅を的に矢を放て!!」
その日、あいにく師匠さまは不在でありましたがその分、私がお相手申し上げ、話が進むにしたがって親しく禅の修行道をお聞きする事ができました。
私は太田老師に出家の道を正したところ、太田老師は私に、
「法を聞くあなたの目はキラキラと輝いている!道心あるものよ、本物の僧になるなら、野に下れ!」と一喝された!
本物だ!!期待通りだった!
その方のお教えは、私が理想とする修行道であった・・・。現代にも道は脈々と伝わっていた!揺るぎなき道心、その確信を深めて、大感激でありました。
その夜、師匠さまがお帰りになり、私はその方の事を興奮気味にお伝えしました。
師匠さまは笑って聞いておられましたが、住所録に書き残された名前をご覧になり驚いたご様子で、「そうか!今は天竜寺におられたのか、そうか来られたか、この人は凄い人なんだよ!よくぞ私を訪ねて下さったねぇ、この方はね」と、師匠さまが出逢ったころのお話しをして下さいました。
それによると、太田老師は栃木県鹿沼の出身で昭和十六年、戦場で六発の銃弾を受けて倒れたが、九死に一生を得て帰国され、その後沢木興道老師に師事して出家をし、そのまま山に籠もってしまわれたとのこと 。
師匠さまは学生時代に、太田老師がいつも不自由な体で足を引きずりながら座蒲(坐禅の時使用する敷物)を持ち廊下を歩いておられる姿を見ていたそうです。
その太田老師も、二十年の山籠もりから、いよいよ世間に打ってでる決心をされましたがしかし、文字通り世間知らずであるために、学生当時やはり一目置いていた我が師を思い出して頼って来られたのだそうです。
私は!心の底から、この出会いと、その運命に感謝を申し上げたい。
私にとって、禅定(上求菩提)と、その働き(下化衆生)の名僧、高僧に居ながらに師事出来るとはなんという仏縁深き幸せ者か!