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河南省テレビ取材の翻訳 

山口道長が今年3月に訪中した折、河南省テレビ局の取材を受けました。 この件で4月4日に河南省温県から発信されたウィチャットの掲載文を、横浜道交会の中村さんが翻訳して下さいました。以下はそれを更に山口道長が加筆致した訳文です。   ∞∞∞∞∞∞ 太極拳を学び、充実した人生を円満に生きる。  ……………………

 

日本の老人が語る半世紀に及ぶ太極拳の因縁話しを聞こう。

(1)

2019年3月の末に、王西安大師の弟子である、山口博永が10数名の弟子を連れて日本から温県を訪れました。

それは高級研修班として王西安大師から、太極拳の指導を受ける為でした。 山口博永は今から40年前の1979年に河南省武術協会を一度表敬訪問したことがあります。 その御縁で1981年に王西安大師と師弟関係を結びました。

その後は王西安大師の指導の下、本格的な太極拳の修練が始まります。 彼は毎年春には陳家溝を訪れ、王西安大師の下で太極拳の造詣を深めていきました。 山口博永は日本に帰国した後も中国で学んだことを弟子達に伝え、その結果、多くの日本人が彼の積極的な指導のもとで太極拳を学び始めました。

ところで山口博永は出家人で、禅の道を歩んでいることから、太極拳の合勁は坐禅と同じく丹田を重視することに気がつき、練習の合間には人体力学の方面からも、王西安老師と興味深く話し合いをしました。

この度は、山口博永の太極拳歴40周年を記念して 王西安大師が彼に “ 太極禅人 ” の称号を与えると共に、弟子の申長明に命じて自身の練拳の姿を描かせ、その横に言葉を添えて署名をし、山口博永にその書画を自らの手で贈呈いたしました。 これは二人の師弟関係が40年の長きに渡る強い絆の証であり、深い友情の賜物である。  ………………………

(2)

過去に彼の心に刻まれた太極拳の出会いと、ある朝の思い出。  ……………………  幼少時代の山口博永は、決して一杯の芳醇なお酒の味を味わうことは無かった。 幼少の彼は温かみの少ない環境に育った。 彼は人の情の移り変わりの激しさや、思いやりの少ない世の中のありさまを敏感に感じとり、幼な心にも、自立とその強さを求める日々を過ごしておりました。

八歳のある日、彼は偶然にも映画館で中国のニュース映画を見ました。 その中で髭の真っ白な一人の老人が、田んぼの畦道を歩いて行きました。 そしてある広場に出た その時です! なぜか老人の背筋が伸びて気高さに満ち溢れ その後、雄大に動き始めたではありませんか!。 勿論その時彼は、それが太極拳だという事をまだ知りませんでした。 ただ映画の中で、弱々しく思えた老人が、突然威厳と尊厳を併せ持った崇高な人間に変身出来たのかに驚き、子供心にもその姿を見て、自分もそういう者になりたいと、強く心に刻み付けました。

見終わった後も、かつて味わったことが無い程に深い感動に包まれていました。

そしていつしか彼 の心の中には、いかにすれば人間としての尊厳および自由と平安が獲得出来るのかが目標となっていました。 年月は過ぎて、山口博永も立派な青年と成長していきました。 彼は、無条件にして大丈夫な、安らぎと自由を現実の中に追い求めていました。

そして、ついに19歳にして出家をします。 禅の道を歩み始めたのです。 更にそれから10年が過ぎて、博永28歳の時に禅の師匠様の元に一人のカナダ人が訪ねて来て寺に滞在しました。 カナダ人は毎日師匠様について坐禅を学んでおりました。

ある日の早朝にふと見ると そのカナダ人は寺の境内の一角で一人体操をしているではありませんか………しかしその動作に山口博永は釘付けとなって、なぜか懐かしさを感じ始めました 「その雄大な動きは何ですか」と尋ねると、カナダ人は「太極拳です」と答えました。 そうです!ついに出逢えたのです‼ 山口博永は呆然として、「それを太極拳と言うのですか‼」と再度お尋ねをします。

まさに8歳の時からずっと夢にまで捜し求めていたのが太極拳と言うものであったのか! 彼は云うまでもなく、その日からこのカナダ人について熱心に太極拳を学び始めました。

 

(3)

それから一年後、彼は日本を離れてインドに行きましたが、既に山口博永の心深くに太極拳の種が植え付けられていましたのでインドからの帰路、太極拳を深めるために山口博永は台湾に渡り5年間みっちり太極拳の基礎修練を積みました。

その後台湾で、中国の陳家溝が太極拳の発祥の地だと知った彼は、次に大陸に渡り太極拳を学ぶことが目標となったのです。

そして山口博永は、太極拳の真髄を求めて、海を渡り山河越えて遂に、陳家溝を訪問しました。

 

(4)

1978年、日中の国交回復により、両国の民間の友好団体の往来が始まったのです。 それを機に山口博永も民間友好団体に加わる事で訪問が実現いたしました。   この時に行ったのが中原の省都、鄭州であった。 鄭州では盛大な歓迎会が催され、武術の故郷である鄭州の達人が多数参加し表演をしました。

その表演会のなかで、伸び伸びとした太極拳の表演は彼の心を揺り動かし続けた。 特に一人の優れた中年の武術家の堂々とした太極拳の表演は彼の血を沸き立たせました。

彼は正伝の太極拳はこれだ‼と確信を得て、この陳氏太極拳の真髄を極めたいとの思いを更に強くした。

1981年、山口博永は日本国内に新たに陳氏太極拳の会を発足しその会の人たちと共に陳家溝を訪れました。その訪問を受けて王西安大師が小学校の校庭で炮捶を表演しました。 「この套路を表演している老師は三年前に鄭州の歓迎会で見た老師ではないか!」山口博永は感動し、急いでビデオカメラを取り出して王老師の表演する炮捶の全ての套路を撮影した。 陳家溝から帰った後も山口博永は毎日、王西安大師の套路のビデオをみて厳しい練習を繰り返した。

しかし練習をすればするほど戸惑いも深まった。 1986年、山口博永は願いをかなえるため陳家溝に行き、正式に王西安大師に師事し、その後王老師の下で数十年に渡る永く厳しい練拳が始まるのでした。

(5)

太極拳を学び、人生をやり遂 げ、涅槃に入る。  ………………………   年月はいつしか過ぎ去り、山口博永の太極拳の技法は、王西安大師の長年の心を尽くした指導により、日増しに高まり、今では日本で屈指の太極拳の指導者となり、そして今も太極拳を伝え広めるべく歩んでいる。

ところで中国での練拳の折、山口博永は王西安大師と共に度々お茶を飲みながら禅と、太極拳の関係を論じ合いました。 結果は、禅道の真理は自然なる ” 随 流 去 ” を重んじ、同じく太極拳も、任運自在なる運気で ” 従 に入る  ” 禅道と太極拳は、その名は異なっても、行き着く所は同じであると山口博永は気づいた。

王西安大師も、自然で柔らかい太極拳が一定の高見に達する時、僧侶が言う「禅」になると言う。 僧は寺で修行し、その求めるものは心の安寧であり、静を以って動を求め、自己を完成する。 太極拳の追い求めるものも人生の大境地であり、動中の中に静を求め、更に深い安らかさと大きな集中を求める。

修行を積む中で分かってくる事は、太極拳の合勁である ” 太極の気象 ” と坐禅中の ” 人体力学 ” が全く同じであるということです。 坐禅は、上陰下陽とし、太極拳は、上虚下実とする。

すなわち太極拳を練習することは、禅を修行することと同じで、人格を高め修養を積み涅槃に入ることにある。                                      ………………………

(6)

山口博永は今も、彼は毎日坐禅を行い太極拳を練習し、それらは山口博永の生活の最も重要なものになっている。 彼は毎日五時間ほど練習をするなかで、40分を坐禅、20分を太極拳の練習にあて、その静と動の中で人生の真諦を深く探り感じ取っている。

彼の太極拳はもう既に骨髄にまで入りこむと共に、太極拳は自己の人生を更に円満にしていると彼は言っている。 今では彼にとって、陳家溝は第二の故郷になっている。 彼は自分の余生の中でただ一人太極拳を楽しむだけでなく、禅の理の下に多くの人が太極拳を行じて心の安らぎと喜びを得られるように、世界に拳禅一如の行法とその文化を広めて行きたいと考えている。

 

山口博永と太極拳の縁

(1)

私が初めて太極拳に出会ったのは八歳の時でした。 八歳の時、偶然にも映画館で中国のニュース映画を見て、その映画の中に一人の老人が現れました。 その老人は部屋から出てきて畑の小道をゆっくり歩き出しました。 その歩く姿は憐れで弱々しくかわいそうにさえ思えました。

しかし彼は広々とした場所に出ると凛として立ち、ゆっくり動き始めたではありませんか。 その姿は先ほどの老人とはまったくの別人で、眼光は鋭く威厳に満ち溢れていました。  私は後に坐禅の世界に入り、坐禅の持つ神聖な姿を見た時、なぜか八歳のあの映画の老人の持つ尊厳ある凛々しい姿を思い出しました。

 

(2)

出家をした後、師匠様は私にどのように坐禅をしなければいけないか、いかに呼吸を調えるかを教えて下さいました。 坐禅で大事なその教えは[天地は同根である]の教えであり、それは太極拳で云う「気沈丹田」と「虚領頂勁」がその意味だと、後に理解しました。

師匠様は原田門下の高僧で、私はその師匠様の教えの下に十年間坐禅を修行しました。 十年過ぎたある日、私はどうしても実際に太極拳をこの眼で見たくなり、師匠さまに訪中のお願いをしました。 すると師匠様は「もし太極拳の真髄を体得したいと願うならば、必ず立派な先生に就かねばならない、そのような良い先生に逢えないようなら真髄を学ぶ事は出来ないだろう」と私に忠告して下さいました。

このようにして四十年前、当時三十数歳の私は希望を抱いて陳家溝にやって来ました。

なぜならば、太極拳発祥の地であれば、必ずや優秀な先生がおられるに違いないと確信したからです。 その当時の陳家溝は交通が非常に不便でバスで黄河を渡るとき車の渡る橋は無く、汽車の走る鉄橋をバスも利用して渡る有り様で、鄭州から温県まで三時間かけてやっと陳家溝に着きました。

 

(3)

陳家溝に着いて私の考えが正しかったことはすぐに証明されました。 私は陳家溝でたくさんの素晴らしい先生方にお会いしました。 その中でも私と真に心が通じあえたのは王西安老師でした。

なぜならば王西安老師の教え方は素晴らしく、呼吸と、内勁のあり方まで惜しみ無く、特に私に直接自身の身体を触らせるという方法で感じ取らせてくださいました。

この呼吸と内勁は秘伝であるにも関わらず……。 私は王西安老師のこの指導で、 太極拳の気の力学が理解できたことに感謝申し上げます。 王西安老師の指導には手抜きが無く、受け取り側の力量に応じて秘伝といえども惜しみ無く伝えて下さるその真摯な指導には心から敬服いたしました。 練習の時は、王老師は私に取って厳格な師でありましたが、練習以外の時はいつも兄弟のように親しく交わり、二人の関係に微塵の蟠りもありません。

(4)

私は十八歳から坐禅の修行を始め、禅を通じてずっと真理を探求して参りました。

そして、だんだんと霧が晴れるように覚醒して参りました。 ただ、私はなぜ坐禅をすれば真理が理解できるのか…………、それが分かりませんでした。

しかし今は太極拳を学ぶ事で、それが理解できるのです。

これは私にとって非常に大きな発見でした‼ 私は太極拳を武術としてではなく、その人体力学の方面から坐禅を検証することによって、なぜ坐禅をすれば悟りが開かれるのかが理解できました。

禅は心の覚醒的な活動であるため、迷信や魔境に陥ることも多くあります。

しかし太極拳が坐禅より優れている一つの点は、太極拳の力学は科学であり、迷信性は微塵も存在しません‼ その太極拳の力学で坐禅の時の人体力学が証明できれば坐禅の魔境は避けられます。 太極拳は人体力学であり、勿論その動作を観ることが出来るし、又体内の変化も触ることで知ることも出来ます。

 

(5)

アメリカの物理学者 F.カプラ( 著書 タオ自然学)は、太極拳は量子運動であると言っています。

たしかに、太極拳は陰陽二極の統一、太極の姿を通して ” 人の尊厳を具現 ”します。

それはあたかも電池の如くで、体内に陰極と陽極を設け、その陰陽二力の作用を知性という心の電線で繋ぐことにより、純粋智性の光が、万物を照らし出すのです。

ここから、私の禅の老師が私に言った丹田を絞る「気沈丹田」と後頭部を突き上げる「虚領頂勁」とは、即ち私の身体が一つの電池となり陰極と陽極が一本に繋がること(無分別智)で自然の絶妙な現象を智ることだと悟りました。

私は今年の2月に日本に来た十人のアメリカ人の精神科医に坐禅を教えました。 その際に私は彼らに腹式呼吸で坐禅の力学的な鍛練法を証明した所、彼らはそれを見るなり、非常に驚き感動し、それを学びたいと私に言い出しました。 実はこれこそが王西安老師にここで教えて頂いた逆腹式呼吸です。 坐禅の時も吐く息に従って気が下に沈んで行くと同時に、頭のてっぺんは自然と上に突き上げられます。 この天地二極は体内で統一され、一本の柱と化します。  立ってやる太極拳の天地合一の力量は座る坐禅の数什倍で、その勁力は非常に大きいものです。 私たちは普通、物事を考える時は良いことと悪いこと、即ち好き嫌いに分類します。

しかし天地両極が力学的に統一された時はその分別は自然消滅します。 ここのところを太極拳では、太極といい、この時の状態を禅では禅定と言うのです。 故に太極の気象に帰ると「無分別智」となります。

また 太極拳の開合運動により「運気」が理解された時、“ 従 ” の世界観が確立されます。 幾千幾万の練習を通して、従の世界観は、万物は一体の“ 大虚 ”に還るのです。 ここの消息を 一千年前の中国の有名な禅の老師である “ 宏智禅師 (わんしぜんじ)”が 「天地同根、万物一体」 と言いました。

私は数十年の修練を経て太極拳の原理から坐禅を証明致しました。

この太極拳と禅を一つにした新しい価値観を世界に問うていきたいと考えています。

現代人が因る生き方への不安や、日々における情緒の不安定は、太極拳と禅が結合することで有効に解消でき、生きる勇気と希望を得ることが出来ると信じます。