第11章 酒の思い出

丸山老師は本当に偉大な方でありました。しかし我が師にもただ一つ欠点?があった。師は酒が弱かった。勿論欠点とはいえないかもしれないが、私が酒に弱ければの話し!

出家をして間もない頃、法事の席で食事の接待を受けました。私は師と正面にならんで座らされ、何もかもが初めての事で要領を得ず、ただ信者さんの勧めるままに頭を下げてヒョコヒョコと盃を重ねていたところ、暫くして隣の師匠さまの様子がおかしい!

よく見ると顔を真っ赤にして息も絶え絶えのご様子「いや!私の弟子は酒が強くてねぇ~」と皆さんに私を紹介しながら、私に向かっては小声で、「お前よく呑むなぁ、大概にしておけ!」と仰いました。

ただ常日頃の迫力はなくて強がりのようにも聞こえる・・・。私はまた飲むと嬉しくなるタイプで、師のお言葉にも嬉しくなって、いつの間にか堂々と盃を重ねておりました。

後日そのことが余程悔しく?思われたのか、寺のお母さんから「方丈はん、最近毎晩お酒を呑まはるねん!博永さんのせいやで~、稽古してはんねんでー」と、冷やかされる。確かに!何事においてもずば抜けた実力の持ち主である師匠さまが、出来立ての小僧ッ子の横で顔を赤らめ、ふぅふぅしていたのでは・・・、師は心を入れ替えて?猛特訓なさったようです!

その努力の甲斐あってか、師は後に四合まで腕を上げられていろいろな集まりにも支障が無くなったようです。私は内心、私のお陰だなぁ?と心豊かに楽しんでおりました!

・・・スミマセン。

後に知るのであるが「 – 今、ここ、成り切れ、無功徳常精進 – 」

この教えは、インド三千年の哲理の一つである、カルマヨーガの最高教義である事を知るのです。

その教義を我が師は粉骨砕身、私に伝授してくだされた!

私もまた出家したばかりの、未だ何も知らない純真無垢な状態であったから遮二無二吸収していった。

ちょっとでも私に理屈が入るようだと、挫折して出家の道は崩壊していた事でしょう。

裏を返せば我が師は、それほどに魅力ある力量の持ち主であったという事です。如何なる修行も理の実践があってこそ成し遂げられるのです。

聖人の古巣のような国から生まれた超一級(不二一元)の哲理が禅宗に入り中国から日本に伝わって、それがなんと奈良の片田舎の片隅で我が師と実践できるとは・・・。

人一倍 愚鈍 な私を、何事も壱から手塩に掛けて、育てて下さったのです。

「南無、大師!」